第六十七話「十六夜会」
黒銀の長髪を揺らし、リゼリアは暗闇の中を歩いた。
足を止めたのは、私の真正面──ぼんやりⅠと光る場所。
すぐにせり上がってきた銀の椅子に、彼女は腰を下ろした。
「第六席・蒼き智謀アナスタシアさん。貴女を、粛清せねばなりません」
真っすぐ私を見据え、彼女はそういった。薄笑は崩れていないが、剣呑な覇気を感じる。
「デカい口を利くようになったな。物事を決める前に、まずは議論すべきだろう」
私がそういうと、リゼリアは椅子のひじ掛けを指で叩いた。
コン、コン。
「あなたと同時期に、夜会長が失踪しました」
「九席から聞いている」
マリエッタを見ると、顔をしかめている。巻き込むなと言いたげだ。
「我々の──十六夜会の使命は、なんですか」
「……世界の調律」
「その通り。十戒を厳守し、何を犠牲にしても、世の調和を図ってきました」
「私が裏切ったと、そう言いたいのか」
「ええ」
「動機がない」
私がそう答えると、リゼリアは席を立った。
こちらへゆっくりと歩いてくる。
一歩、また一歩。
手が届く距離まで来ると、彼女は足を止めた。
「秩序を失った魔女は、怪物と変わりない」
「話を聞け。リゼリア」
「説明は結構」
リゼリアは、左目を覆う黒布を外した。
その下には──白銀の瞳。虹彩の奥には、無数の光輪がある。
「魔眼を使う気ですか」
右から、鈴を転がすような声がした。ベロニカだ。
「以前から思っていましたけれど……同胞に対して、やりすぎではないかしら」
「言葉ほど、信用できないものはありません」
そういって、リゼリアは近づいてきた。
長い指が私の頬をなぞり、唇が触れそうなほど、近く──。
「やめておけ」
「見せてもらいます。あなたが、怪物でない証拠を」
リゼリアは瞳を見開いた。白銀の光輪が回り、回る、回っている。
覗かれていく。
心を。
体を。
すべてを。
「忠告はしたぞ」
胸に刻まれた黒蛇印が疼いた。
私の内には、悪魔がいる。
黒い双角。
乱れた紫髪。
憎悪を煮詰めた紫眼。
それは闇の底で、ただ静かに座っている。
薄黒い唇が、嗤った。
「……ッ!」
リゼリアの銀眼から、一筋の血が垂れた。
「あなた……何を飼っているのですか」
「だから、やめろと言った」
私がそういうと、リゼリアは頬まで垂れた血をぬぐった。
笑みはもう、崩れていた──。
リゼリアは向かいの席に戻り、黒布で銀眼を覆った。
「つまり……あなたは今、人間の奴隷ということですか」
「不本意だが、そうなる」
「どれいっ!?」
ベロニカは勢いよく席を立った。
「アナスタシアさん。もしかして……ラ・ヴ、ですの?」
「……ちがう」
「何その、ん間ッ! メロい! メロすぎますわ!」
仰け反ったベロニカを無視し、私は正面を見た。
「身の潔白は証明した。現状を教えろ」
リゼリアは息を軽く吐き、首を横に向けた。
「ティティさん」
声が向けられた先にいたのは、第四席──黒衣の男と、その腕に抱えられた少女。
男は少女の灰紫の髪を撫でると、黒いドレスの裾を整えた。
「かしこまりました──と、ティティは言っています」
そういって男は席を立ち、少女を片腕に抱えて歩んだ。
タン、タン。
軽い足音は中央で止まり、男は小さく会釈した。
「あらためまして、十六夜会第四席──書記のティティ、そして兄のロイドと申します」
ティティは兄に抱かれたまま動かず、灰紫の瞳をこちらへ向けている。喋る気はないようだ。
「大魔戦争を覚えていますか」
「ああ」
ロイドの腕の中で、ティティは小さく手をかざした。
次の瞬間、宙空に淡い光が滲んだ。
「人間と亜人の争いは、一度で終わりませんでした。大陸はその後、さらに二度の大戦を経験しています」
宙に映し出されたのは、燃え落ちる城塞。
黒煙を上げる荒野。
空を飛ぶ悪魔、巨躯の鬼人、獣耳の戦士。
進軍する亜人の軍勢を、銀の騎士たちが迎え撃つ。
黒と白の軍旗は交錯し、人と亜人が入り乱れていた。
「一八五〇年。ロレリア聖王国と魔王領ノクティスバルドが衝突。五年に及ぶ戦争の末、両国は停戦協定を締結──これが、第二次大魔戦争・魔界戦役です」
