第七十二話「死亡遊戯」
崩れたホームの中央で、アナスタシアとネブラ──蒼銀と紫の気配が、火花もなくぶつかった。
ネブラは上体を横へ折り、唇をぽかんと開けた。半ば閉じていた翡翠の左目が、食い入るように見開かれていく。そして、右目に埋まった時計をガリガリと掻いていた。
「う~ん……」
──不気味だ。
その間に、黒い渦は小人の姿へ戻った。
タンッ。
小人は軽快に降り立つと、てくてくと歩いてきた。
座り込んでいた俺の前で止まり──腹に刺さったナイフに、ぴとりと小さな手が──
おい、まさか、
引き抜──
「ウッ」
「痛ッァ゛ア゛アアッ!!!!!!!!」
抜いたナイフを掲げ、小人は野太い声で笑っている。
「ハッ、ハッ」
「なにすん──」
小人は俺の腹を叩いた。
「ハッ!」
「ぐぉッ!」
腹に押し当てられた小さな掌に、緑光が滲んだ。
じわりと溢れた血が、止まっていく。
「っ……傷が……」
傷口が、塞がっている。
「ハッ、ハッ」
「ほう、よかったな。サービスだそうだ」
アナスタシアは淡々と言った。
「もっと、こう……優しさとか、ないんですか……」
激痛で失神しそうだ。
小人はウッと一礼すると、きらめく粒子となって消えていった。
最後の一粒が消えた向こう──横へ曲がっていたネブラの上体が、ぐわんと垂直に戻った。
「隙がまるでない。キミ、強いんだね──そこそこはさ。詠唱するってことは魔法使い──」
アナスタシアの指先がすっと上がり、小石ほどの氷弾が撃ち出された。
予備動作なし、空裂く一閃──ッ!
ネブラは首を傾けた。一拍遅れ、頬からつうっと血が垂れ落ちていく。
「ひどいなぁ……話の最中に」
「戦闘にルールはない」
「クク……アッハハハハ!」
ネブラは狂ったように笑うと、指先で頬の血を拭った。
「たまんないなァ。死亡遊戯ができるなんて、今日は運がいい──ツいてる!」
身をよじるたび、声は高く、激しさを増していく。
「あぁ──その強気な顔を剥がして、犯して、腹の中までかき混ぜたら──ッ!」
ぴたりと動きが止まると、ネブラはそっと首を傾げた。
「どんな顔するんだろうなぁ」
「ふん、気狂いめ」
アナスタシアが吐き捨てると、ネブラは行儀よくスカートをつまんだ。
「ふふ、始めようか。最終演目は──美女の断頭台」
言い終わるや否や、アナスタシアは右手を左へ掲げた。
虚空に、氷のつぶてが錬成されていく。
右手を外へ、薙いだ──ッ!
轟然と放たれる氷弾が、雨あられに乱れ飛ぶ。
ネブラは指先から銀糸を放ち、近くの石柱へ巻き付けた。糸が張り、引かれた体は宙へ舞う。氷弾の雨を縫うように旋回していく。
「いいなぁ。髪は綺麗、顔も可愛い、魔法も使える──世界は不公平、いつだってそうだよね」
着地することなく、銀糸は次の柱へと伸びていく。
ネブラの体は大きく弧を描き、氷弾はその背後を追いかけた。
「知ってる? 人生の九割は、お金で買えるんだよ」
小柄な体が、上へと高く放り飛んだ。
ゴシックな黒スカートが翻り、ネブラはバッと両手を広げた。
「魔女ク~イズ! 誰もが持っていて、何よりも大切なもの、なーんだ!」
両手が振り下ろされ、銀糸の濁流が視界を覆い尽くす。
圧倒的、物量──ッ!
アナスタシアは手をかざした。
青白い冷気が爆ぜ、銀糸は絡み合うまま巨大な氷塊へ変わっていく。
さらにアナスタシアが指を握り込むと、氷塊は轟音とともに砕けた。
星のように散る銀片。だが、その向こうにネブラはいない。
目くらまし──銀の残滓の下、ネブラは低く潜り込んでいた。
「ヒントは時計──ッ!」
地を舐めるような加速に、互いの距離が一瞬で消えていく。
アナスタシアの手に蒼光が宿り、形を成したのは透き通る水晶剣。
振り下ろされる刃の下で、吐息の混じった声がした。
「正解は──じ・か・ん」
カチッ。
針の音が聞こえた。
──止まっている。
アナスタシアの動きが、止まっている──ッ!
「二問目! いま、キミの時間を奪おうとしているのは、だれでしょう?」
ネブラはスカートをたくし上げた。するりと覗く太もも──付け根には黒革の帯が巻かれ、細い小針がびっしりと連なっている。そのうちの一本が引き抜かれると、小針は膨れ上がり、大鉈へと変貌した。
──まずい。
立とうとしたとき、くらりと意識が揺れた。
こんなときにッ!
「答えは──ネ・ブ・ラ♪」
大鉈が、アナスタシアに迫った。
白い首へ、刃先が食い込み──
ザンッ!!!!
