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World of Fantasia(ワールド・オブ・ファンタジア)  作者: 緋色牡丹
第二章「残り火の街」

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第五十五話「カーテンコール」

「げほっ……憂鬱……憂鬱だ」

 闇の奥で、銀の長髪がゆらりと揺れた。

 青いドレスは随所が裂け、布地は焦げ落ちている。

 左腕を抱え込むように押さえ、

 ずるり、

 ずるり、

 引きずるように歩いていた。

「おお。まだ動けるのか」

 感心するように、ダイアンは声を漏らした。

 そして胸に手をやると、柔和に笑んだ。

「助けに来たよ。アナスタシア」

「……助けに、きた?」

 ひどく、かすれた声だった。

 

 沈黙。

 

 聖堂めいた書庫から降り注ぐ月光が、そこに立つ堕神の輪郭を照らす。

「クク……クハーッハッハ!」

 耳障りなほどに高い笑声が、天井へとぶつかり反響した。

「助ける……助けるだと。人ですらない、この異物を!」

 乱れた前髪を掴んだ指先が、ぎり、と食い込んだ。

 髪の隙間から覗く瞳は、冷たい青に沈んでいる。

「魔女の心を抱くことなど、誰に出来るわけもない」

 吐き捨てる言葉が、毒のように耳を侵した。

「身の程を知れ──腐れチンポ野郎」

「あぁ……ところで」

 まぶたを伏せ、開ける、その寸秒で。

 ダイアンは、堕神の眼前に立っていた。

「その顔で、汚い言葉を吐くなよ」

 静かに、柔らかく、諭すように言った。

 その指は容赦なく、堕神の顎を掴み上げている。

「僕のアナスタシアが、穢れるだろう」

 右の拳を、後ろへ。

 拳から漏れる白焔が、燃える軌跡を描いた。

 打ち抜かれる──ッ!


 ゴッッ!!!!

 

 腹を潰す一撃が、深くめり込んだ。

 堕神の身体はくの字に折れ──

 弾丸めいた速度で、後方へと吹き飛んだ。

 石床を跳ね、何度も転がり、叩きつけられた。

「っ、かッ……」

 堕神は呻き、よろめいている。

 呼ばれるより速く、俺は地を蹴った。

「緋色!」

 靴底から伝わる反発が、全身を前へ。

 空気を裂き、背後に回った。

 そのまま肩下へと腕をいれ、強く、締め上げていく。

 みし、と骨が軋んだ。

「動くなよ……!」

「どいつもこいつも、イラつくんだよッ!」

 堕神の蒼い覇気は、黒へと蠢き変蝕していく。


 黒魔が、爆ぜた。

 

 荒れ狂う魔力に、視界が揺らいだ。

 腕ごと、持っていかれる……!

「ダイアン!!」

 喉が裂けるほど叫んだ。

 応じるように、ダイアンは掌を掲げた。

「いつだったか、戯曲を見に行ったね」

 場違いなほど優しい声とともに、指先が動きだす。

「しぶる君の手を、無理やり引いてさ」

 不可思議な文字が、宙へと刻まれていく。

「囚われの姫が、勇者と結ばれる。そんな話だった」

 ひと筆ごとに、淡い燐光が浮かんだ。

「つまらない。退屈な物語だと、君は言った」

 円型に描かれていくのは、神秘を宿した魔導紋。

「でも、僕は感動したんだ。僕らの幕引き(カーテンコール)も、こうであればいいのにと思った」

「不可能だッ! もはやこの身は、我が依代(よりしろ)!」

 腕の中で、堕神はもがいた。

「もう一度言おう。不可能だッ! それこそ、奇跡でもなければ!」

「神様ってのは案外、理屈っぽいんだね」

 ダイアンは小さく肩を竦めると、右手を前へ掲げた。

「奇跡っていうのは……自分で起こすものだろ」

 揺らぎなく。

 強く。

 灰色の瞳が、一直線に堕神を貫いた。

「ハッピーエンドじゃないと、だめなんだ」

「図に乗るなよッ!!」

 堕神は吠え、暴れ、ねじり、逃れようとしている。

 負傷した俺の右腕から、血が噴き上がった。

「ぐ……ッ!」

 噛み締めた視界の端で、白光が満ちていく。

 ダイアンは掲げた掌を、静かに回した。

「虚ろ流れて輪廻の永劫。生を詠み、天へと帰るは神理の掟」

 掌が上を向いた。

 

