第七十六話「飛び級の天才」
ジョイと連れ立って廊下を戻り、階段へ差しかかった。
そのとき──
「わっ……!」
上から小さな悲鳴が聞こえた。
舞い上がる本、はためく白い研究衣、揺れる緑の短髪。
とっさに手を伸ばし、倒れ込んできた細い身体を抱き留めた。
「大丈夫ですか」
俺の胸に沈んだ顔が上がり、
「すみませ、ん?」
緑の瞳が細まった。
この顔──いつもの眼鏡はないが、間違いない。
俺が泊まっている宿、星見館の店主だ。
「山田さん──」
「ステラか」
「なにしてるの」
「あ~……今日から、学生になった」
「三十二歳……だよね」
ステラが眉をひそめると、ジョイが横から割り込んできた。
「今どきこんな定番ラブイベント起こすやついる? しかも、ステラ・グリンデルと!」
「知ってるのか」
「有名人だぜ。なっ、飛び級の天才ちゃん」
「飛び級なんて、珍しいことでもないよ。あと、そろそろ離してもらえると……」
「あ、ごめん」
俺の腕から離れると、ステラはほんのり頬を赤くしていた。
白い研究衣に包まれた身体を見ても、性別はいまだに不詳だ。
散らばった本を拾うステラに、俺たちは手を貸した。
三人で本を抱え、廊下を進んでいく。
やがて、ステラが足を止めたのは──3-Bと書かれた教室の前だった。
「じゃあ、僕はここだから。ふたりとも、ありがとう」
学生だとは聞いていたが、隣のクラスとは。
「持てるか」
「うん、大丈夫」
腕の中に本が積み上がると、ステラはその横から顔を覗かせた。
「またね──山田くん」
「……ああ、それじゃ」
手を振って見送ると、ジョイが肘で小突いてきた。
「仲良しじゃん。モテるやつは憎いねぇ」
「茶化すなよ。そもそも女子なのか、あの子」
「しらね。貧乳に興味ねぇ」
「ミレイユも別にでかくないじゃん」
「甘いねぇ、緋色くん。ありゃ着やせするタイプですよ。おっぱいソムリエ──このジョイさまの目は誤魔化せねぇ。ミレイユちゃんは推定EからF──制服のサイズが最近合わなくなって胸がキツいはずだ」
「す、すげぇ──!」
「女のことなら、なんでも聞きなブラザー」
この褐色アフロ、危険すぎる。
ミレイユには近づけないようにしよう。
二限も引き続き、キミドリ先生の授業だった。
題目は、集団戦術の基礎。
スクリーンに映ったのは、冒険者たち──大盾を構える重戦士の男を先頭に、女剣士と老爺の魔法使いが脇を固め、後方には杖を持った支援役の少女が控えている。
標準的なパーティは四人編成で、三人が戦闘を、残る一人が回復や補助を担うらしい。
前衛が敵を受け止め、遊撃役が死角を補い、支援役が全体を支える。開けた場所では横に広がり、狭い通路では縦に並ぶなど、地形によって陣形も組み替える。仲間の一人が崩れれば、近くの者が穴を埋め、その間に支援役が立て直す──実例を交えながら、説明が続いていく。
「来週の野外試験も、この編成で臨んでもらいます。詳細はのちほど、掲示板に貼り出しておきます。班分けは当日発表するので、各自備えておくように。では解散」
キミドリ先生は教本を閉じると、教室を出ていった。
「野外って、外に出るってことか。それに班分け……」
右にいるミレイユに視線をやると、彼女は察したように微笑んだ。
「大丈夫──野外といっても、試験場は学内だから。班については護衛の都合があるし、一緒にしてもらうように言っておくね」
「なんか危ない感じするけど……試験って、顔パスとかできないの」
「次期女王になる私が、そんなズルいことできると思う?」
「ですよね~」
頭をかいたとき、イルゼが席を立った。
「心配するな──私が、姫さまを守る。姫さま、次は戦闘実技です。行きましょう」
「ええ」
──不安だ。
俺は、横で寝ているフィオナを揺らした。
「フィオナ、移動だぞ」
「ぬぁ……」
「よくそんな寝られるな」
「話つまんないんだもん」
欠伸混じりにフィオナがいうと、一段前の席に座っていたアフロが振り向いた。
「眠る美少女エルフ──まるで一枚の絵画のようです」
