第六十二話「秘典書庫」
螺旋階段に足を降ろすと、横に備え付けられていた蝋燭が灯った。
それを合図に、下へ続く燭台が一つ、また一つと燃え上がる。
炎の列は階段をなぞるように地下へ駆け抜け、闇の底まで続いていった。
その光を追うように、アナスタシアと石段を降りて行く。
「なぁ。なんで王城に詳しいんだ」
問いかけると、声が反響した。
「昔、住んでいたことがある」
「王族だったの?」
「いや……私は、剣だ。王の刃──それ以上でも、以下でもない」
「要するに、護衛みたいなもんか」
「違う」
「……アーちゃんの話は、難しいね」
「わからなくていい」
アナスタシアは前を向いたまま、それ以上は語らなかった。
カツ、カツ。
一言も喋らないまま、足音だけが反響していく。
やがて──辿り着いた先は行き止まり。白い壁には、またもや女神の壁画が描かれている。
アナスタシアは壁に手をついた。
ガコッ。
壁が奥へ沈み込み──胸ほどの高さに、横長の通り口が現れた。
琥珀色の光が、奥から滲み出ている。
アナスタシアは俺の手を離すと、身を捻るようにして向こうへ跳んだ。
俺も続こうとして、ふと笑みがこぼれる。
「なんだ」
「いや……昔は、こんな冒険が好きだったなって。知らない道、狭い路地裏、ひとりで歩いていくんだ──どこまでも」
「離れるなよ。迷うぞ」
そういって、アナスタシアは手を差し出してきた。
俺はその手を取り、強く握り返す。
「わかってる。もう子供じゃないよ」
手を引かれ、向こうへ飛ぶと──
左右には、背の高い本棚があった。
蜜色の柔光が書架を撫で、棚の列は奥へと長く続いている。
「ここは……」
アナスタシアは手を離し、横にあった本棚を指でなぞった。
「白星宮、地下五階層──“秘典書庫”。王家の最高機密であり、歴史と叡智の宝庫だ」
「それは……見つかったらヤバそうだ」
彼女は振り向くと、にやりと口端を上げた。
「極刑かもな」
──つまり、死罪か。
「帰りたくなってきたよ」
俺はネクタイを緩めて苦笑した。
「安心しろ。ここに入れるのは、王族だけだ」
そういって、アナスタシアは歩きだした。
「今日は選定儀──関係者はすべて宴に出ているはず。誰がいるわけもない」
書棚を抜け、中央の通路へ出たとき。
ダンッ。
何かが落ちる音がした。
音の方へ首を向けると──
通路の中央には丸い大机。その下には一冊の本が転がっていた。
誰かいる。机の上に、突っ伏して寝ている。
そこに居たのは、ひとりの少女だった。
椅子の下まで流れる藍色の長髪。
優しい光に照らされた白い肌。
白と青を基調とした肩出しドレスは、金の意匠で彩られている。
長い睫毛は伏せられ、整った横顔は人形のように美しい。
俺は、アナスタシアへ密かに耳打った。
「誰もいないんじゃなかったの」
「そのはずだが」
少女はもぞもぞと動きだし、身を起こした。
流れ落ちた藍髪は耳の後ろへ流れ、もう片側の前髪は目に緩くかかっている。
「んっ……」
目が合った。夜空を思わせる紫の瞳だ。
互いを見つめたまま、沈黙が流れていった。
「ぅっ……?」
少女は寝ぼけているのか、目をこすっている。
「どうするんだよ」
「ふむ」
アナスタシアが腕を組むと、少女は目を見開いた。
「えっ──」
「あ~、こんにちは」
頭をかきながら挨拶すると、少女は椅子を鳴らして立ち上がった。
そして机から取ったのは、白銀の短杖。
わずかに震える白い手で、こちらに短杖を向けた。
「動かないで!」
「あの、これはー、その、違うんです」
「泥棒にしては、随分と品のある恰好ね」
「俺たちは通りすがりというか……逢引、です」
「……嘘つき」
少女は目を細めて俺を睨んだ。
「さすがに無理があるぞ」
アナスタシアは呆れている。
「あなたの案でしょうが」
なんだか恥ずかしさがこみ上げ、俺は顔を覆った。
「残念だったわね。ここに金目の物はないわ」
少女は金銭目的だと思っているようだ。
