第七十五話「文明を動かす技術」
最後列から見下ろす教室は、前に向かうほど低くなっていく。扇状に並ぶ座席の先、最前列より一段下がった場所には教壇があった。その背後を、乳白色のスクリーンが壁一面に覆っている。
教壇の中央には、ひときわ洒落た女教師がいた。
左右で長さの違う深緑のボブに、細い銀縁の眼鏡。白いフリルブラウスの上から、黒と深緑を基調とした細身の教師服を纏い、肩には短いケープが垂れている。
ヴィアンナ・キミドリ──第一限、歴史の授業を担当する先生である。
キミドリ先生が細身の短杖を振ると、教壇のスクリーンに映像が浮かび上がった。
夜の街角に火を灯す女。
傷を負った男を癒す術師。
稲妻のように戦場を駆ける兵士。
「このように、魔法は古くから人々の生活と戦い、その両方に用いられてきました。しかし、これらには共通した欠点があります。何かわかりますか──ミレイユさん」
俺の右横にいるミレイユは、席を立った。
フィオナの制服とは違い、白地に深紅をあしらった制服だ。貴族用だろうか。
「術者自身のマナと、技量に依存してしまうことです」
「エッチェレンテ。正解です」
教室が拍手に包まれる中で、ミレイユは座った。
「どれほど優れた魔法使いでも、使えるマナには限界がある。複雑な詠唱がなければ、高度な魔法も使えない──では、人々はどうやって、この二つの問題を乗り越えたのでしょうか」
キミドリ先生は眼鏡を押し上げた。
「ここからは、魔法が個人の力から、文明を動かす技術になった歴史を見ていきましょう」
真っ黒なスクリーンに、一五九〇年と白文字が浮かんだ。
「魔法文明が大きく動いたのは、一五九〇年──“魔触異変”以降です」
古びた遺跡の周囲を、調査隊らしき者たちが歩いている。
「各地で魔素の乱れが多発し、聖壇や古代遺跡の再調査が始まりました。神代の文字は解読され、古い術式や、古代魔装の研究が進んでいきます。この時代を神代復興期──リナシメントと呼びます」
映像が切り替わり、青白い結晶が浮かび上がった。
「その研究で、改めて価値を見出されたのが魔力核──いわゆる“魔石”でした」
輝く結晶の表面に、複雑な術式が刻まれていく。
「魔石は、膨大な魔力を蓄えることができ、加工次第で多様な性質を生み出すことができました。マナの枯渇と、魔法の技量問題を同時に解決できる、画期的な代物だったというわけです」
キミドリ先生は教室を見回した。
「では、編入生の──山田さんに質問です」
「あ、はい」
まずい、歴史なんてわからんぞ。
「いまや街の動力になっている魔石は、何によって普及したでしょうか」
「あー……商人が、売り始めたから」
「ノン・マーレ。五十点」
キミドリ先生は短杖を横薙いだ。
青白い魔石の映像が砕け、スクリーンを黒煙が覆う。
泥にまみれた兵士たちが戦場を駆けていく。
「残りの五十点は、戦争です。一七一〇年──第一次大魔戦争の時点では、古代魔装はまだ研究途上。加工された魔石は高価で数も少なく、軍や王侯貴族以外には縁のないものでした」
映像が切り替わり、海を渡る大型船の群れが映された。
「ところが戦後、大陸間航路が開拓され、魔石交易が活発になります。この魔導産業期を経て──第二次大魔戦争の時には、兵器用に加工された魔石が量産されることになります。神代の遺物──古代魔装の研究も進み、誰にでも扱えるように、魔石を組み込んだ殺傷兵器が完成したのです」
スクリーンに映ったのは、横一列に並んだ兵士たち。
「その兵器の名は、汎用魔装具──“マギアームズ”」
兵士たちは、肩にかけていた武器を構えた。あれは──ライフルだ。
黒い銃身には青白い石が埋め込まれ、淡く明滅している。
指揮官らしき者が、腕を振り下ろした。
直後。
低い駆動音がいくつも重なったあと、銃口が白く煌めいた。
そして放たれる、蒼い閃弾──ッ!