ティティは小さく指を動かした。
戦場の映像が揺らぎ、浮かび上がってきたのは──黒衣を纏う、白い短髪オールバックの老女。
深い皺が刻まれた顔の半分は、爛れたような傷跡に覆われている。
この女は、先代の夜会長イザベラだ。いつも葉巻をふかし、煙たいやつだった。
「アナスタシアさんが消息を絶ったのはこの時期で、先代の夜会長も同じく失踪しています」
次に映し出されたのは、薄暗い地下堂。中央は淡く照らされ、巨大な十字架が据えられている。
そこに縫い付けられているのは、ひとりの女。いや、女だったもの、というべきか。
それは人の姿をした肉塊だった。赤黒い肉片は絶えず蠢き、膨張と収縮を繰り返している。
どくん、どくん。
肉塊が鼓動するたび、全体に打ち込まれた黒い大杭が軋んだ。
肉塊の頂からは白い髪が垂れ下がり、剥きだしになった心臓へ伸びている。
その心臓には、一冊の黒い本が根を張るように食らいついていた。
「さらに、魔女の遺体と同化した禁書──“黒の封書”が消失しました」
「なに?」
「行方は分かっていません。当初、我々は先代の夜会長イザベラさんと──」
ロイドはこちらを見た。
「消えた私を疑った、というわけか」
「はい。封書の場所は──夜会十席の皆さましか、知りえない情報ですから」
パチン。
ベロニカは赤い扇子を広げ、口元を覆った。
「黒の封書に封じられているのは、最も傲慢で、最も凶悪な堕神──“冒涜の原罪フラグラ”。悪用されれば、大変なことになるでしょうねぇ」
扇子の向こうで、桃色の瞳は妖しく細まっている。
「そうならないように、私たちがいるのでしょう」
リゼリアは咎めるように言った。
「話を進めてください」
ロイドが頷くと、今度は炎に包まれた集落が映った。
人間も亜人も区別なく倒れ、焼け落ちた家々から黒煙が立ち上っている。
子供の泣き声と無数の悲鳴が、映像の中に響いていた。
「次に、一九四二年。亜人復権運動は激化し、国境周辺で襲撃事件が相次ぎました。その結果、停戦協定は崩壊──西方大陸オルドランからの巨人族侵攻が、さらなる混乱を巻き起こします」
映し出されたのは、鎧で全身を覆う巨人。
地平線の向こうに立つそれは、雲を突くほどに大きい。
一歩。
森が潰れ、大地が揺れた。
その背後から現れたのは、無数の巨人兵たち。
先頭の巨人には及ばないが、それでも人間の五倍はある巨体の群れが森を進んだ。
「これが、第三次大魔戦争・終末大戦です。戦争の裏では、和平派の暗殺、情報操作、偽装工作、過激派の扇動などが起きており──そのいずれにも、外部勢力による介入の痕跡がありました」
宙空の映像が黒く染まった。
そこに浮かび上がったのは、黒薔薇の紋様。
「呪印です。発見された呪印はいずれも黒い薔薇を模しており、近づいたものを呪殺、あるいは精神干渉を及ぼしたと思われる事例が確認されています」
ロイドは淡々と告げた。
「我々は才のある魔女たちを集め、調査部隊──“梟”を編成。聖王国の異端審問機関──破魔の天秤と協力し、調査を開始。そして、関係者と思われる者と接触しました」
夜月を背景に浮かび上がったのは、漆黒の大鎌。
それを背に持っているのは、黒い花嫁衣装の──おそらくは女だ。
顔は白面で覆われており、素性は読み取れない。
白面が横へ向くと、大鎌が振るわれ──映像が斬り落とされた。
「我々はこの者を“無貌”と呼称。これまでに梟の精鋭と、天秤所属の冒険者が多数死亡。無貌の他にも、複数の異端魔女が関与していることを確認しており──」
映像が黒く染まった。
浮かび上がるのは、月を覆う影。
「事件の前後には、例外なく月蝕の発生が記録されています。そして、この勢力を月蝕──“エクリプス”と呼称。以来、月蝕を最優先監視対象に指定し、現在も行方を追っています。現状報告は以上になります」
「結構。下がってください」
リゼリアがそういうと、ロイドとティティは席へと戻っていった。
異端魔女に、月蝕。
現れたのは、第三次戦争から?
──ちがう。
アイシャが呪印に侵されたのは、もっと前だ。
あれは、周到な準備がなければ不可能だった。
いつからだ。
第二次戦争?