首から上が、斬り飛んだ。
頭部は銀髪をなびかせ、宙空で半回転していく。
やがて──
ゴトンッ。
鈍い音を立て、石床へと落ちた。
ごろり、ごろごろ。
「ぁ……」
アナスタシアの、頭が、
頭が、
「ごめんねぇ。痛ぶってやろうと思ったんだけど、手加減できなかったよ」
ネブラが何か言っている。
転がる頭は、俺の前で動きを止めた。
ごろり。
「ぇ……」
指先を伸ばし、触れた。
冷たい。
横から伸びたネブラの手が、頭を拾い上げた。
そして頭を撫で、指の間へさらりと銀髪を通していく。
「この髪、やっぱ良いなぁ。人形にしよう」
残された胴体は、水晶剣を構えたまま静止していた。
おかしい。
何か、おかしい。
そう、そうだ。
血が、流れていない。ただの一滴も。
異変に気づいたのか、ネブラは手にした首を回した。
「ん~……?」
頭部がぐらりと傾く。その途中で、青い眼球がぎょろりと回った。
小さく開いていた口が、動き出す。
「首を落とされたのは、ひさしぶりだ」
「うわァッ!」
ネブラは首を放り投げた。
ごろり、ごろごろ。
止まっていた胴体は動きだし、転がる首を雑に拾い上げた。
「キミ……生きてるのかい……」
胴体の断面から、蒼炎が噴き上がる。
ぐりぐりと頭がねじ込まれ、裂けた皮膚が継ぎ目を覆っていく。
蒼炎が完全に消えると、アナスタシアはごきりと首を鳴らした。
「意識の遮断──察するに精神干渉か。最初に使わなかったということは、距離か、発動条件がある。そんなところだろう」
「……なるほどね。変な感じがすると思ったら……キミ、そっち系かぁ」
ネブラはおどけた仕草で、自分の額をぴしりと打った。
──原理は不明だが、アナスタシアは無事らしい。
「ずるいなぁ。人間じゃないなら、最初に言ってよぉ」
「ふん」
アナスタシアは鼻を鳴らし、胸に手を当てた。
白いキャミソールを蒼光が覆い、ドレスの輪郭が織り上げられていく。
二つ結びを留めていた髪紐もほどけ、銀の長髪が背へと流れた。
紺碧のドレスの裾が、風を孕んで舞い上がる。
伏せられていた長いまつ毛が静かに上がり、深海のような瞳が覗いた。
「幻想魔典」
掌の上に現れたのは、一冊の本。氷晶めいた装丁は、見惚れるほどに美しい。
ネブラは口元に手を当て、左右へ歩きまわっていた。
「想定外……想定外だ。いや、うーん」
「雪原の氷姫、第一章」
「あ~、ちょっと待った!」
ネブラは声を張るが、アナスタシアは止まらない。
「眠る蛇は春待たず、雪喰らいて腹満たす」
開かれた氷晶の本──薄い氷のようなページが、ひとりでに捲られていく。
本の隙間から、肌を刺すほどの冷気が漏れだした。
「帰ることにするよ。ほら、あれ見て、結界が壊れそうだ」
ネブラが示したのは、ホームの端──宙に亀裂が走り、虹色の膜が歪んでいる。
「目立つと、お母さまに怒られちゃうしさ」
「這い貪れ、白の災禍──」
本から噴き出す冷気が、床を白く凍てつかせていく。
氷霜は石床を呑み、柱を這い、崩れたホームの果てまで駆け抜けた。
「ああ、でも勘違いしないでね。僕は負けたわけじゃない──そう、時間がないだけさ」
ゴゴゴ──。
地面が揺れた。
下に、なにかいる。
なにか、途方もなく巨大なものが──ッ!
後退していくネブラへ、アナスタシアは本を突き出した。
「≪雪葬大蛇≫!」
叫びが空気を震わせた。
直後。
霜に侵された床が、ぐわりと盛り上がった。
石床を飛び出したのは、白鱗の大蛇。
うねる巨体。
琥珀色の双眸。
牙の並んだ顎。
ホームを吞むほどの大蛇が身をしならせ、ネブラへ迫る。
逃げ場はない。
大蛇が口を開いたとき──ネブラは、不気味に微笑んだ。
ねっとりと粘つくような笑みが、紫の唇に張りついていた。
「また来るよ──ばいばい」
ダァン──ッ!!!!
大蛇がネブラを呑み込んだ。
白鱗の巨体が爆ぜ、凍てつく轟風がホームを駆け抜ける。
霧のような雪煙が、辺りを白く染め上げた。
視界が晴れていくと──そこに、ネブラの姿はなかった。
砕けた床の上で、虹色の亀裂だけが揺らめいている。
「……逃げられたか」
舌打ちするアナスタシアに、俺は小さく声をかけた。
「助かったよ」
「いや、丁度いいときに呼んでくれた。よくやった」
なぜか感謝されながら、アナスタシアの差し出す手を掴んだ。
──くそ、貧血なのか、足元がおぼつかない。
「厄介なやつに目をつけられたな。お前の周りは、なぜこうも変な女ばかりなんだ」
あなたもその一人なんですけど。
そう言おうとしたとき、くらりと視界が歪んだ。
あっ──やっぱ、血が足りな──。
俺の意識は、深く沈んでいった──。