爆ぜる轟音とともに、遠方の大地が黒煙に呑まれていく。
「大剣から小銃まで、形状は多岐にわたります。威力は言わずもがな、歴史を塗り替えるほどの性能を持っていました」
おいおい……魔法というか、もはや近未来兵器じゃないか。巨大ロボとか出てこないだろうな。
「戦争が終われば、技術は戦場だけに留まりません。兵糧を冷やしていた魔石は、水筒や食料庫に。傷を洗うための魔石は、街の水道に。暗い森を進軍するための魔石は、いまや教室を照らしている。学者が仕組みを解き明かし、技術者が加工し、商人が世界へ運ぶ。そして戦争が需要を生み出す。魔石はその繰り返しによって、軍や貴族のものから、民衆の生活を支える道具へ変わっていったのです」
深く考えたことはなかったが、旅で使っている携帯テント、浄水瓶、魔物除けのランタンなどにも魔石が埋め込まれているのだろう。地球で電気が文明を支えているように、ファンタジアでは魔石が人々の生活を支えているというわけだ。
「そして第三次大魔戦争では、魔石技術は極限に達します。高威力の魔導砲、人体を内から破壊する対生物魔法≪バイオクライシス≫、一帯を灰と化す原子魔法≪ニュークリオン≫──」
スクリーンの中──青い天から、巨大な閃光が落ちた。
直下にあった石造りの大都市が、白く塗りつぶされていく。
「強すぎる力は、世界を揺るがしました。森を枯らし、大地を荒廃させ、多くの人命を奪った」
灰が雪のように舞っている。
誰もいない廃墟。崩れた家屋。川には汚水が流れていく。
「だから戦後、各国はより安全で、管理できる物を作るようになっていきます」
スクリーンの中央に、署名された一枚の文書が浮かんだ。
文書の上には、厳めしい字体で“エルデヴィア大陸魔装兵器規制条約”と記されている。
「非人道的な魔装具や術式は、条約によって規制されました。この規制はのちに全世界へと広がり、国際的な基準になっていきます。同時に、大陸を越えて人や物、情報が行き交うようになり、世界は異文化の交わるグローバル時代へ進んでいったのです」
なるほど。街中で多くの異種族が行き交う理由は、こういうわけだ。
「今日の授業はここまで! 本日のまとめです。テストに出るので、復習しておくように」
スクリーンに文字が映し出された。
一五九〇年 神代復興期『リナシメント』
魔触異変による遺跡や聖壇の調査
古術式、神代文字、古代魔装の研究
一七一〇年 第一次大魔戦争『聖壇動乱』
古代魔装は研究途上
一七一四年 魔導産業期『インダストリア』
大陸間航路開拓(魔石交易の発達)
一八五〇年 第二次大魔戦争『魔界戦役』
汎用魔装具の生産
一九四二年 第三次大魔戦争『終末大戦』
魔石技術の極限化
一九五〇年 国際協調期『コンコルディア』
魔装具の規制と安全化
世界の異文化交流──グローバル化へ
長い座学が終わり、十五分の休憩に入った。
「けっこう面白いな、授業」
左を見れば、フィオナは寝息をたてている。
その隣──窓際の席で、アナスタシアは真剣にスクリーンを見ていた。
「呆れたものだ。技術が変われど、いつの時代もやることは闘争──人間はつくづく度し難い」
「戦いたいと思っている人は、少ないと思うけどね」
「だからこそ呆れている。指導者の圧力に負け、言われるがまま動かされ──国のためなどと自分を偽り、死地へ赴く。愚かと言わずなんというのか」
──反論できない。人間は怠慢だ。辛いことはしたくないし、面倒も避けたい。重要なことは優秀な者に任せ、自分は楽をしたい。日本だってそうだった。税負担が増え、経済が停滞しても、ネットで不満を吐き出すばかり。自分から動こうとはしない。
俺たちは願っていれば、誰かが現状を変えてくれると思っている。
「それに異文化交流とは聞こえがいいが、搾取の対象がより広くなっただけだろう。国のトップ連中は依然、腐っているに違いない」
「……すいません」
右からミレイユの声がした。いたたまれない顔をしている。
「いや、君のせいじゃないだろう」
なんか気まずい、空気を変えよう。
俺はミレイユの隣にいるイルゼを見た。
「イルゼさんは、なんで学ランなんですか」
