第十一話「フィオナの誕生日」
──ファンタジア歴二〇二六年、三月十日。
薄いピンクの花弁が風に舞い、里は春の気配に染まりつつあった。
今日は〈姫巫女の日〉という祝日らしく、里はお休みムードだった。
てっきり宴で騒ぐのかと思っていたが、違った。
エルフたちはこの日、祈りを捧げるために静けさを保つのだという。
暖かい陽の光を受けながら、里の中央広場を歩いていく。
風は柔らかく、空気は冬より少しだけ軽かった。
時刻は昼過ぎといったところか。
正確な時間は分からない──というのも、エルフの里では時計をほぼ見かけないのだ。
太陽の動きで時間を察する彼らにとって、あまり意味のない物なのかもしれない。
そんなことを考えながら、市場に立ち並ぶ装飾店の店頭を見ていく。
特段、ウィンドウショッピングが好きなわけではない。
そんな俺でも、こうしてじっくりと見回るときがある。
それは特別な日──
今日は、フィオナの誕生日だ。
日頃、色々してくれる彼女に、何かプレゼントをあげたい。
歩いていると──黒木の外壁に、金の槍紋章を掲げた店が目に入った。
〈ピアース魔具店〉──周りの素朴な店よりも重厚だ。格式の高い店なのだろうか。
興味本位で扉を開けると、
カランッ──。
凛とした鈴の音と共に、鮮やかな光が目に飛び込んできた。
整然と並ぶ装飾品、磨き込まれた木の棚。
大人びた琥珀色のライトは、空間に柔らかな深みを与えている。
まるで銀座の高級店。値段はどれも高そうだ。
値札をちらりと見ると、やはりそこそこ高い。
だが、買えないほどでもない──絶妙な価格設定だ。
照明にきらめく商品を眺めていると、
「いらっしゃい」
落ち着いた声が耳に触れた。
カウンターの奥から現れたのは、紫髪を後ろで束ねた少女だ。
「あなたは──二番隊の、ええっと」
「ランシアだ。こうして話すのは初めてだな、山田」
「すいません、名前……覚えきれてなくて。ランシアさん」
風牙隊は生死を共にするという理由で、互いの名前を教え合っていた。
ランシアが属する二隊は、攻撃主体の突撃部隊。
対して俺がいる三隊は、防衛を担う迎撃部隊だ。
作戦行動が違うため、普段の訓練は別々だった。
名前を呼び合う機会が少ないとはいえ、ど忘れするとは──
「あまり気にするな。別の隊だしな」
「……助かります。このお店の人だったんですね」
「ああ。普段は母さんが店に立ってるんだが、休日は手伝いをしている」
「優しいですね」
「父が病で倒れてな。親孝行というやつだ」
「それは──大変だ」
どう返すべきか迷いながらも、慎重に言葉を添えた。
深入りしない方がよさそうだ。
「まったくだ。槍を継ぐ実力は、まだついていないというのに」
「え?」
「いや、こっちの話だ。プレゼントか?」
「はい、まぁ」
ランシアは目を見開いた。
「恋人ができたのか」
「恋人、っていうか──」
「エルフを落とすなんて、やるじゃないか」
「いや、友達──ですかね」
「ほぉん……?」
彼女は目を細め、からかうように片眉を上げた。
「まぁいい。エルフの女に渡すなら、そうだな……これなんてどうだろうか」
カウンターから取り出されたのは──小さな黒い箱。
静かに蓋が開いていく。
光──。
純白の六弁花を象った指輪が、鮮やかに姿を見せた。
「魔導リング〈ハーマンディ〉──ドワーフの名工ドレスタが手掛けた逸品だ」
「──すごい。綺麗だ──」
銀環に支えられた小さな六つの花弁は、薄青く光を返している。
おしゃれに疎い俺でさえ、美しいと感じた。
「見た目だけじゃないぞ。世界一の金属──〈オメガルコン〉が混ざってる。耐久性能も一級品だ」
「この花、名前なんていうんですか」
「指輪と同じさ。深い森に咲く純白の花、ハーマンディ。花言葉は──『ずっとそばにいる』──だ」
──いい、かもしれない。
気恥ずかしい言葉だが、友人としてもおかしな言葉ではない。
──いやいや、付き合ってもないのに。
けれど、本当にいい指輪だ。
それに、せっかくオススメしてくれた品だ。背を向けるのも気が引ける。
いくつも浮かんだ思考を押し流し、俺は小さく息を吸った。
──うん、これにしよう。
末永く仲良くして欲しい、という気持ちを込めて。
「おいくらですか?」
金ならある。いくらでも出すぜッ!
