第十一話「フィオナの誕生日」
──ファンタジア歴二〇二五年、三月十日。
薄いピンクの花弁が風に舞い、里は春の気配に染まりつつあった。
今日は“姫巫女の日”という祝日らしく、里はお休みムードだった。
てっきり華やかな宴で騒ぐのかと思っていたが──違った。
エルフたちはこの日、祈りを捧げるために静けさを保つのだという。
暖かい陽の光を受けながら、里の中央広場を歩いていく。
風は柔らかく、空気は冬より少しだけ軽かった。
時刻は昼過ぎといったところか。
正確な時間は分からない──というのも、エルフの里に時計はほぼ見かけないのだ。
長老やライルのような“格式の高い家”でしか見たことがない、一種の鑑賞品なのだろう。
太陽の動きで時間を察する彼らにとって、あまり意味のない物なのかもしれない。
そんなことを考えながら、市場に立ち並ぶ装飾店の店頭を見ていく。
特段、ウィンドウショッピングが好きなわけではない。
そんな俺でも、こうしてじっくりと見回るときがある。
それは特別な日──
今日は、“フィオナの誕生日”なのだ。
日頃、色々してくれる彼女に、何かプレゼントをあげたい。
歩いていると、黒木の外壁に金の槍紋章を掲げた店が目に入った。
『ピアース魔具店』。
周りの素朴な店よりも重厚で、ひと目で格式の高さが分かった。
興味本位で扉を開けると、
カランッ──
凛とした鈴の音と共に、宝石のような光が目に飛び込んできた。
整然と並ぶ装飾品、磨き込まれた木の棚。
大人びた琥珀色のライトは、空間に柔らかな深みを与えていた。
まるで銀座の高級店。値段はどれも高そうだ。
値札をちらりと見ると、やはりそこそこ高い。
だが、買えないほどでもなかった──絶妙な価格設定だ。
照明にきらめくアクセサリーを眺めていると、
「いらっしゃい」
落ち着いた声が耳に触れた。
紫髪を後ろで束ねた少女が、カウンターの奥からすっと現れた。
「あなたは──二番隊の、ええっと」
「ランシアだ。こうして話すのは初めてだな、山田」
「すいません、名前……覚えきれてなくて。ランシアさん」
風牙隊は生死を共にするという理由で、互いの名前を教え合っていた。
ランシアが属する二隊は、攻撃主体の突撃部隊。
対して俺がいる三隊は、防衛を担う迎撃部隊だ。
作戦行動が違うため、普段の訓練は別々だった。
名前を呼び合う機会が少ないとはいえ、ど忘れするとは──
失礼なことをしてしまった。
「あまり気にするな。別の隊だしな」
「……助かります。このお店の人だったんですね」
「ああ。普段は母さんが店に立ってるんだが、休日はこうして手伝いをしている」
「優しいですね」
「……父が病で倒れてな。親孝行というやつだ」
「それは……大変だ」
どう返すべきか迷いながらも、慎重に言葉を添えた。
あまり深く聞く話ではなさそうだ。
「全くだ、早く回復してくれないと困る。まだ槍を継ぐ実力はついていないというのに……」
「え?」
「いや、こっちの話だ。プレゼントか?」
「はい、まぁ」
「恋人が出来たのか」
ランシアは目を見開いた。
「恋人、っていうか──」
「エルフを落とすなんて、やるじゃないか」
「いや、友達……ですかね」
「ほぉん……?」
彼女は目を細め、からかうように片眉を上げた。
「まぁいい。エルフの女に渡すなら、そうだな……これなんてどうだろうか」
彼女はカウンターの奥から、小さな黒い箱を取り出した。
静かに蓋が開く。
光──
純白の六弁花を象った指輪が、鮮やかに姿を見せた。
「魔道リング『ハーマンディ』──ドワーフの名工“ドレスタ”が手掛けた逸品だ」
「……すごい……綺麗だ」
銀環に支えられた小さな六つの花弁は、薄青く光を返している。
おしゃれに疎い俺でさえ、美しいと感じた。
「見た目だけじゃないぞ。世界一の金属、『オメガルコン』が混ざってる。耐久性能も一級品だ」
「この花、名前なんていうんですか?」
「指輪と同じさ。エバーウッドの深層に咲く純白の花、ハーマンディ。花言葉は──“ずっとそばにいる”、だ」
──いい、かもしれない。
気恥ずかしい言葉だが、友人としてもおかしな言葉ではない。
付き合ってもないのに……と、不安がよぎる。
けれど、この店で何を選んでも同じ考えに至る気がした。
それに、彼女がせっかくオススメしてくれた品だ。背を向けるのも気が引ける。
いくつも浮かんだ思考を押し流し、俺は小さく息を吸った。
──うん、これにしよう。
末永く仲良くして欲しい、という気持ちを込めて。
「おいくらですか?」
ふっ、金ならある。いくらでも出すぜッ!