アナスタシアは前へ踏み出した。
「来ないでっ」
そのまま気にも留めず歩き──少女の前で立ち止まった。
「お前の名はなんだ」
「おまっ──!?」
少女は絶句した。信じられないものを見る目だ。
「……そんな口を利かれたのは、生まれて初めてだわ」
「さっさと答えろ」
「ミレイユ──ミレイユ・グランティナよ。少しは礼儀をわきまえたらどうかしら」
少女は笑顔だが、ぷるぷると震えている。相当怒っているようだ。
礼儀正しいアナスタシアなど想像できない。火に油である。
「なるほどな」
アナスタシアは溜息混じりにそう言うと、少女の横を通り過ぎた。
「ついてこい。お前には、知る権利がある」
「はぁ?」
俺は少女の隣まで歩いた。彼女は口を開いたまま固まっている。
「なんか、ごめん。悪いことをしに来たわけじゃないんだ」
たぶん──と小さく付け加えて言った。アナスタシアは確かめたい事があると言っていたが、詳しくは聞いていない。
「何なのよ……」
少女は短杖を下ろし、ぽつりとぼやいた。
「君は、王家の人間なのか」
「さっきも言ったでしょう。ミレイユ・グランティナ──女王マーガレットの娘よ」
女王の娘ということは、つまり──姫ってことか。
「人に物を尋ねるときは、自分から名乗るのが筋ではなくて?」
腰に手をやり、ミレイユは呆れるように言った。
「あなたは誰なのよ。あと、あの無礼な女も」
「俺は山田緋色、冒険者をしてる。あっちは──」
あれ……アナスタシアは普段、何をしているのだろう。
飯も食わないし、起きたと思えばすぐに消える。夜になれば宿に帰って来るが、何を聞いても返答は曖昧で、掴めない雲のような女である。
どう説明すればいいか悩んだとき、
「あなた、冒険者なの!?」
少女の紫眼がぱっと輝いた。
「あ、ああ。なったばかりだけど」
「遺跡は行った!? どんな魔物と戦ったの、他の国は、海は見た!?」
ミレイユは興奮気味だ。近い。
「仲間は何人? 竜は見たことある?」
「質問が多いな」
「ぁ……ごめん、なさい。冒険者なんて、本でしか知らなかったから」
白い指を胸元で絡ませ、彼女は俯いた。
「そんなに良いものじゃないよ。何度も死にそうになったし」
今までの冒険を思い出すと、口の中で苦い味がする。
「嫌々やってるってこと?」
「正直、やめれるならやめたいね」
「なんでやってるのよ」
──なんでだろう。
突然ファンタジアに来てしまい、気づけばエバーウッドの里で暮らし、どうしてかエルフの少女と旅をしている。以前は、生きる理由がたまらなく欲しくて、物語の主人公になりたくて、擦り切れるほどに渇望する何かがあったはずなのに。今となっては、人生のことなど考える余裕もない。
「うーん。自分探し──かな?」
「変な人ね」
俺の曖昧な答えに、ミレイユは不思議そうな顔をした。
「早く来い」
アナスタシアの声だ。
「行こうか。置いていかれそうだ」
歩き出すと、後ろから甲高い声が飛んできた。
「あっ、ちょっと。王宮に忍び込むなんて、犯罪なんだからね!」
ミレイユの抗議を背に受けながら歩いていくと、白柱が円形に並んだ空間へ辿り着いた。
黒曜の床には、金で描かれた星座と円環の紋様が浮かび上がっている。
中央には、見上げるほど大きな女神像があった。
頭の背後には、十二の星を従えた黄金の星輪。
長い髪を背へ流し、胸元で両手を重ねるように祈りを捧げている。
純白の体は蜜色の光を浴び、今にも動き出しそうなほど精巧だ。
足元には白百合が咲き誇り、その姿は神というより、優しく祈る母のように思える。
地下深くにあるとは思えないほど、美しく神聖な空間だった。
「すげぇ……神殿みたいだな」
ミレイユは女神の像に寄っていくと、自慢げに像の足元を撫でた。
「女神さまの像、かわいいでしょ。ていうかあなた達、何しに来たの?」
タン、タン。
アナスタシアは女神像には目もくれず、白柱の間をゆっくりと歩いていた。