なぜなら風牙隊の給料は高い。最悪死ぬ可能性もあるので当然である。
とはいえ、俺はイケメン(ライル)の横にいるので、ほとんど安全だった。
なんて良い職場──ずっとここに居たい。
「そうだな……知り合いのよしみで、安くしよう。これでどうだ」
ランシアは万年筆を手に取り、古紙の上をさらさらと滑らせた。
古紙に目を落とすと、
一、十、百、千、万、十万、ひゃく、まん──
「高ッ──!」
思わず声が出た。
星金貨、百五十枚──日本円でいうと百五十万円だ。
こつこつと貯めた全財産で、ギリギリの額だった。
しかし……これが良い、どうしても。
「これでもかなり安くした方だ。元値は倍以上だぞ」
「倍以上……いいんですか?」
「ああ。言ったろ、知り合いのよしみだって」
店に利益はほとんどないだろう。本当に特別価格なのだ。
よし、どうせ金の使い道はそこまでない。
──派手にいくか!
「これ、お願いします」
茶色い革財布の中をまさぐり、銀色のカードを取り出した。
エルフの里にも〈精霊銀庫〉と呼ばれる金融機関が存在する。これはそこに繋がる魔法カード──〈銀庫カード〉だ。魔力の波長を感じとり、本人認証までしてくれる優れものである。
「まいどあり」
カウンター脇のランプ〈銀庫灯〉にカードをかざすと──
ポォン。
軽い音と共に、ランプが青く発光した。決済完了だ。
「きっと喜ぶよ、彼女さん」
「彼女、じゃないんですけどね。良いもの買えて良かったです。ありがとうございました」
──奮発しちゃったな。
しばらくは、安い晩飯になりそうだ。
*
あたたかい湯気の向こうに、五メートル四方の湯舟。
そこへ一歩踏み出し、そのまま身を投げた。
ザブーン!
湯面が大きく揺れ、熱が肌に絡みつく。
「あぁあ~、ぎもぢいぃ~……」
いま暮らしているのは、里の端にある来客用の屋敷だ。
立派な風呂まであるというのに、無料で住まわせてもらっている。
温泉に行ってもいいのだが、混浴はどうにも心臓に悪い。
「ふぅ……」
湯舟を出たあと、念入りに体をこすった。
女の子に会うんだ。ベストな状態でいくべきである。
──いや、別に何をするわけでもないんだけど。
「ふふ……」
頬が緩んだ。
──楽しみだ。喜んでくれるだろうか。
風呂から上がったら、彼女にプレゼントを渡しに行こう。
「よーし、行くか!」
──あれっ、ちょっと待てよ。
フィオナって、どこに住んでるんだ?
「……」
いつもは、彼女の方から部屋に来ていた。
水色の髪は、窓を開けるとふわりと揺れる。
朝陽を受けながら、彼女は明るい声で「おはよう」と微笑む。
その太陽のような顔を見て、俺はゆっくりと体を起こす。
それが、俺たちの日常だった。
あんなに近くにいたのに──俺は、フィオナのことを、ほとんど知らない。
外に出ると、日は暮れ始めていた。
里の外れは人影もなく、夕焼けに染まった石床はどこか寂しい。
歩いていれば見つかるかもしれない──根拠はないが、そんな気がした。
屋敷近くの林道を抜けると、ひらけた畑道に出た。
水田には作物が揺れ、緑光を放つ精霊が蛍のように浮かんでいる。
近くの家畜小屋では、鳥の鳴き声。
遠くには小さな山が見える。
ふと、昔を思い出した──俺は北海道の千歳、空港がある街で生まれた。
この澄んだ空気と田舎の光景は、どこか地元に似ている。
──いつか、帰れたらいいな。
エルフの里は、とにかく広い。
闇雲に市場を歩いていたが、このままでは見つかる気がしない。
──そうだ、マリネさんに聞いてみよう。
木製の階段を上がり、市場の上層へと進んでいく。
しばらく歩いていると、いつものパンの香りがした。
鼻をくすぐる匂いを辿っていくと、丸みのある木造の店が見えてくる。
看板には、エルフ語で〈イステリア・ベーカリー〉と書かれていた。
「姫様ですか? 今日は聖殿でお祈りだと思いますよ。姫巫女の日ですから」