なぜなら風牙隊の給料は高い。最悪死ぬ可能性もあるので当然である。
とはいえ、俺はイケメン(ライル)の横にいるので、ほとんど安全だった。
なんて良い職場。ずっとここに居たい。
「そうだな……知り合いのよしみで安くしよう。これでどうだ?」
ランシアは万年筆を手に取り、古紙の上をさらさらと滑らせた。
古紙に目を落とすと、
一、十、百、千、万、十万、ひゃく……まん──
「高ッ──!」
思わず声が出た。
星金貨、百五十枚──日本円でいうと百五十万円だ。
こつこつと貯めた全財産で、ギリギリの額だ。
しかし……これが良い、どうしても。
「これでもかなり安くした方だ。元値は倍以上だぞ」
「倍以上──。良いんですか……?」
「ああ。言ったろ、知り合いのよしみだって」
店に利益はほとんどないだろう。本当に“特別価格”なのだ。
よし、どうせ金の使い道はそんなに無い。
派手に使おう。
「これ……お願いします」
茶色い革財布の中をまさぐると、銀色のカードを取り出した。
エルフの里にも『精霊銀庫』と呼ばれる金融機関が存在し、これはそこに繋がる魔法カード──『銀庫カード』だ。
魔力の波長で本人認証までする優れものらしい。
「まいどあり」
俺はカウンター脇の青白いランプにカードをかざす。
ポォン。軽い音と共に、『銀庫灯』は青く発光した。
決済完了だ。
「きっと喜ぶよ、彼女さん」
「彼女、じゃないんですけどね。良いもの買えて良かったです。ありがとうございました」
奮発してしまった。
しばらくは、安い晩飯になりそうだ。
*
あたたかい湯気の向こうに、五メートル四方の湯舟。
そこへ一歩踏み出し、そのまま身を投げる。
ザブーン──湯面が大きく揺れ、熱が肌に絡みつく。
「あぁあ~……」
気持ちいい。
なんて良い生活環境。
いま暮らしているのは、里の端にある来客用の屋敷だ。
しばらく使われていなかったらしく、ありがたいことにタダで借りられていた。
小さなアパートほどの広さの建物には、立派な風呂まで完備されている。
温泉に行ってもいいのだが、混浴の楽園はどうにも心臓に悪い。
俺は、落ち着いてまったりしたいんだ──。
フィオナに会うために、念入りに体をこする。
女の子に会うんだ。ベストな状態でいくべきである。
いや、別に何をするわけでもないんだけど……
「ふふ……」
頬が緩む。
楽しみだ。喜んでくれるだろうか。
風呂から上がったら、彼女にプレゼントを渡しに行こう──。
「よーし、行くか!」
あれっ……。
ちょっと待てよ。
フィオナって、どこに住んでるんだ?
「……」
いつもは彼女の方から部屋に来ていた。
水色がかった青髪は、窓を開けるとふわりと揺れる。
朝陽を受けながら、彼女は明るい声で「おはよう」と微笑む。
その太陽みたいな顔を見て、俺はゆっくりと体を起こす。
それが、二人の日常だった。
あんなに近くにいたのに、
俺はフィオナのことを、ほとんど知らなかった。
外に出ると、日は暮れ始めていた。
里の離れは人気がなく、夕焼けに染まった石床はどこか寂しい。
歩いていれば見つかるかもしれない。根拠はないが、そんな気がした。
屋敷近くの林道を抜けると、ひらけた畑道に出た。
水田には作物が揺れ、緑光を放つ精霊が蛍のように浮かんでいる。
近くの家畜小屋では、鳥の鳴き声。遠くには小さな山が見える。
ふと昔を思い出す。
俺は北海道の千歳、空港がある街で生まれた。
この澄んだ空気と田舎の光景は、どこか地元に似ている。
いつか、帰れたらいいな──。
エルフの里は、とにかく広かった。
闇雲に市場を歩いていたが、このままでは見つかる気がしない。
そうだ、マリネさんに聞いてみよう。
木製の階段を上がり、市場の上層へと進む。
しばらく歩いていると、いつもの甘いパンの薫りがした。
その匂いを辿ると、丸みのある木造の店が見えてくる。
看板にはエルフ語で、“イステリア・ベーカリー”と書かれていた。
「──姫様ですか? 今日は聖殿でお祈りだと思いますよ。姫巫女の日ですから」
銀長髪を緑のカチューシャでまとめた少女、マリネは明るく答えた。
「でも立ち入り禁止なので、会えないと思いますけど」
「わかった! ありがとう、マリネさん」
「はい! また来て下さいねーっ」
