第六十三話「選定儀」
星詠みの書館から外へ出て、俺たちは秘典書庫の円卓に座っていた。
右には現役の姫ミレイユ、左には古の魔女アナスタシア。
異色の組み合わせに挟まれて座る俺は、黙って話を聞いていた。
「つまりあなたは、あの書館の主で、賢者さまで、王家を影から守ってきた」
「ああ」
「で、なんか色々あって王女を殺して、悪い人に閉じ込められていた」
「そうだ」
二人の声は、あまりにも静かだ。
やがて、ミレイユは深く息をついた。
「はぁ~……もう、わけわかんない」
「すべて話したはずだが」
「わかんないのは、あなたのことよ。なんでそれを話したの」
「言うべきだと思ったからだ」
「私は、王家の人間なのよ。顔も知らないとはいえ、先祖を殺されたなんて──いい気分じゃないわ。罰されるとは思わないわけ?」
姫のその言葉に、アナスタシアは静かに俯いた。波紋ひとつない海のような青い瞳が、少しばかり揺れた気がする。
沈黙に居心地が悪くなり、俺は口を挟むことにした。
「いや、でも、やったのは彼女じゃ──」
「アイシャを殺したのは、私だ」
アナスタシアは自身の手を見つめ、ゆっくりと握り込んでいく。
「消えないんだ……肌を貫いた感触が、アイシャの顔が、声が……罰するというならば、構わない」
彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。過ちは消えない。どれだけ時間が流れても、ふとした瞬間に顔を出す。気づいた時にはもう、強固な鎖となって巻き付いている。身近な人間を殺したという鎖は、想像もできない力で彼女を縛っているに違いなかった。
「許します」
凛とした声が響いた。
「なに?」
「許すと言ったのです」
ミレイユの視線は、芯が入ったように真っすぐだ。
「あなたの過去は消えないわ──何をどうしたってね。でも、そんな顔が出来るなら、あなたはもう罰を受けていると思うの」
「……」
「今日をどうやって生きて、どのように自分を誇りに思うか。重要なのはそれだけよ──って、母さまが言ってたわ」
アナスタシアは黙ったまま、ミレイユを見ていた。
「やっとこっちを見たわね。自分のことを話すばかりで、私のことなんてちっとも見てなかったでしょう」
「ああ……そうだな」
少しばかり柔らかくなった声色を聞いて、ミレイユは微笑んだ。
彼女との遭遇は不意の出来事だったが、きっと必要なことだったのかもしれないと俺は思った。
「それで結局、王女に呪いをかけたやつは、誰なんだ」
「アイシャの目を通し、私を見ていた者──他者の意識に介入できる何者か。最も厄介なのは、私の存在だけでなく──“青の封書”を知っていたことだ」
「本の存在自体は、私も知っていますけれど……堕神のお伽話は、いくつも小説になっていますし」
ミレイユは机に置いてあった本をふりふりと振った。そういえば俺も、禁書にまつわる本をどこかで……思い出そうとしたとき、アナスタシアは視線を落とした。
「各地に散らばった八冊の封書は、秘密裏に管理されている」
「情報が漏れたってことか」
「もしくは、最初から知っていたのか」
敵は、想像以上に深い場所にいるのかもしれない。
「銀の扉は閉じておく。私のことは、誰にも知らせるな」
「母さまにも?」
「言うな。王家を陥れようとする者は多い。壁に目と耳がある可能性だってある。それに、貴族も一枚岩ではないだろう」
「それは……」
「誰も、信用するな」
ミレイユは答えず、静かに瞳を伏せている。
落ち着かない空気の中、アナスタシアは席を立った。
「どこ行くのよ」
「用事は済んだ」
「無断で王宮に入って、ただで帰るつもり?」
「許すと言っただろう」
「見逃すとは言ってないわ。不法侵入罪に、不敬罪、それから、えっと……王女を連れ回した罪」
アナスタシアは眉を片方上げ──どかりと席へ座り直し、腕を組んだ。
「回りくどいやつだ。御託はいい、要求を言え」
「さすが賢者さま」
ミレイユは嬉しそうに手を叩いた。
「見逃してあげる代わりに──また会いに来て。今度はちゃんと約束してからね」
そういうと彼女は身を乗り出し、こちらへ近づいた。
めっちゃ良い匂いがする。
「ねっ、いいでしょ。私、もっとあなたの話聞きたいの」
均整な顔、半ば露出した肩と胸、魅惑のズームアップに俺は混乱した。
「……いや、でも、ですね……」
「いいだろう」