「だれ?」
「私は、ジョイ・ハリス。以後お見知りおきを、レディ」
ジョイは手を差し出した。なんて凛々しい顔なんだ。
フィオナは寝ぼけ眼のまま、その手を握った。
「ふぁい」
「うおぉッ! 握手ッ! ありがとうございます!」
アイドルのファンかよ。
仰け反るジョイを横目に、アナスタシアは席を立った。
「先に行くぞ」
「俺たちも、行こう」
三限は、総合戦闘実技。
何をやるのか、ちょっと楽しみだ。
教室を出た俺たちは、実習棟へ続く廊下を進んだ。
窓の外に広がっているのは、なだらかな草原、森や岩場、人工の川らしき水面。各所には白い塔や、石造りの建造物が点在している。
校内とは思えない景色を眺めていると、横からミレイユの声がした。
「おっきいでしょ。学府の演武場は、外周十キロあるのよ」
「十キロ……」
たしか、日本の皇居外周が五キロだから──うん、でけぇな。
「あ、男子の更衣室はあっちね」
示された先の通路には、壁に“男子更衣室”と書かれている。
濃い木目の壁に沿って、通路が直角に折れていた。
「あの──俺たち、着替えとか貰ってないんだけど」
「行けばわかると思うわ。フィオナ、行きましょ」
「ほーい」
女子たちは足早に歩いていった。
更衣室に入ると、壁一面に細長の白い扉が並んでいた。表面には、銀色の星章が刻まれている。
生徒が制服の校章をかざすたび、正面の扉が横滑りに開いた。着替えが出る仕組みのようだ。
他の生徒にならい、俺も胸元の校章をかざした。
壁に刻まれた星章に光が走り、扉が開いていく。
すると、奥からハンガーがせり出してきた。掛かっているのは、黒い服の上下──見た目はジャージに近い。胸元には、制服と同じ銀の校章が付いている。
学ランを脱ぎ、実習服に袖を通していく。伸縮性のある生地で、制服よりはるかに動きやすい。
ベルトも締めてっと……よし、着替え終了。
空いたハンガーに学ランを掛けると、ハンガーはそのまま奥へ吸い込まれていった。
──画期的だ。
横を見れば、着替えを終えたジョイが壁に張りついている。
「なにしてんだ」
問いかけると、ジョイは厚い唇に人差し指をたてた。
「しっ──耳を澄ましてみろ」
壁の向こうから微かに聞こえるのは、ミレイユの声。
「フィオナ……きれいな体ね」
「傷とか、すぐ治っちゃうんだよね~。アーちゃんのほうが綺麗だよ、ほら!」
「触るな」
女子更衣室から聞こえる声に、ジョイは天を仰いだ。
「この壁を隔てた向こうに、楽園が広がっている──オレは、壁になりたい」
「動けないけどいいの」
「動ける感じのやつになるんだよ!」
「モンスターじゃねぇか」
他愛もない雑談をしながら、俺たちは更衣室を出た。
棟を抜け、外に出ると──見えてきたのは、白石の門。
門をくぐった、その瞬間。
眼前に広がったのは、見渡すかぎりの緑地だった。遠くには森や岩山まで連なり、端はまるで見えない。演武場──グラウンドのレベルを超えている。
俺は視線を戻し、まばらに集まった生徒たちを眺めた。
男子が黒。女子は白。その中でひと際目立っているのは、深緑の実習服を纏う二人の生徒だ。
ひとりは教室で見た、金の短髪に碧眼の男。
もうひとりは、茶髪を肩に垂らす少女。灰色の瞳は鋭く、勝ち気な光を宿している。
あとは、暗紅色の実習服を着たミレイユだけが浮いていた。
しばらくすると──門の脇にある白石造りの建物から、青い実習服のマツ先生が出てきた。筋肉で前が閉まらないのか、白いシャツが丸見えだ。
マツ先生は生徒たちの前まで歩いてくると、両手を叩いた。
パンッ!
「ちゅうも~く!」
騒いでいた生徒たちの声が、次第に静まっていく。
「今日は特別講師として、現役の冒険者に来てもらった! 先生、お願いします!」
マツ先生の後ろ──建物の陰から、誰か出てくる。
足音はなく、気配もまるで感じない。
目を向けていなければ、姿を現したことにも気づかなかっただろう。
──相当な手練れだ。
思わず、喉がごくりと鳴った。