一本、また一本。
柱を確かめるように巡った末、ある一本の前で足を止めた。
その裏側へ指を滑らせ──
「やはりな……」
「あの人、私の話聞いてないわよね」
ミレイユは不満げだ。
俺たちはアナスタシアに近寄り、その指先を追った。
そこには──親指ほどの黒い印が刻まれていた。
薔薇を模した紋様だ。花弁は崩れ、今にも朽ち果てそうに見える。
「それは──」
「呪印だ」
「え、なに?」
聞きなれない言葉に眉を寄せると、ミレイユが興味深そうに覗き込んできた。
「呪印──人を呪うための“刻印魔法”ね。気づかなかったわ。なんでこんなものが──」
「触ったら危ないんじゃないか」
「問題ない。これはもう、使用済みだ」
アナスタシアはその場から離れ、再び歩いた。
向かう先は、さらに奥──白柱の並ぶ空間を抜けた先には、一枚の銀扉が佇んでいた。
「あれは……」
俺は知っている、あの扉を。
間違いない。あれは、“忘却の図書館”の扉だ。
堕神を封じたあと崩壊し、消え去ったはずだが……。
「目的がそれなら残念ね」
ミレイユは藍色の長髪を後ろへ流した。
「開かないわよ、その扉」
「君は、あれを知ってるのか」
「知ってるも何も──銀門開くは運命の迷い子、星詠みて智を継ぐ巫女たらん──王家の口伝に出てきますもの」
人差し指をたて、得意げにミレイユは言った。
「聞いた話だと、百年も開いてないとか、偉大な賢者が中にいるとか──」
喋り続けるミレイユの陰で、アナスタシアは銀の扉へ手を伸ばした。
その瞬間。
ゴゴゴッ──。
震えるように大地が揺れ、重々しい音が響いた。
「へっ──?」
姫らしからぬ間抜けな顔で、ミレイユは固まっている。
「うそ──」
「その話には、続きがある」
アナスタシアは振り返らない。
「天堕つは蒼き明星──誓約は血に沈み、願いは剣と成す」
そう告げると、そのまま扉を押していった。
ゴォ──。
深い眠りから目覚めるように、銀の扉は開かれた。
「星詠みの巫女たちは、この扉を開き……“王の刃”を継いだ」
扉の先は、果ての見えない書棚の回廊。
天井はどこまでも高く、彩色ガラスには月光が降り注いでいる。
奥へと進むアナスタシアの後ろへ、俺たちは続いた。
「あなた、何なの──」
ミレイユの問いに答えることなく、アナスタシアは前へと歩いていく。
「今から百七十六年前、一八五〇年の夏──第二次大魔戦争によって、世界は混沌へ傾いていた」
歩みは止まらない。
「そんな時、新たな巫女が選ばれようとしていた。気高く、美しく、民に愛された王女だ」
書棚の回廊を抜け、開かれた空間に出ると──小さな階段へ辿り着いた。
その先に鎮座しているのは、巨大なパイプオルガン。
「しかし……その王女は、突如として行方不明になった」
一歩、また一歩、階段を登っていく。
オルガンの前へ辿り着くと、アナスタシアは指を鳴らした。
パチン。
乾いた音が消えると──アナスタシアの足元から、淡い蒼光が漏れ出た。
立ち昇る光とともに現れたのは、人の背丈ほどある結晶。
「歴史書には、病弱だった妹が巫女となり、姉の意思を継いだと記されていた」
中に、何かいる。
ふわりと浮いているのは、朽ちた白絹の服。
長い藍色の髪が垂れ──その奥にある顔は、白骨だった。
「行方不明になった王女の名前は──第六十代・星詠みの巫女候補、アイシャ=グランティナ」
ミレイユは息を呑んだ。
「政治闘争に巻き込まれ、暗殺されたという噂もあったそうだ」
アナスタシアは結晶へ歩み寄ると、優しく触れた。
「王家は、事実を隠蔽した」
結晶は音もなく崩れ、白骨は静かに前へと傾いていく。
「王座を継ぐ者だけに許された聖域──“星詠みの書館”が、王女とともに消えたことを……公表できなかったんだ」
アナスタシアは白骨の手を取ると、そっと体を抱き寄せた。
「アイシャを殺したのは──私だ」
その告白に、時が止まった。




