第七十話「使いたくなかった」
多腕の重騎士は、鉄球付きの鎖を二本引きずっていた。
じゃらりと振り回し、からの投擲──ッ!
轟ッ!
唸りを上げ、二つの鉄球が飛んでくる。
俺は後ろへ跳んだ。
ドンッ!
前方の床が陥没し、濃密な石塵が辺りを覆う。
直後、重騎士が煙を裂いた。
距離を潰す超加速──速い──ッ!
多腕の一本から、長槍が突き出される。
体をひねり、かわす。重騎士は踏み込み、上段から大斧を振り下ろす。
回避──だが左から、円柱鈍器の横薙ぎが迫る。
「ッ!」
避け切れない。
瞬時に右へ飛び、身を固めた。
強烈な衝撃が腕を打ち、身体が宙へ弾き飛んだ。
石床を跳ねるように転がり、そのまま柱の陰へ滑り込んでいく。
「く……ッ……」
凄まじいパワーだ。
衝撃を逃していなければ、いまの一撃で終わっていただろう。
立ち上がろうとした瞬間、胃の奥から吐瀉物が込み上げた。
「おぇ……ッ……飲みすぎたな……」
こんな時にだるい体が恨めしい。
口元を拭い、柱の陰から先を覗いた。
──身長三、四メートルはあるだろうか。
漆黒の装甲に包まれた重騎士が、がちゃり、がちゃりと歩いてくる。
その後ろでは、ネブラが踊るように体を揺らしていた。
「どこいったのかなぁ。ふふ」
──厄介だ。
あの重騎士、接近戦のパワーは魔獣並。
円柱鈍器はたいした速さじゃない。問題なのは、背についた六本の多腕だ。
二本の大斧が速度を補うように振るわれ、距離をとれば槍が伸びる。
さらには鎖付きの鉄球──たしか名称は、フレイルだったか。飛び道具まで持っているときた。
対する俺は素手。武器は、さっき拾った小石の残骸。
よくない状況だ。
選択肢は三つ──戦う、逃げる、助けを呼ぶ。
──よし。
俺は、石柱を背に走り出した。
「みーつけた」
不気味な声とともに、背後から鉄球が飛んでくる。
大きく跳んでかわし、さらに奥へ。
階段の前まで行くと、異質な気配を感じた。
──膜だ。
虹色の油膜にも似た何かが、行く手を遮るように張られている。
俺は、懐に入れていた小石を投げた。
それは音もなくすり抜け、奥へ。
後ろには、もう脅威が迫っている。
──行くしかない。
俺は、虹色の膜へと飛び込んだ。
その先に広がっていたのは──陥没した床と、半壊した駅のホーム。
「これは……」
奥に視線を向けると、背を向けた少女──ネブラがいた。
彼女は振り返ると、にぃっと微笑んだ。
「ああ、戻ってきたんだ」
ズン、ズン。
ほの暗い奥から、重騎士がゆっくりと歩いてくる。
「反撃したっていいんだよ……羊さん」
どうやら、逃げるのは無理らしい。
──さて、どうするか。
考えている間に、重騎士は距離を詰めてきた。
鈍器の振り下ろし──ッ!
横へ飛び、回避。追うように斧が降ってくる。
後ろへ跳んだ。瞬間に、長槍の追撃。
ダン、ダン、ダン!!!!
猛攻を紙一重で避けつつ、思考を巡らせた。
──何か。突破口は、何かないか。
重騎士の弱点は、どこにある。
観察していると──黒鎧の背後に、薄い糸が巡っていることに気づいた。
魔力が流れる糸──動力は、あれか。
後ろにいるネブラは、大きく腕を振るった。
「ふふ、ダンスがうまいね。死なないでね……持って帰りたいから」
推測でしかないが──重騎士はただの人形、操作しているのはネブラだ。
背後の糸を切るか──いや、素手で切れる強度ではない。
重騎士をぶっ壊す──拳で?
ネブラ本体を叩く──先ほどの、嫌な感じが拭えない。
選択肢は多くない。このまま考えていても、じり貧だ。
女を殴るのは趣味じゃないが……
「やってみるかッ!」
俺は地面を蹴った。前へッ!
「ああ、そう来るんだ」
重騎士が立ちふさがった。
六本の腕が唸り、豪雨の如く重撃が降ってくる。
速い。今まで加減していたのか。
しかし、
「思考加速──ッ!」
速さは、俺の方が上だ。
景色が鈍る。
振り下ろされる大斧。
迫る槍先。
飛び散る破片まで鮮明に見える。
直感で分かる──チャンスは一回。
全身に力を込める、ありったけ。
筋肉が引きつるほどの負荷に、全身が悲鳴を上げた。
速く。
もっと速く。
もっと──ッ!
爆発的加速。重騎士の脇を抜け、ネブラの紫髪が見えた。
踏み込み。
腰を回す。
すべての力を、拳へ。
全力で、ぶん殴るッ!!!!!!!!
止まる世界の中で、ネブラの唇が、ゆっくりと吊り上がった。
カチッ。
針の音が、聞こえた。
目を閉じ、開いたとき。
「……あッ?」
俺は、床に膝をついていた。
──何が起きた。
そう思った直後、下腹部から焼けるような激痛。
確かめるように手を伸ばすと、指先に血がべとりとついた。
小ぶりの短刀が、腹に突き刺さっている。
遅れていた痛覚が、一気に押し寄せた。
「ぐァア゛ッ……!」
いつのまにか、ネブラが俺を見下している。
「ふふ、惜しかったね。楽しかったよ……お兄さん」
ネブラは翡翠の瞳を細め、俺の頬を撫でた。
恐ろしく冷たい手だ。
指先からしゅるりと音がすると、銀糸が身体へまとわりついてきた。
「安心して、殺さないから……帰ったら、もっと遊ぼうね」
体が動かない、
どうする。
血の這いあがる口内から、浅く息が漏れた。
情けない、
いつもそうだ。
誰かに助けてもらわなければ、自分のことすら守れない。
挙句の果てに、
また縋ろうとしている。
俺は、
こんなにも弱い。
「──たくなかった」
「んっ?」
「使いたく、なかった……」
奥歯を噛みしめ、言葉を絞り出した。
震える左手、人差し指に嵌められているのは──黒金の指輪。
魔力に呼応するように、指輪の蒼石が淡く輝いた。
耳の奥で蘇ったのは、冷ややかで、透き通る声。
『お前に死なれると面倒なんだ』
俺は拳に力を込めた。
そして──持てる限りの魔力を、指輪へ叩き込んだ。