彼女の声を背に受けながら、足を速めた。
階段を駆け下りる──風を切る音、タンタンと鳴る木床。
どうして、こんなにも浮足立っているのだろう。
場所には心当たりがあった。
立ち入り禁止の聖殿──予想が当たっていれば、あそこに違いない。
里の西側、森の外れ。
すでに日は落ちており、道は薄暗かった。
仄かにランプが灯った小道を進んでいく。
石造りの広い階段──ここだ。
かすかな灯火を頼りに、一段ずつ踏みしめていく。
階段を上りきると、月が満ちていた。
視線をおろすと、月面を静かに映す大きな泉が広がっている。
水面には、黄緑の光を帯びた精霊たちが、ゆらゆらと舞っていた。
泉の奥には、木造りの大きな社が佇んでいる。
あれが、恐らくは──
「……また、きた……」
小さいが、不思議と通る声がした。
横を向くと、薄青緑の長髪が風に揺れた。
いつの日か出会った少女だ。
変わらず感情のない顔で、じっと俺を見ている。
「来ていいって、言ってたろ」
彼女は目をぱちぱちさせると、
「……うん」
思い出したように頷いた。
「なぁ、フィオナ──水色っぽい青髪の子、知らないか?」
「聖殿、いる」
木造りの社のほうを、少女は細い指で示す。
やはり──あの大社が“聖殿”らしい。
「でも──」
「ありがとなっ! いってくる!」
「あっ……」
すぐに泉の奥へ体を向けた。
少女が何か言おうとした気がしたが、俺はもう駆け出していた。
奥へ進むと、木造の聖殿が静かに姿を現した。
近づくほど、日本の神社を思わせる意匠が際立っていく。
さらに歩み寄ったそのとき、その入り口から、人影がゆらりと出てきた。
あれは──フィオナだ。
巫女のような白装束。端に編み込まれた金の刺繍と、長い袖は歩むたびに揺れた。
その姿は、“特別”を暗に語っているように見えた。
一歩、また一歩。規則正しい足取りで階段を降りていく。
泉の縁で立ち止まり、青い帯を整える。
そして、迷いなく水面へ足を浸した。
服のまま、泉へと入っていく──水の波紋は広がり、精霊は舞い上がった。
彼女は五歩ほど進むと、胸の前で指を組み、祈りを捧げはじめた。
階段の手前まで来ていたが、そこで足は止まった。
どこか神聖なその空気に、俺は動けなかった。
話しかけては、いけない気がした。
「──緋色」
フィオナは振り返った。
その表情は、いつもの明るい少女とは違った。
水面の光を受けたその顔は、どこか神聖な影が差していた。
「……よっ!」
いつもと違う雰囲気に、妙にたじろいでしまった。
フィオナがゆっくりとこちらへ歩いてくる。
俺も階段を降り、泉のほとりへと歩みを寄せた。
「だめじゃない。ここ、立ち入り禁止よ」
「ふっ。俺はあの子に良いって言われてんダゼ」
はるか向こう──泉の入口近くにぽつんと立つ少女を顎で示し、どや顔してみせた。
「巫女様が? 珍しいこともあるのね……」
「そうだ。手、出して!」
「?」
フィオナは小さく両手を差し出した。
俺は懐から黒い箱を取り出し、蓋を開けた。
六弁の白花が光を宿した、ハーマンディの指輪を取り出す。
彼女の左手をそっととり、薬指へと──指輪をすべり込ませた。
「……これは?」
「誕生日! おめでとう~!!」
フィオナは指先を見つめたまま、ぴくりとも動かなかった。
「喜んでくれるかなって。まぁ俺のセンスだからちょっと変かもだけど」
「……」
彼女のまつ毛は薄く震え、頬に一滴の水滴が流れた。
それは水ではなく、彼女が流した涙だということに、俺は一瞬気づけなかった。
「ぁ──」
喉奥が苦しくなった。
はめる指が変だったか。というか薬指だと、結婚指輪じゃないか。
どこにはめればよかったのか。普通に渡せばよかったのでは。
こんなことなら、ランシアにもっと聞いておけばよかった。
「嫌だったか? やっぱ指輪はちょっと変──」
「ううん、違う。違うの」
「ごめん、私……ごめんなさい」
「どうしたんだよ」
フィオナは両手で顔を覆った。
指の隙間から、涙は零れ落ちている。
声もなく、彼女は泣いていた。
少し迷ってから、静かに距離を詰めた。
ためらいながら肩へ手を添えると、泉のほとりに並んで腰をおろす。
子供のように小さくなった彼女の背中を、しばらく撫でていた──。