 ふわり。


 白い花弁が、ひとひら。

 刹那。

 何もなかった空間に、無数の白花が咲いた。

 視界を埋め尽くした花弁が、月光を受けて揺れる。

「星界信書・第二章──魂は故に還り、解脱(げだつ)に至る」

 告げると、ダイアンは掌を握りしめた。

 その背後で、

 

 パキ、パキ。

 

 硝子のように、空間がひび割れた。

 裂け目は縦へ、横へ、闇を断つように広がっていく。

 真っ白で、巨大な、何かが押し出てくる。

 あれは、扉だ。

 天井まで届くほどの、純白の大門だ。

 ダイアンは右拳を胸元へ引き寄せ、もう一方の手で包んだ。

 拳の内で、光が収束していく。

 凝縮した輝きが、一本の白い鍵へと姿を変えた。

 鍵を握った手を引き、前へ──

 眼前の宙に、()()()()()

 

「≪天鍵封式(てんけんふうしき)白蓮浄界(はくれんじょうかい)≫」

 

 ガチャリ。


 鍵が、回った。

 純白の大門が、鈍く軋みながら開きだす。

 門の奥に広がったのは、一面の白蓮花。

 その中心に、何かが座している。

 白い、女の巨像だ。

 頭には星輪を冠し、背には無数の白手。

 瞳を閉じた輪郭は、朧げに揺らいでいる。

 

 ──動いた。

 

 横へ伸びた両の手が、胸の前で重なった。

 像ではない。

 観音のように座し、祈るあれは──


 女神だ。

 挿絵(By みてみん)

「眠れ。悪しき神よ」

 ダイアンの深い声が、静かに響いた。

 応じるように、女神の千手が伸びる。

 無数の白い巨腕が、視界を埋め尽くした。

「クハッ! 封じようというのか。このオレをッ!」

 嗤っていた。

 その声は、歓喜に満ちていた。

 もう、持たない……!

「っ!」

 抑えていた腕が解け──

 弾ける風圧に、俺は吹き飛ばされた。

「いいだろう……喰ろうてやる。お前の全てッ!」

 膨れ上がった黒魔が、大蛇の群れの如くうねり、宙を這った。

 白の千手へ、数多の黒蛇が喰らいつく。


 ダァンッ!!!!

 

 轟音が耳をつんざいた。

 白と黒の激突に、空間が軋んだ。

 呑み込む白を、黒が噛み喰らう。

 押し合い、削り合い、互いを侵し合っていた。

「悠久の時を過ごした。ただ、君と在るために」

 ダイアンの声は揺るがない。

 千手がさらに増え、黒蛇を締め上げた。

 牙を剥き、堕神は叫んだ。

「よこせぇえええええええええ!!!!」

 止まらない。

 白手を喰らい、裂き、飲み込み、なお膨張している。

「やってみろ。この思い──喰らい尽くせるものならばッ!!」

 ダイアンが腕を突き出すと、白魔が噴き上がった。

 千手が黒蛇を押しつぶし、呑み込んでいく。

「馬鹿な──ッ!」

 圧されている。

 世に降ろされ、破壊を尽くし、蹂躙をまき散らす。

 神話の邪神が。

 比類なき災厄が。

 忘却の原罪カリオスが、圧倒されている。

「思念体、如きに──ッ!!」

 白い巨手のひとつが、ついに堕神を包んだ。

「ぐ、ぅァァアアアアアア!!!!」

 黒く歪んだ輪郭が、押し潰されていく。

「──ァ────」

 絶叫は白に呑まれ──

 

 光が爆ぜた。


 焼き付くような閃光に、俺は目を覆った。

 白に満ちた世界で、粉塵が激しく舞い上がる。

「……ッ!」

 

