29-二度目の積み木崩し
「難しかったね」
「そうね、後半の問題は結構苦戦したわ」
模試も終わり、幸恵さんと模試について話し合っていた。
「結果が出るのは半月後だったかしら?」
「うん。二週間後の水曜日だって」
細かな日程まで把握している。流石だ。
「結果は楽しみ?」
「うーん。手応え微妙だったから、あんまり」
幸恵さんは苦笑した。
「私もよ。ああ、でも数学は良い手ごたえだったわ」
認めるのは癪だがあの変態の授業の賜物だろう。
「そうだね! 佐仁田先生のお陰かな」
「そうかもしれないわね」
幸恵さんも同じことを思っていたらしい。
「お疲れー! 二人ともどうだった?」
夢乃さんがこちらへ来て聞いてきた。
「数学が良かったって話をしていたところよ」
こう答えると、
「そうそう! あたしもそう言おうとしてたの!」
夢乃さんも同意した。
「確かに数学は鉛筆転がしに頼らず解けましたわね!」
祁答院が近づき言った。
暗に他の教科の選択問題は運頼みと言っているのだがそれでいいのだろうか。
まあでも、佐仁田の授業のお陰で数学は全体的に実力は向上したのだろう。あれだけ懇切丁寧な授業をしたのだから当然か。
「皆さん、模試はどうでした?」
HRのために早めに教室に来た佐仁田が私たちの間に割って入ってきた。
「先生! 数学結構解けたよ!」
夢乃さんが元気に答えた。
「皆全体的に良かったみたいで。先生のお陰です」
私も佐仁田を褒めた。
「それは良かった。これからも精進していきましょう」
佐仁田はそう言うとHRが始まる気配を察したのか、教室の後方へ去って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
二週間後のロングHR。模試が返ってきた。成績は手ごたえ通り数学の伸びが良かった。友人らもそこは同じの様で、皆で話をしていると、佐仁田がやってきた。
「どうでした、模試の結果は」
「数学は手ごたえ通り! 偏差値10も上がっちゃった!」
「え、そんなに上がったの?」
驚いて私は口にした。偏差値において10という数字はあまりに大きい。
「元々が45だからねー」
なるほど。元々が低ければ伸びしろもたっぷりあるというわけだ。
「私もグンと成績が上がりましたわ!」
祁答院も自信たっぷりに通知用紙を見せる。そこには偏差値45の文字が。
「ええと……元はいくつだったの?」
幸恵さんが聞きづらそうに聞いた。
「35ですわ!」
自慢げに言う事じゃない……
隣を見ると幸恵さんも頭を抱えていた。
「まだまだ伸びしろはあります。このままもっと上を目指しましょう」
にっこりと微笑んで佐仁田は言った。
こうしていると本当に善良な教師のようだ。
「さて、そろそろHRが始まります。皆さん席へ戻ってくださいね」
「はーい!」
「分かりましたわ!」
私と幸恵さんの机の周りに集まっていた二人は元気に答えて自分の席へ戻って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ねえ」
車の中、六浦に話しかけた。
「どうされましたか?」
「いや、今日のお爺様への定期報告が憂鬱だなと思ってね」
今、私たちは自分の屋敷ではなくお爺様の屋敷へ向かっている。評価がいい方に傾いていればいいのだが。
「腹立たしいことですが、お嬢様の話を聞く限り仕事ぶりは完璧だというじゃないですか。いい評価がもらえるんじゃないですか?」
「そうねえ」
それ自体は間違いなくいい事なのだが、何かもやもやする。
この後はお爺様の屋敷までお互い無言のままだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
屋敷の前に着くと佐仁田は既に到着しており、ネクタイを整えていた。
「流石、身なりも完璧ね、佐仁田先生?」
冗談混じりにこう言うと、
「久々の呼び出しですからね。いくら整えても整え過ぎという事はないでしょう」
佐仁田は当然のように答えた。
「そうね。ここからはお爺様の領域。私たちは恋人同士。いいわね?」
「はい。それじゃあ行こうか、朱音」
「ええ」
差し伸べられた手を取って屋敷へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「お主の評判は儂の耳にも届いておる。八割強の生徒の成績が上がったと聞いた。中々どうしてやるではないか」
お爺様にしては珍しく手放しに佐仁田を褒めた。