長い銀髪を緑のカチューシャでまとめた少女──マリネは明るく答えた。
「でも立ち入り禁止なので、会えないと思いますけど」
「わかった! ありがとう、マリネさん」
「はい! また来て下さいねーっ」
彼女の声を背に受けながら、足を速めていく。
場所には心当たりがあった。
立ち入り禁止の聖殿──予想が当たっていれば、あそこに違いない。
里の西側、森の外れ。
すでに日は落ちており、道は薄暗い。
仄かにランプが灯った小道を進んでいく。
石造りの広い階段──ここだ。
かすかな灯火を頼りに、一段ずつ踏みしめていく。
階段を上りきると、満月が見えた。
その下には、月を映した大きな泉が広がっている。
水面には、黄緑の光を帯びた精霊たちが、ゆらゆらと舞っていた。
泉の奥には、木造りの大きな社が佇んでいる。
あれが、恐らくは──
「また、きた……」
声がした方を向くと、淡い翡翠色の長髪が風に揺れた。
いつの日か出会った少女だ。
変わらず感情のない顔で、じっと俺を見ている。
「来ていいって、言ってたろ」
彼女は目をぱちぱちさせると、
「……うん」
思い出したように頷いた。
「なぁ。フィオナ──水色の髪した子、知らない?」
「聖殿、いる」
少女が指で示したのは──木造りの社。
やはり、あの大社が聖殿らしい。
「でも──」
「ありがとなっ! いってくる!」
「あっ……」
少女が何か言おうとしていたが、俺はもう駆け出していた。
タッ、タッ。
奥へ進むと、木造の聖殿が静かに姿を現した。
近づくほど、日本の神社を思わせる意匠が際立っていく。
さらに歩み寄った、その時──入り口から、人影がゆらりと出てきた。
あれは──フィオナだ。
巫女のような白装束を着ている。金の刺繍が施された裾と、長い袖が歩むたび揺れた。
その姿は、特別を暗に語っているように見えた。
一歩、また一歩。規則正しい足取りで階段を降りていく。
泉の縁で立ち止まり、青い帯を整えると──水面へ足を浸していった。
服のまま、泉へと入っていく──水の波紋は広がり、精霊たちが舞い上がった。
彼女は五歩ほど進むと、胸の前で指を組んだ──祈っているのだろうか。
階段の手前まで来ていたが、俺の足は止まった。
どこか神聖なその空気に、動けなかった。
話しかけては、いけない気がした。
ザリッ。
小石を踏んでしまった、その時。
フィオナは静かに振り返った。
「──緋色」
水面の光を受けたその顔には、どこか神聖な影が差している。
「……よっ!」
いつもと違う雰囲気に、妙にたじろいでしまった。
フィオナがこちらへ歩いてくる、ゆっくりと。
俺も階段を降り、泉のほとりへと歩みを寄せた。
「だめじゃない。ここ、立ち入り禁止よ」
「ふっ。俺はあの子に良いって言われてんダゼ」
はるか向こう──対岸にぽつんと立つ少女をアゴで示し、どや顔してみせた。
「巫女さまが? 珍しいこともあるのね……」
「そうだ。手、出して!」
「?」
フィオナは小さく両手を差し出した。
俺は、彼女の左手をとり──薬指へと──ハーマンディの指輪をすべり込ませた。
六弁の白花は、月の光を鮮やかに返している。
「……これは?」
「誕生日! おめでとう~!!」
フィオナは指先を見つめたまま、ぴくりとも動かない。
「喜んでくれるかなって。まぁ俺のセンスだからちょっと変かもだけど」
「……」
彼女のまつ毛は薄く震えた。
一瞬、俺は気づけなかった──頬を伝った雫が、涙だということに。
「ぁ──」
喉の奥が、苦しい。
はめる指が変だったか。
というか薬指だと、結婚指輪じゃないか。
どこにはめればよかったのか。普通に渡せばよかったのでは。
こんなことなら、ランシアにもっと聞いておけば──。
「あ~、やっぱ、指輪はちょっと変だよな」
フィオナは両手で顔を覆った。
「ううん、違う。違うの……ごめん、私……ごめんなさい」
「……どうしたんだよ」
顔を覆った指の隙間から、涙が零れ落ちていく。