 やがて──

 

 硝煙の中に、ひとつの影が見えた。

 煙がほどけていく。

 そこに立っていたのは──

 ダイアンだった。

 腕の中には、瞳を伏せた堕神。

 蒼いドレスは破れ果て、見る影もない。

 力なく垂れる銀の長髪を、ダイアンはそっと掬いあげた。


 ──アナスタシア。


 そう呼んだ。

 ダイアンは微笑み、ただずっと、腕の中を眺めていた。

 永遠のような一瞬の後。

 

 ぴきり。

 

 ダイアンの体が、崩れはじめた。

 指が、腕が、砂のように形を失っていく。

「あぁ~。無理しすぎたか」

 軽い調子で、ダイアンは言った。

 その腕の中で、アナスタシアは身じろいだ。

 浅く開いた唇から、苦しげな吐息が漏れた。

阿呆(あほう)め……神封じ……無理どころでは、ない」

「そんな顔を見れる日が、来るなんてね」

 ダイアンは自嘲気味に笑うと、アナスタシアの左手を取った。

 よく見れば──彼女の薬指にも、銀の指輪がある。

「死が二人を別つとも、想いはここに」

 指を重ね、ダイアンは静かに言った。

「君のもとへ行ったね、何度も何度も」

「……分かっていたはずだ。良い結末には、ならないと」

「最後まで、君を連れ出すことは……叶わなかったな」

「気持ちの悪いやつ、め……」

「アナスタシア」

 ダイアンは、慈しむように微笑んだ。

「君を──」

 白花が散る中で、彼は何かを呟いた。

「……っ……」

 アナスタシアは短く呻き、糸が切れたように、ダイアンの胸へ沈んだ。

 ダイアンは、こちらへ歩み寄ってきた。

 役目を終えたように、満足げに。

 アナスタシアを、俺に預けた。

 

 “ありがとう”

 

 ダイアンは笑った。

 その身体は、霧のようにほどけ──

「あっ、おいっ!」

 伸ばした手は、宙を切った。

「礼も、言ってないのに……」

 指の間から、光の粒が零れていった。

 最後の一粒が、落ちたとき。

 

 バリン。


 背後で、フィオナを囚えていた水晶が砕けた。

 アナスタシアを床へ横たえ、フィオナの頬を軽く叩いた。

「もう、食べられないよ……」

 寝言を言っている。無事のようだ。

 安堵に、全身の力が抜けた。

 その時。

 

 ゴゴゴ……

 

 低い地鳴りが、床を揺らした。

 書館が震えている。

 フィオナは、起きない。

 彼女を抱え、外へ走り出そうとした時。

『助けてくれ』

 ダイアンの声が、脳裏に響いた。

「あー、もうっ……!」

 右肩にフィオナ、左腕にアナスタシアを抱えた。

 

 走れ──ッ!

 

 書棚が軋み、連鎖するように倒れていく。

 天井は砕け、ステンドグラスに亀裂が走った。

 轟音とともに、瓦礫が降り注ぐ。

 崩壊が、波のように押し寄せた。

 地を蹴り、瓦礫を踏み越え、銀色の扉へ。

 飛び蹴った──ッ!


 バンッ!


 転がるように外へ飛び出すと、銀の扉は消滅した。

 濡れた石畳に、星の光が淡く揺れている。

 雨は、もう止んでいた。


 もぞり。


 肩の上で、フィオナが動いた。

「ん……」

「おお、起きたか」

 地面に降ろすと、彼女は目蓋をこすった。

 ぱちりと開いた碧眼が、俺を覗きこんだ。

「んー……」


 ()()

 

「えっ」


 ……。

 

「え゛っ?」

 

 空を、見上げた。

 夜の底に、朝焼けが染みている。

 濡れた空気に、草と土の匂い。

 雨の名残りだけが、現実を語っていた。

 

 前途多難。

 

 そんな言葉が、ふと浮かんだ。

 俺は、息を深く吐いた──。

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