第六十四話「星詠みの巫女」
ゴォッ──。
金の扉が開かれた瞬間、熱気と音の奔流が溢れた。
そこは、巨大なホールだった。天井は大きく開かれ、桃色の光が雨のように降り注いでいる。
吹き抜けの中央には、青紫の大樹がそびえていた。幹は幾重にもねじれ、枝は空へ手を伸ばすように広がっている。
樹の周囲には石段が何重にも巡り、中央へ向かうほど低い。段の上には椅子が隙間なく並べられていた。見渡す限り人で埋め尽くされ、まるでライブ会場のようだ。
「すごい人だな」
景色に圧倒されていると、モニカが扉を閉める音がした。
「普段は屋内庭園なのですが、選定儀の時だけ改装しています。では、席へ案内いたします」
俺たちはモニカの背に続いていく。
石段を下り、踊り場のような通路を横切り、また石段を下りる。
「星詠みの巫女って、誰が選ぶんだ」
再び通路に降りたとき、横にいたアナスタシアに問うた。
「あれだ」
彼女が指で示したのは、青紫の大樹。
「樹が選ぶのか」
「あれには、女神の力が宿っている。祈った者に、印を刻むんだ」
前にいるモニカは聞いていたのか、顔だけ振り返った。
「お詳しいですね。清く気高く、慈愛を備えた者に、女神は祝福を与えると言われています」
石段を、またひとつ降りていく。
「力を授かった者が巫女となり、一月後の戴冠式を経て、この街の女王となる習わしです」
「中身は関係ないがな」
ぼそりと、アナスタシアはそう言った。
どういう意味だろう。
やがて──
最下層へ辿り着いた。
「こちらへどうぞ」
モニカが手で示した場所は、金の柵で仕切られた最前区画。青い絨毯が敷かれ、背もたれの深い長椅子が並び、傍らには侍従らしき者たち。近くには星の紋章旗が立てられていた。他の席とは明らかに違い、豪華にあしらわれている。
腰を下ろすと、上質なクッションが心地よかった。
目の前には聖樹があり、これ以上ない特等席だ。
樹の根元には、純白の祭壇があった。磨き上げられた床は、桃色の光を受けて淡く輝いている。
「おい。あれは何だ」
アナスタシアが示す先──祭壇の中心には、青い大剣が突き刺さっていた。
刀身は蒼く輝き、鍔には翼を思わせる銀装飾。柄頭には深紅の宝玉が嵌め込まれている。
モニカは眼鏡をかけ直し、小さく鼻息を吐いた。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりだ。
「十神剣のひとつ、第四神剣・蒼天幻武。巫女に選ばれた者が、あの剣を継承するのです」
「ふむ……」
アナスタシアは眉根を寄せた。何か気に入らないらしい。
そのとき、視界の端で水色が揺れた。
あれは──フィオナだ。
当然のように貴賓席に座り、骨付き肉を頬張りながら手を振っていた。
横にいるリリィは顎に手をやり、なぜそこに、という顔でこちらを見ている。
俺は軽く笑い、手を振った。あとで色々聞かれそうだ。
リリィの隣には、葉巻を咥えた壮年の男が悠然と座っていた。黒髪を後ろへ流し、口髭を蓄えた渋い男だ。父親だろうか。背後には金獅子の紋章旗と、メイドのエダの姿もある。いつ来たのか、エリオットもその場に立っていた。
パァーン!