声もなく、フィオナは泣いていた──。
泉のほとりに並んで腰を下ろすと、フィオナは目元を袖でこすった。
「レスターに生まれたエルフはね。生まれた日に、この聖域で祈りを捧げるの」
彼女は両手の指を組んだ。
「女神さま、どうか私をお守りください──使命を果たせますように。ってね」
「使命?」
「……私、もうすぐ里を出なきゃいけないの」
「え?」
「そういう、決まりになってるんだ」
彼女は胸に手をおいた。
「私のフルネームは、フィオナ・〈エバーディル〉・レスター。エルフを守り続けてきた、偉大なる始祖の血を引く──英雄の末裔。その現世代の姫巫女が、私」
──ああ、そうか。
「レスターは、女神の剣を継いで戦ってきた。この宿命からは、逃げられない」
──姫巫女の日が、なぜ陽気な空気ではないのか。ようやく分かった。
「私が逃げれば、戦いに全てを捧げたレスターたちが、流れた多くの血が、決して私を許さない」
フィオナは、泉から青い小花をすくい上げると──手で包んだそれを、大切そうに胸元へ寄せた。
「私ね、花が好き。広い森が好き。優しい皆が好き。この里が……大好き」
──。
「本当は行きたくない──」
苦しい。
自分のことでは、ないのに。
彼女のこんな顔を見るのは、初めてだ。
「なーんて言ったら、みんな困っちゃうのよ」
フィオナは持っていた青花を、水面へ静かに戻していく。
気持ちも、花と一緒に流すかのように。
振り返った彼女は──もう、普段の明るい笑顔に戻っていた。
「そんなの……理不尽だ」
胸がざわつく。
「全然いいの! 外の世界はすごく楽しみだし、ずっと行きたかったんだ!」
──うそだ。
「本当は、少し寂しいけどね。せっかく仲良くなれたのに」
逃げてしまえばいい。
そう言おうと口を開いたとき、
「だーめ」
俺の唇に、フィオナの人差し指が触れた。
「これは、使命なんだから。エルフはね、命より掟を重んじるのよ」
微笑むフィオナは、強いようで、弱いようで。なんだか朧げに見える。
「ごめんね、変なこといって。緋色になら、話しても良いかなって」
「なんでだよ」
だめだ。
「行きたくないなら行くなよ」
言ったら、だめだ。
「……」
「助けて欲しいって……止めて欲しいって……なんで言わないんだよ」
「……緋色……私は……大丈夫だよ」
「うそ、つくなよ……」
言葉があふれて、止まらない。
「ねぇ。運命って信じる?」
「……神さまが、人の将来を決めるってやつか」
「そう。この里では、女神さまだけど」
「……信じない。俺は……神さまに祈って良かったことなんて、無い」
「運命はね、絶対じゃないの」
フィオナは左手で水をすくうと、指の隙間からさらりと落としていく。
「示された道から、逃げることだって出来る。でも──」
水を落とした手を、固めるように拳を作った。
「一度それを握りしめれば、それは選択に変わる」
彼女の瞳は、どこまでも真っすぐで。
「私は、誰かの意思で行くんじゃない。この里のため、みんなのため──自分のために、私は逃げない」
きっと何を言おうと、曲がらない強さがあった。
「緋色。私は……大丈夫だよ」
彼女は、自分で選んだのだ。
感情を踏み越えて、その道を──英雄の道を進むことを。
「これ、ありがとう。ずっと、ずっと大切にする!」
フィオナの笑顔は、明るい向日葵のようだった。
彼女の覚悟を、否定していいわけがない。
気づいていたはず。
気づいていたはずなのに。
俺は──
「……」
「あーあ! お腹空いたー! ライルの家でも行く!?」
「……うん」
「ほーら。暗い顔してないで、行こっ!」
水で冷えた手で、彼女は俺の手を引いた。
引きずられるように歩いていく。
泣いた彼女の顔が、ずっと離れない。
俺は、フィオナのことを、何一つわかっていなかった。
繋いだ手は、すぐに温かくなった。
頬を撫でる優しい風は、どこかもの悲しく、冷たく感じた──。




