幕間「魔女の招待状」
私はエルフたちと別れ、露店がひしめく通りを歩いた。
色鮮やかな布天幕が頭上を横切り、陽光を柔らかく散らしている。
果実を焼く甘い匂い。
香辛料の刺激臭。
喧騒の中を進むと、壁から伸びた鉄の吊り具に、青白い硝子灯が揺れていた。
灯のすぐ横には、人ひとりがようやく通れるほどの隙間がある。
私は迷うことなく、その狭間へと足を踏み入れた。
狭間を抜けると──
光が溢れた。
裏路地だ。
年季の入った白煉瓦の建物が肩を寄せ合うように並び、怪しげな店が立ち並んでいる。
乾いた獣骨。
紫煙を漏らす香炉。
謎の紋様が刻まれた仮面。
紫色の液体が揺れる硝子瓶。
軒先には奇妙な品々が吊るされ、何に使うのかも分からない品ばかりだ。
石畳の通路には細い陽が落ち、あたりに人の気配はない。
頭上にある薄布が風に揺れ、ちりん、ちりんと風鈴の音が微かに鳴っている。
折れ曲がる石畳をさらに進んでいくと──
路地の一角に、二階建ての大きな店があった。
壁には蔦葉が這い、古びた黒鉄の骨組みに沿うように、広い窓がいくつも嵌め込まれている。
窓辺には美しい宝石が並べられ、蒼や紫の光がぼんやりと揺れていた。
黒塗りの看板には、金文字で──“マリエッタの魔具工房”。
りんっ。
扉を開くと、澄んだ鈴の音が鳴った。
広い店内には古びた木棚と机が並び、無造作に品物が置かれている。
雷が走る試験管。
脈動する緑の宝石。
不気味な笑みを浮かべる人形。
血走った眼球が浮かんだ透明な箱。
金属輪がゆっくりと回転する星環儀。
かち、こちと古時計の静かな音だけが聞こえる。
天井には薬草束が吊り下がり、小さな青灯が薄暗い店内をぼんやり照らしていた。
深い色合いの木階段を上がっていくと──
古い紙の香りがした。
壁一面には古びた魔具が吊られ、本棚には分厚い魔導書がぎっしりと詰められている。
陽が差した窓辺には鉢があり、光る魚が遊泳していた。
その横には、一匹の黒猫が寝ている。
私に気づいたのか、黒猫はぴくりと耳を動かした。
「久しいな、ミーミル。百と七十六年ぶりか」
「シャッ!」
黒猫はしっぽを逆立て、低く唸っている。
「ふん、変わらず生意気だな。杖の分際で……」
撫でようとすると、黒猫はひらりと跳び退いていった。
目を向けると──
アンティーク調のカウンター奥から、紫の魔女帽を被った女が現れた。
へそや太ももを大きく露出させた紫色の衣装に、ウェーブした黒紫の長髪。色香を帯びた顔立ちは、記憶と一切違わない。
今となっては、“私を知る”数少ない旧知である。
その旧知──マリエッタ・ベルは、アメジスト色の目を見開いた。
「げっ」
「久々に会う同胞に、げっとは何だ」
「アナスタシア──あんた……どこで何してたのよ」
「お前には関係なかろう」
「大ありよ。あんたが居なくなって、私がどれほど迷惑したかっ」
「やむをえなかった。禁書の封が、解けてしまってな」
「はぁ~っ!?」
机を叩き、マリエッタは身を乗り出した。
「魔女の十戒、第七条──“禁忌に触れるべからず”。忘れたわけ?」
「やむを、えなかったんだ」
「何があったのか知らないけど……十六夜会は、あんたをずっと探してる。第六席は、反乱を起こしたってね」
「私を売るとでも言いたいのか。さぞかし高く売れるだろうな」
「はぁ……それを出来ないの知ってるから、来たんでしょ!」
「ああ。マリエッタ・ベルは、そんな奴じゃない」
「一応は、借りがあるからね。で、何しにきたの?」
「魔装具をくれ。転移できるものを、できれば装飾品で」
「はぁ?」
マリエッタは、じとっと私を見た。
「お金、あるんでしょうね?」
「……」
「だめ。だめだからね」
「出世払い」
「だめ。てか、あんた仕事してないでしょ」
「私とお前の仲だろう」
「だめ。近しい人は甘やかさないことにしたの」
「体でどうだ。好きにしていいぞ」
「あのねぇ……」
呆れたように、マリエッタは腰に手を当てた。
「条件があるわ」
「言ってみろ」
「なんで偉そうなのよっ」
バンッ。
マリエッタは机を叩いた。
「これが条件」
机に置かれていたのは、黒い封書。
「十六夜会のお茶会──夜宴に出ること」
「……」
意図せずとは言え、私は禁を破った。何を言われるか、分かったものではない。
「どうせいつかバレるんだから、顔出しなさいよ。謝罪は早い方がいいわ」
「悪事を働いたわけではない」
「じゃあ尚更ね。身の潔白があるなら問題ないでしょ」
私は黙ったまま、黒い封書を手に取った。
魔力を流すと──
封蝋が淡く輝き、音もなく封がほどけた。
白銀の文字が燐光を帯び、溢れるように宙へと浮かび上がっていく。
今や失われた古代文字だった。
“親愛なる魔女たちへ
今年も、夜宴の季節が巡って参りました。
五月一日、十八時。
夜浮かぶ荒野樹にて。
──夜会長リゼリア=トゥルノット”
封書を机に置くと、文字はかき消えた。
「リゼリアが、会長だと……?」
「色々あったのよ。あんたが居ない間にね」
「ババァはどうした」
夜会の長は、悠久の時を生きる怪物にして、“人を辞めた”最初の人間だった。
その怪物が現役を退き、会長の座を譲っている。ただ事ではない。
「イザベラは、死んだのか」
「行方不明よ」
「……」
「その様子だと、何も知らないみたいね」
マリエッタは腕を組み、顔をしかめた。
「アナスタシアが会長を殺したって話まで出て、私まで疑われたんだから」
「馬鹿なことを。何ひとつ得はない」
「そうだけど……手がかりが無かったのよ。あんたが消えた以外はね」
私は、掌をマリエッタに差し出した。
「なによ、その手」
「夜宴に出る。魔装具をよこせ」
「もうっ。ほんっと図々しいんだから」
「あと──」
「今度は何っ」
「金を貸してくれ。新作の本を買いたい」
「…………はぁ~っ」
マリエッタの盛大な溜息が、静かな店内へ広がった──。