高らかなラッパの音が、広間いっぱいに響いた。
次に聞こえたのは、涼やかな男の声。
「巫女候補──エレノア=グランティナさま。ご登壇ください」
盛大な喝采とともに、頭上から照明が降り注いだ。
照らされたのは遠くの貴賓席。そこから、ひとりの少女が立ち上がった。
白金の長髪は柔らかく波打ち、頭上には金のティアラ。淡い黄金に彩られた礼装は、まるで光を纏っているようだ。
少女は静かに歩き出した。
一歩、また一歩。その所作には一切の無駄がない。
背筋は真っ直ぐに伸び、薄緑の瞳は揺るぎなく前を見据えている。
遠目でも分かるほどに、少女は美しかった。
ふと横を見ると──
ミレイユは下を向いていた。体調が悪いのだろうか。
ポンッ。
肩を軽く叩くと、ミレイユの体はびくりと跳ねた。
「ひぁっ」
「大丈夫か」
「う、うん。大丈夫、大丈夫……」
そう言いながらも、ミレイユは膝の上で両手を握りしめている。
「息、吸って」
「なに」
「いいから。深く、吸って」
「すぅー……」
「吐いて」
「はぁー……」
手の震えは、小さくなったようだ。
「よし、マシになったな」
どう言えばいいか迷うが──
「がんばれよ」
それだけ伝えて、俺はミレイユの背を軽く叩いた。
「……うん」
彼女は小さくそう答えた。
拍手が次第に収まっていく。
「巫女候補──ミレイユ=グランティナさま。ご登壇ください」
進行の声が響くと、光が頭上に降り注いだ。
拍手が再び湧き、ミレイユは小さく息を吸った。
静かに立ち上がり、一歩、また一歩。
光を浴びながら歩く姿は、先ほどまでの少女とは別人のようだった──。
*
最悪、最悪だ。
今日この日は、私ミレイユ=グランティナ史上、最悪の日といっても過言ではない。
宴の会場から抜けだし、書庫まで辿り着いたのは良かった。
誰にも邪魔されず、少し寝て、起きる頃にはすべてが終わっている。
そのはずだったというのに、予想外の闖入者が来てしまった。
放置しておくわけにもいかないからと、外へ出たのが運の尽きだ。
そもそも、なぜモニカは地下にいたのか。
雑念を抱えながら、照らされた道を辿っていく。
純白の階段を上がり、壇上に登ると──
「あら。ちゃんと来たのね」
大人びた声が聞こえた。
目を向けると、そこには才色兼備の我が姉。すべてを欲しいままにする理想の体現者がいた。
「エレノア姉さま──お久しぶりです」
小さくお辞儀すると、
「安心しました」
姉は穏やかにそう言った。
「えっ?」
「来ないと思ってたから」
「……そんなわけ、ないじゃないですか」
視線を泳がせた私を見て、姉は微笑んだ。
「会えて嬉しいわ。ミリー」
懐かしい愛称で呼ばれ、私は目を伏せた。
子供の頃は、とても仲のいい姉妹だったと思う。
王宮の中庭でよく一緒に遊んだ。いつも二人で廊下を駆けまわり、怒られるときは一緒だった。
何でも話したし、きっと死ぬまで仲良くいられると思っていた。
しかし──ある日、何かが変わった。
侍女たちは、姉を褒めた。
教師たちは、姉に期待した。
貴族たちは、姉と話したがった。
大人はみんな、私に興味がなかった。
その頃から私は、人と関わることが苦手になった。
私と姉の間には、見えない壁がある。
見えないのに、とても分厚くて、越えられない壁が──。
いつのまにか、拍手は止んでいた。
まずい、何か言わなければ。
姉に言葉を返そうとしたとき、
タンッ、タンッ。
静かな足音がした。
横から歩いて来たのは、白黒の法衣を着た神官の男だった。
真っ白な長髪は腰まで伸び、手には分厚い茶革の本を持っている。
神官は茶色の瞳を細めると、
「これより、選定儀を始める」
涼しげな声でそう言った。
神官が本を掲げると──本はふわりと浮いた。
見えない力に導かれるように、ページがぱらりとめくれていく。
「天に星ありて、地に命あり。語らずして理想は剣と成す。黙して清廉、しからば高潔、ゆえに慈愛の魂。されば主は汝を抱く。願わくば導きを、選ばれし血に祝福を──」
冗談じゃない。
私が選ばれれば、何を言われるかわかったものではない。
姉を推している派閥に、命を狙われる危険すらある。
そして何よりも、姉はどうなるのか。
周りの期待に応えてきた姉の想いは。
彼女の積み重ねてきた努力は、どうなるのか。
選ばれるわけには、いかない。
「祈りを捧げよ」
姉は躊躇なく前へ出ると、聖樹に跪き、両手を合わせた。
──神さまという奴が嫌いだ。
本当に居るのかも分からない、朧げな存在。そんなあやふやな者に祈って、何が変わるのだ。
祈っても戦争はなくならない。願っても母の病は治らない。
臆病な私の性格も変わらない。孤独だって埋まらない。
これ以上、不愉快な気分にさせないで頂きたい。
半ば自分のせいであることを神に押しつけながら、私は前に出た。
跪き、両手を合わせ、強く願う。
選ばれませんように。
私ではありませんように。
どうか、姉でありますように。
ありったけの想いを込め、祈りを捧げた。
静寂。
汗がじんわりと掌に滲み、心臓がうるさいほどに鳴っていた。
目を薄く開けると──
天井から降り注いでいた桃色の光が、不意に揺らいだ。
樹の幹に光線が走り、祭壇の神剣は震えていた。
来る。
何かが、来る。
光だ。
蒼光が、こちらに向かってくる。
やわらかく、温かく、美しい。
神がいるのならば、きっとこの上なく意地悪で、残酷な悪魔のような存在に違いない。
この時、私はそう思った。