「……この学園では、異性の制服着用が認められている。それと──気安く喋りかけるな」
冷たい低声に、ミレイユはすかさず反応した。
「ちょっとイルゼ、仲良くしてよ」
「それは命令ですか」
「いいえ、ただのお願いです」
「では聞けません。一般の冒険者、しかもEランクの底辺──そんな者たちを姫さまの側に置くなど、私はいまだ納得しておりません」
ミレイユは軽く息をつき、俺の方を見た。
「こんなこと言ってるけど、本当はすごく良い子なのよ。嫌いにならないでね」
「ああ、大丈夫」
至極まっとうな意見だし。
王族の護衛──どう考えても、Eランクの底辺がやっていい仕事ではない。
なぜ俺が呼ばれたのか、いまだに疑問だ。
「くれぐれも、私の邪魔はするなよ」
イルゼはそういうと、ふん、とそっぽを向いた。
「……はい。じゃあ、用を足しにいってきます」
教室の階段を降りていくと、男の話し声が聞こえた。
「あいつ、王家推薦らしいですよ。目立っちゃって羨ましいッスねぇ、オイオイ」
声の方──最前列に立っていたのは、小柄な青年。
焦げ茶色の短髪に、細い目。薄笑いを浮かべた口元から、二本の前歯が覗いている。
着崩した制服の端からシャツがはみ出し、いかにもガラが悪い。
「どんなせこい手を使ったんだか。そう思いませんか、レオルドさん」
青年の前に座っていたのは、金髪の男だった。
学ランは落ち着いた深緑色で、前開きになった上着から黒いネクタイが覗いている。
男は横目でこちらを見ると、切れ長の青い瞳を細めた。
「くだらん。姫殿下の気まぐれだろう」
──。
俺は聞こえないふりをして、廊下へ出た。
君子危うきに近寄らず──トラブルの種は避けていこう。
制服が違ったことからすると、一般の学生じゃないのかもしれないな。
そう思ったとき、背中をポンと叩かれた。
「よっ、編入生。便所か? 一緒に行こうぜ!」
後ろを見れば──丸いアフロヘアが目を引く、褐色肌の青年がいた。
太い眉の下には、人懐っこい茶色の垂れ目。前を開け放った学ランは、袖を肘までまくっている。
青年は耳についた金環を揺らし、白い歯を見せて笑った。
「えっと、君は……」
「オレはジョイ──ジョイ・ハリス。同じクラスっていうか、目の前に座ってるぜ」
「ああ、どうも。山田緋色です」
「おう、ジョイって呼んでくれよ。緋色でいいか」
「ええ、大丈夫です。ジョイさん」
「さん!? クラスメイトだぜ、気楽にいこうや。イェア!」
ジョイは両手の親指を立て、ノリよくこちらへ突き出してきた。
「ああ……そうだね。よろしく、ジョイ」
そういうと、彼はニッと笑った。
「てか、お前すげーな。姫さんが人と喋ってるところ、はじめて見たぜ!」
「はじめて見たって、同じクラスだろ」
「本人は誰とも喋ろうとしないし、横にいる傷野郎がヤバいんだよ。近づけないって」
「傷野郎……イルゼさんのことか」
「四六時中、姫さんの横にいてよ──“番犬”って呼ばれてんだ。前に話しかけた奴が、斬られかけてな……誰も近寄らなくなっちまったんだ」
容易に想像できる。本来ならば、俺もそうなっているのだろう。
「ちなみにその話しかけた奴は、オレだ」
「お前かよ。なんて話しかけたの」
「ヘイヘイ可愛い姫さんミレイユさん、彼氏いるのか教えてジョイだぜおっぱい何カップ?」
ジョイはラップ調に言葉を刻みながら、くねくねと体を揺らした。
「殺されなくてよかったな」
「あーあ、彼氏いるのかな~」
「さぁな」
「姫さんの趣味は?」
「うーん……なんだろう」
よく考えたら、俺はミレイユのことをよく知らない。
「緋色、もしかして、お前……男がいい、のかッ!?」
ひぃっとジョイは仰け反った。
「オレは痔持ちだ、受けは無理だぜ」
「勘弁してくれ。仮にそうなら、もう少しイケメンを選ぶよ」
「あっ、こいつ! ひとの顔を馬鹿にしやがった!」
「悪い悪い」
俺は軽く笑い、廊下を進んだ。
「ちょ、待てよ。胸と尻どっちが好きなんだ!」
「それは、悩ましい質問だな……」
こいつとは良い友達になれる気がする。
穏やかな空気に、肩の力が少し抜けた。