いや、もっと前から、月蝕は存在していたのではないか。
歴史の影で、誰にも知られることなく、気の遠くなるほど昔から──。
リゼリアは軽く息を吐いた。
「しかし困りましたね。あなたが何も知らないとなると、また振り出しです」
「全員調べたのか」
「もちろん。夜会十席は、みな調査済みです。黒の封書を持ち出した者は、誰一人いませんでした」
「偽証の可能性は?」
「私に嘘が通じないことは、知っているでしょう」
そう──リゼリアの左目は、他者の思考を見抜き、過去を見通す古代魔装──≪刻視の魔眼≫だ。
どうあがいても嘘はつけない。しかし、そうなると……。
リゼリアは唇に指を触れた。
「やはり夜会長が──」
「ババァが裏切るのは、考えにくい」
「なぜそう言えるのですか」
「私が最初にやつと会ったとき、あの女は──ここで死ぬか、大人しくついてくるか、どちらか選べと言った。あれは……魔女というものを、誰よりも憎んでいる」
「……」
「大方、やむを得ない状況に陥ってるんだろう」
マリエッタは頬杖をついた。
「殺された可能性もあるんじゃない?」
「それも……考えにくい」
数えきれないほどの怪物を相手にしてきたが、イザベラはその中でも群を抜いている。
殺される姿など、まったく想像が出来ない。
わずかな沈黙の後、リゼリアは第八席へ顔を向けた。
「ハルメリアさん」
やけに静かだと思えば、ハルメリアは寝息を立てている。
「すぅ……」
「ハルメリアさん!」
張った声に、ハルメリアの肩はびくりと跳ねた。
「ぅっ──あっ、はいっ。なんれすか」
「妖精霊域アルヘイムは、どうなっていますか」
「えっ。えーっと、最近おいしいお菓子が流行ってて、すっごく美味しいんです。亜人の移住者もめっきり増えまして──」
雑談に近い報告に、リゼリアは眉間を揉んだ。
「はぁ……もういいです。変わりないのですね」
その後も情報共有は続いた。
マリエッタはエンバータウン。ベロニカは魔王領。ティティとロイドは北方大陸について。
各地で発生している事件や異変について報告が行われたが、いずれもエクリプスとの直接的な関連は確認されていなかった。
宙に浮かぶ黒薔薇の紋様だけが、いつまでも脳裏から離れなかった──。
一通りの議題を終えると、夜会は閉幕となった。
マリエッタとハルメリアは、出口へ歩きながら談笑している。
「温泉にハマッたのよねぇ」
「え~、そうなんですかぁ?」
「もうツルッツル!」
雑談する二人の背に続き、黒金の扉を出ると──
黒。
一面が黒に染まった。
その中で、銀の蝶が一匹飛んでいる。
「今度は何だ。リゼリア」
そういうと、銀蝶は淡く光り──黒銀の魔女へと姿を変えた。
「秘密の話は、闇に溶かす。魔女の基本でしょう」
「もう見たと思うが、隠していることはないぞ。それとも、カリオスの件を咎めたいのか」
「アナスタシアさん──貴女のすべてを許します」
「粛清するといったり許すといったり、忙しいやつだ。夜会の長になって耄碌したか」
「ふふ。そんな口を利いてくる魔女は、随分と減りました」
リゼリアは私に近づくと、ずいっと顔を覗きこんできた。
「私の手伝いをしてくれませんか。エクリプスを追い詰める──共同戦線です」
「おかしなことを言う。すでにみな協力しているだろう」
「夜会も大きく変わりました。今となっては一枚岩ではない。先代がいれば、悩むことなどなかったのですが……」
「何を悩む」
「情報が漏れているように思うのです」
「内通者を許すほど、お前は甘くないだろう」
「ええ、もちろん。しかし、私とて完璧ではありません。何か見落としている気がするのです」
「それで……何をしろというんだ」
「私には見えないものを、見つけて欲しいのです」
ようするに、独自に調べろということだ。
魔眼でも解けない問題を、どうしろというのか。
「それとも、人間と乳繰り合うのが忙しいですか」
「あれと一緒に居るのは、単なる成り行きだ。ベッドは狭いし、エルフもやかましい」
私は胸の黒蛇印をおさえ、言葉を続けた。
「これさえなければ、書庫に帰りたいと思っている。私は──人間とは相容れない」
「嘘ですね」
「嘘じゃない」
「では、本心ではないのでしょう」
「なぜそう思う」
「貴女は嘘をつくとき、不自然に饒舌になるからです」
リゼリアのニヤケ面に、思わず眉が寄った。
「彼を気に入ったのですね」
「そういうわけじゃない」
「あなたの可愛らしい一面が見られて、満足です」
「もう帰る。何か気づけば教える。はやく失せろ」
追い払うように手を振ると、リゼリアは小さく笑い、一歩後ろへ下がった。
銀混じりの黒髪が、じわりと闇へ溶けていく。
『忘れないでください。いつでも、私はあなたを見ています』
どこからともなく声が聞こえたが、もう気配は消えていた。
「ふん、いやらしい奴め」
暗い視界が晴れていく。
なにやら薔薇の香りがする。
あたりを見渡すと──
天井には巨大なシャンデリア。
大理石で造られた広大な浴槽。
水を吐く黄金の獅子像。
湯面には無数の薔薇の花弁。
湯舟の端で浸かっているのは、金の長髪を垂らす女──ベロニカだ。
「なにをしてる」
「お風呂、ですけれど……」
ベロニカはたわわな胸を湯に浮かべ、呆けた顔をこちらに向けている。
「なぜ、ここに居る」
「わたくしのお城、なんですけれど……」
沈黙が場を包んだ。
リゼリアめ……適当に放り出したな。
こいつの城ということは、私がいるのは、まさか……。
エンバータウンから遠く離れた西南の地──魔王領ノクティスバルドか。
「いっしょに、入りますか?」
困ったようにベロニカが微笑むと、小さな牙が覗いた。
──ここは、夜鬼族の領地だ。
桃色の瞳をぱちくりとするベロニカを見て、私は深く息をついた──。