「して、朱音との関係はどうなのだ? 仲やら、距離感の話だ」
お爺様は話を一気に進めてきた。
さて、どうしたものか。近すぎてもいけないし遠すぎてもいけない。塩梅が難しい。
「個人的な指導にも来てくれますし、公私問わず仲は良好です。距離感と言うと……体育祭での行動はやりすぎたようで、少し怒られてしまいました。ただ、それ以降は適切な距離感を保てていると思います」
佐仁田は完璧な答えを出した。
「ふむ……なるほど。それはいいことだ。儂の信頼も積み重なってきておる。この調子で精進せよ」
「はい!」
お爺様の言葉に佐仁田は大きく頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「やっぱり、お爺様と面と向かうと肩が凝るわ。嫌いではないのだけれど、どうにも落ち着かないというか」
佐仁田も乗った車の中、六浦に愚痴をこぼした。
「そうですね、私も緊張します」
バックミラー越しに六浦が頷くのが見えた。
「確かに威圧感がありますよね、昇蔵さんは」
佐仁田は同じく首肯した。
「でもまあ、佐仁田の評価が良かったのはいいことだわ。これからも評価を積み上げること」
「はい、分かりました」
そうこう話しているうちに屋敷に着いた。
「そうだ、後で数学の課題を見てくれる? パッと見だけど分からない問題が数題あって」
この言葉は嘘だ。分からない問題などない。佐仁田との時間を作るための言い訳。
自分でも理解できないのだが最近は何故かこういった行動をとってしまう。下僕としての佐仁田ではない、等身大の人間としての佐仁田との時間を欲しがる自分がいる。
「喜んで。主従関係もありますが私は朱音様の担当教員でもあるので」
佐仁田は教員として見せる優し気な笑顔で答えて見せた。
それが私の心の内を見透かしているようで少し腹が立った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
終業式の前日。お爺様にまた呼び出された。定期報告はまだ先だというのに、何の用だろうか。
「失礼します。朱音です」
コンコンとドアをノックし、佐仁田、六浦と共に部屋に入る。そして入るなり聞こえたのはお爺様の怒声だった。
「佐仁田! 貴様過去を偽っていたな! 退職理由は変態的な全裸での疾走⁉ とても龍蔵寺を受け継げる身分じゃない! 朱音! 貴様はこれを知っていたのか⁉」
「ッ……!」
言葉に詰まる。知っていたが隠すべきか正直に話すべきか。悩んでいると佐仁田が口を開いた。
「ええ、彼女は知っていましたよ。私が蔑まれる事にこれ以上ない愉悦を感じるド変態だということも」
お爺様が目をギョロリと回して佐仁田の方を向く。そのまま今度は私の方を向き、お爺様は口を開いた。
「朱音、お前には失望した。お前の婚約者は儂の選んだ丹代財閥の御曹司にする。これは決定事項だ。分かったら下がれ」
「お爺様……!」
つい言ったものの、次の言葉が出ない。すると佐仁田が私の言葉に続いた。
「昇蔵様。言いたいことはよく解ります。しかし彼女は今まで私という怪物を飼い慣らし手元に置いていた。彼女はただのか弱いお人形じゃない。立派な女王です」
その言葉にお爺様は激高し、
「貴様、自分が誰に向かって口を利いているか分かっているのか! 龍造寺の力を使えば、貴様など二度と日本の社会で生きていけないようにすらできるのだぞ! 路上で泥水をすするホームレスにでもしてやろう!」
「ああ……素晴らしい。日本経済の頂点に立つ方からの、完全なる社会生活の剥奪宣言。背筋が凍るほどの絶望感……ッ! ありがとうございます、昇蔵様。最高のご褒美です」
これ以上ないほど恍惚とした表情の佐仁田に、お爺様はたじろぐ。しかし勢いは収まらず、
「儂の目が狂っていた。今すぐ屋敷から、そして学校から出て行け!」
「承知いたしました。ですが昇蔵様。私が今ここで不当解雇を騒ぎ立てれば、龍造寺の学校の評判に傷がつきます。明日の終業式までは教師として全うさせてください。その後、誰にも知られずひっそりと姿を消しましょう」
佐仁田は、長く近くにいた私にのみ分かる程度ににやけて言った。
「……いいだろう。明日が終われば、二度と朱音と学校に近づくな。話は終わりだ。さっさと出ていけ、この汚物が」
お爺様は渋々といった声色で答えた。
「畏まりました。ではまた明日」
深々と頭を下げた佐仁田の顔は今までになくにやけていた。