──真っ赤になった目元を袖でこすると、フィオナは口を開いた。
「……レスターに生まれたエルフはね。生まれた日に、この聖域で祈りを捧げるの」
彼女は両手で指を組んだ。
「女神様、どうか私をお守りください。使命を果たせますように。ってね」
「使命?」
「……私、もうすぐ里を出なきゃいけないの」
「え?」
「そういう、決まりになってるんだ」
沈黙する俺を見ながら、彼女は胸に手をおいた。
「私のフルネームは、フィオナ・“エバーディル”・レスター」
「エルフをずっと守り続けてきた、偉大なる始祖の血を引く──『英雄の末裔』。その現世代の姫巫女が……私」
“姫様”、パン屋のマリネはそう呼んでいた。
その意味が、ようやく分かった。
「レスターは、代々女神の剣を継いで戦ってきた。だから、私も剣を抜かないといけない」
姫巫女の日が、なぜ陽気な空気ではないのか──
「この宿命からは、逃げられない。私が逃げれば、戦いに全てを捧げたレスターたちが、流れた多くの血が、決して私を許さない」
ああ、そうか……
今日は、レスターの名を持つ彼女の、姫巫女の──覚悟の日なのだ。
里のみなが祈りを捧げるのは、彼女のためなんだ。
フィオナは泉に浮いていた青い小花をすくい上げた。
指先で包んだそれを、胸元で大事に抱えた。
「私ね、花が好き。広い森が好き。優しい皆が好き。この里が……大好き」
「本当は行きたくない──」
苦しい。
自分のことでは、ないのに。
彼女のこんな顔を見るのは、初めてだった。
「──なーんて言ったら、みんな困っちゃうのよ」
フィオナは持っていた青花を、水面へ静かに戻した。
もう、普段の明るい笑顔に戻っていた。
気持ちも、花と一緒に流してしまったように。
「そんなの……理不尽だ」
胸がざわつく。
「全然いいのよ! 外の世界はすごく楽しみだし、ずっと行きたかったんだ」
──うそだ。
「本当は、少し寂しいけどね。せっかく仲良くなれたのに」
逃げてしまえばいい──
そう言おうとしたところで、
「だーめ。これは、使命なんだから。エルフはね、命より掟を重んじるのよ」
俺の唇に、細い人差し指が触れた。
微笑むフィオナは、強いようで、弱いようにも見えた。
「ごめんね、変なこといって。緋色になら話しても良いかなって」
「なんでだよ」
だめだ。
「行きたくないなら行くなよ」
言うな。
「……」
「助けて欲しいって、止めて欲しいって……言えばいいじゃないか!」
「……緋色。私は……大丈夫だよ」
言葉があふれて、止まらなかった。
「ねぇ。運命って信じる?」
「……神様が、人の将来を決めるってやつだろ」
「そう。この里では、女神様だけど」
「……信じないよ。俺は……神様に祈って良かったことなんて、ほとんど無いんだ」
「運命はね、絶対じゃないの」
フィオナは左手で水をすくうと、指の隙間からさらりと落とした。
「示された道から、逃げることだって出来る。でも……」
水を落とした手を、固めるように拳を作った。
「一度それを握りしめれば、それは“選択”に変わるのよ」
彼女の真っすぐな瞳に、俺は気圧された。
「私は、誰かの意思で行くんじゃない。この里、みんな……自分のために、私は前に進む」
曲がらぬ意志が、そこにあった。
「緋色。私は……大丈夫だよ」
彼女は、自分で選んだのだ。
全ての感情を踏み越えて、その道を、“英雄の道”を進むことを。
その覚悟を、否定していいわけがない。
気づいていたはず。
気づいていたはずなのに。
俺は──
「これ、ありがとう。ずっと、ずっと大切にする!」
その笑顔は、明るい向日葵のようだった。
彼女のために言ったはずの言葉は、自分のわがままでしかなかった。
どうしようもなく、腹が立っていた。
「……」
「……あーあ! お腹空いたー! ライルの家でも行く!?」
「……うん」
「ほーら。暗い顔してないで、行こっ!!」
水で冷たくなった左手で、彼女は俺の右手を引いた。
引きずられるように歩いていく。
はめた指輪の隙間で、泣いた彼女の姿が、ずっと離れない。
俺はフィオナのことを、何一つわかっていなかった。
繋いだ手は、すぐに温かくなった。
頬を撫でる優しい風は、どこかもの悲しく、冷たく感じた──。