「そう、ダメだよな──え、いいの!?」
「グランティナの女は強情だ。どうせ何を言っても聞きやしない」
ふふんとミレイユは笑った。上機嫌だ。
「まぁ、いいか……会いに来るだけなら。ていうか、姫さんは何でここに居たの」
「ん~。人の多い場所、苦手で」
「もうすぐ選定儀だろう」
アナスタシアがそう言うと、ミレイユはばつが悪そうに頬を掻いた。
「あ~、サボっちゃおうかな、って……へへ」
「なに?」
「いいのよ。どうせ私は、選ばれないもの」
その声には、少しの諦めが滲んでいる。
「選ばれないって……どうして」
「姉がいるの」
静かな声で言うと、ミレイユは机にある白い茶器の縁をなぞった。
「品行方正で、努力も怠らない、自慢の姉よ。私なんかとは違う──皆に愛される天才」
「巫女候補が、二人……」
アナスタシアは唇に指を添えた。
「そ。姉さまが女王になったら、私は晴れて自由の身ってわけ」
パンッ。
ミレイユは手を合わせ叩いた。
「はい、この話はお終い。えーっと、山田……緋色……どっちが名前なの」
「山田が苗字で、緋色が名前。よろしく──お願い、いたします。姫様」
ふふとミレイユはおかしそうに笑う。
「いまさら畏まるつもり? ミレイユでいいわ。よろしくね、緋色」
差し出された白い手を見て、少し迷ったあと、俺はその手を握った。
*
三人で書庫から出ると、ミレイユは白い大扉の鍵を閉めた。
あたりは薄暗く、無機質な石壁には青白い灯が並んでいる。
「ん。そういえば、どうやって入ったの。鍵かけたのに」
「ああ、それは──」
答えようとしたとき。
「姫様!」
聞こえたのは、女の鋭い声。
「やばっ」
ミレイユはさっと俺の影に隠れた。
振り返ると、そこに居たのは黒い侍女服を纏った女。編まれたお下げの黒髪に、大きな銀縁メガネ、頬には小さなそばかすが浮かんでおり、いかにも王城勤めという雰囲気だ。
「隠れても無駄です」
女はそういって、眼鏡をくいとかけ直した。
「もうすぐ選定儀ですよ。んっ、この方々は──」
「あ~、学校の友達。魔術論文について話してたの。ねっ、二人とも」
ミレイユは俺たちの腕を取った。王女も学校に行くのか。
ああ、と不愛想にアナスタシアは返した。
「あっ、そう、そうです。いつもお世話になってます」
「そうでしたか。王室専属侍女頭、モニカ・ランベルと申します。以後、お見知りおきを」
モニカは胸に手をやり一礼すると、ミレイユの前へ回り込んだ。
にへらと笑うミレイユを見て、モニカは顔を手で覆った。
「ああっ……寝ぐせもついてるし、ドレスもしわだらけ……こんなことでは、巫女になったときに困りますよ……」
モニカはぼやきながらミレイユの髪を整え、ぱたぱたとドレスの裾をはたいている。王室の侍女も大変そうだ。
「では、行きましょう」
「行かない」
「は?」
凄みのある低い声を出し、モニカは眼鏡を押し上げた。
開いた口には犬歯が覗き、メガネの奥にある灰色の瞳は鋭かった。ちょっと怖い。
「どうせ選ばれるのは姉さまでしょ。出来の悪い妹がきたって思われたくないし、比べられるのも嫌。行きたくない」
「何をおっしゃいますか。あなたは優しく、人を思いやる心がある。姫様がエレノア様に劣っていると思ったことなど、わたくしは一度たりとてありません」
「なんか恥ずかしいんだけど……」
「わたくしは、姫様を信じております。さぁさぁ、私の顔を立てると思って」
「ちょっとっ」
ミレイユの腕を引っ張りながら、モニカはこちらを見た。
「ああ。ご友人の方々も、どうぞいらしてください」
タン、タン。
階段を上がり、曲がり、また上がる。
地上へ近づくほど、行き交う使用人の姿は増え、通路は華やかさを増していく。飾り気のなかった石壁には金の装飾が現れ、青白い灯は優美なランプに変わっていった。
遠くから、楽団の演奏らしき音色が聞こえる。
「あちらです」
示された先にあったのは、黄金に彩られた大扉。
音楽は、あの向こうから聞こえているようだ。
扉に近づいていくと、モニカは銀の懐中時計を取り出し、ほっと息を吐いた。浮かべた笑みには汗が滲んでいる。
「間に合いましたね……まだ十分ほどあります。入りましょう」
モニカはミレイユの側から離れ、黄金の大扉を押した。
後ろでミレイユは唇を結び、ドレスの裾を強く握っている。その指先はかすかに震えていた。
選定儀が、始まる──。




