第六十五話「魂転環」
選定儀から一夜明け──
俺は、部屋の大窓を開けた。
「ふぁ~……」
あくびが止まらない。体というより頭がだるい。
昨日あまりにも多くのことがあったせいか、脳がまだ処理しきれてない。
ぐっと背を伸ばすと、爽やかな風が頬を撫でた。
朝飯でも食べるか。
振り返ると──
アナスタシアの顔面が前に。
「うおッ!」
あまりの近さに体が跳ね、俺は情けなく尻餅をついた。
あぶねぇ、マジでキスする五秒前だ。
白いワイシャツ姿の彼女は、俺を見下ろしている。
「ど……どうしたんですか」
冷たい視線に、つい敬語になってしまった。
「話がある」
アナスタシアはそういうと、椅子へ腰を下ろした。
──俺、なんかしたっけ。
向かいの椅子へ座ると、彼女は何かを机に置いた。
「持っておけ」
そこにあったのは、黒金の指輪だった。
漆黒の輪に金の紋様が絡みつき、中央には深い蒼の宝石がある。
「これは?」
「“魂転環”──物体を転送する魔装具だ」
「へぇ、何を転送すんの」
「私だ」
「えっ……」
窓の外、小鳥の声だけが響いた。
「私だ」
「いや、聞こえてるけどさ」
「命の危険があれば、魔力を込めろ。全力でな」
「もしかして……俺のこと、心配してる?」
不機嫌そうに、アナスタシアは胸元を開いた。
「うおッ!」
咄嗟に顔を隠した。指の隙間から見えるのは、眩しいほどの白肌──
ではなく、そこには黒蛇の紋様が刻まれている。
「これを治すまで、お前に死なれると面倒なんだ」
「黒蛇印、だっけ……死んだらどうなるの」
「お前の最も近い者に、主人の権利が譲渡される」
「近い者って、家族とかいないけど」
この世界には、だが。
「その場合は、“最も長く隣にいた者”だ」
ということは……
俺は、ベッドで寝ているエルフを見た。
涎を垂らし、下品ないびきをかいている。最悪の寝相だ。
「フィオナか」
そういうと、アナスタシアは苦い顔をした。
「あれが主人になるのを想像しただけで、背筋が凍る」
フィオナに連れ回され、顔をしかめるアナスタシア──
容易に想像できる。たしかに、彼女としては最悪の状況かもしれない。
「まぁでも、死ぬ予定はないよ。危険なクエストは避けるつもりだし」
ファンタジアに来てから、大変なことばかりだった。
この平和な街で、しばらくは休養したい。
そう思っていると、アナスタシアは俺の手を取った。
「いいから持っておけ」
ぐりぐりと、指輪を嵌めようとしている。
「心配性だな」
真剣な彼女を見ると、なんだか笑いがこみ上げた。
左手の人差し指──ここに嵌めるリングは、どういう意味だったかな。
黒金の指輪は朝陽を受け、蒼い宝石を煌めかせていた。




