第九十一話「静かなる鮮烈デビュー」
サイレンのような開始の合図が第三演習所に木霊する。
クレアと駆け回ったのが懐かしい第三演習所は迷うに十分な広さがある森林区域。
相変わらず入ってしまえばここが学園内であることを忘れてしまうほど青々とした緑が広がっている。
葉擦れが耳に心地よく、木漏れ日が温かくて安らぐこの場所で、今すぐお弁当を広げてピクニックといきたいところだけど、周りで響き渡る猛りや叫び、爆発音や剣戟の響きが空気を殺伐とさせる。
「始まったね~」
「だな。どれくらいかかる?」
「とりあえず今から授吻して、それから十五分あれば大丈夫」
大きい石に腰を据えて打合せするあたしとイリス。
気を抜いているわけではないけど、はたから見たら悠長なものだと思われそうな空気感で会話する。
でもこれも作戦のうちだ。
最初は身を隠して時間を稼ぎ、その間にあたしは魔力を練る。
魔力消費の激しい魔法を使うところはあたし達と同じように隠れ、魔力消費の少ない魔法を使うところはすぐに動いているはず。
「とりあえず一回目、始めるぞ」
「うん」
あたしとイリスは遠くで騒がしい戦闘音が聞こえる中、そっと顔を近づける。
イリスもあたしも理由は違えど授吻に抵抗があったものの、今ではお互いに慣れたものだ。
それにこの一週間、イリスとは毎日のように何回も授吻している。
「あ、別にそれは訓練のための行為であってそれ以上の深い意味は無いんだからね」
「どうした急に?」
「いや、ゴメンなんでもない」
気を取り直してあたしとイリスは唇を重ねる。
練り上げた魔力をイリスに流し込む。
身体を寄せ合い、互いの舌が口内で手を取り合うように絡まる。
イリスの手が力強く、でも優しくあたしの腕を掴んで引き寄せられる。
近くで響く轟音よりも瑞々しいリップ音の方が耳に残り、他の生徒の鬼気迫る声よりも重ねた唇から零れる吐息の方がより鮮明に聞こえる。
背筋にこそばゆさが迸り、力んだ体が弛緩していく。
イリスの髪が白銀の輝きを放ち、制服の上には袖口や襟に毛皮の付いた白いロングコートが顕現する。
イリスの解花――氷外套。
最初の授吻で解花化なんて普通はあり得ない。
ブレイドにとっては助走、加速を経ずにトップスピードを叩き出すような異常。
最初の授吻で解花状態に持っていくほどの魔力濃度、それほどの魔力濃度を一定量練り上げることのできる魔力の安定性。
この二つを特化型特性レベルで持ち合わせて初めて出来る芸当らしい。
イリスは変換型と創造型の両方を併せ持つブレイド。
度重なる授吻であたしの応化特性――適応進化はイリスの魔力に適応して魔力濃度と安定性の両特化の特性に変貌していた。
それが発覚したのは昨日の授吻だった。
アレクシア先生に相談した時の、先生の胃に穴が開いたような顔はよく覚えている。
「「んぅっ……」」
授吻を終えて、口が離れても鼻先が触れそうな位置であたしとイリスの熱の籠った吐息が混ざり合う。
これでもまだイリスの身体に負担をかけないための下準備。
あたしはすぐに魔力を練り直す。
イリスの解花化だけでも十分に勝利を狙えるとは思うけど、イリスの目論見は圧倒的勝利らしい。
解花状態のイリスをそのままにしておくのはもったいないけど、イリスの作戦に従って魔力を練ることに専念する。
「そういえば、ありがとな」
「え、何のこと?」
魔力を練るあたしに対して唐突にイリスから感謝をぶつけられて思わず困惑してしまう。
礼を言われることなんてやった記憶が一切なかったあたしはただただ問い返すことしか出来ない。
「エクレインと会った時のことだよ。サラがあの場に居なきゃ、逃げ出しそうなオレに頷きかけてくれてなきゃ、今頃オレはこの場に居ない。だからこうしてサラが隣に居てくれるのは感謝しかねぇんだ」
「……そっか。せっかくだしその感謝は素直にもらっとくね。でも一つだけ……これからもあたしはイリスの支えになるし、イリスもあたしをいろいろと助けてほしい。互いに助け合うのがパートナーでしょ。だからあんまり重く感じないでね。礼を言うとしてもサンキューってテーブルの醤油取った時くらいの軽い感じでいいんだよ。あんなことでそんな感謝されたらあたしはイリスの心の負担になっちゃってるって勘違いしちゃうから」
「……ほんとにサラと会えて良かった」
「そう改めて言われると恥ずかしいね」
「だな」
あたしとイリスは思わず笑ってしまった。
少しずつ、ちょっとずつでいい。
あたしとイリスの関係性を紡いでいけばいい。
周りでは殺伐と戦いが繰り広げられているのに、この場は和やかな雰囲気が広がっていた。
そうしてしばらく時間が経ち、あたしの準備が整った。
「イリス、行くよ」
「おう来い」
「「っん……――――」」
あたしはイリスと二度目の授吻を始める。
さっきとやり方は同じはずなのに、より密に、より近くにイリスを感じる。
鼓動のリズムが合わさり、重ねた唇を通じてイリスの思いが流れ込んでくる。
重い過去の記憶が、今を生きようとする複雑な感情が流れ込んでくる。
本当に一つになるようなこの感覚は――ミリナちゃんとの戦いでアリシアと授吻した時と似たような感じだ。
あたしから受け取った魔力がイリスの中で激しく渦巻く。
イリスの身体から冷気が漏れて、周りの木々を霜で覆っていく。
満解――――“ 白銀氷界 ”
イリスを中心に魔力が拡散する。
でもそれは魔力が暴走したからじゃない。
イリスの変換型の力が周囲を氷の世界に変えていき、創造型の力が全体を氷の世界に閉じ込める。
摩擦の消えた氷の大地、叩けば砕けてしまいそうな冷えた木々。
息を吸うと肺が痛くなりそうなほど冷たく、思わず目を閉じてしまいそうなほどパリッと凍った空気。
あたしが今何ともないのはイリスの魔力の保護下に居るからだろうか。
ペタル試験で圧倒的な力を見せつけた、氷で生み出した竜の背に乗って宙を舞うあたし達。
満解のイリスが生み出した氷の世界に動揺しているのか、それともすでに氷漬けになってリタイアしているのか、さっきまで響いていた戦闘音がすっかり静かになっている。
それでも頭上のあたし達に気が付いた何人かの生徒はすぐに攻撃を仕掛ける。
でも魔力もまだ練れてないであろう今、空を飛ぶあたし達に届かせるには少し難儀している。
「さあ、終わらせるぞ」
氷竜が天を仰ぎ冷気を集める。
裂くような音が響き、乾いた空気が震え、魔力の収束が全員にプレッシャーを与える。
ペタル試験でその力を振るった銀ノ咆哮。
ただあの時と違うのは、氷竜のほかに星のように点々と浮かぶ氷の魔力と、凍った地面のヒビから噴水のように冷気が吹き出す。
イリスの為に世界が呼応するその光景は、他の生徒からすれば終焉そのもの。
今イリスの隣にいるあたしでさえ、呼吸を忘れるほどの衝撃。
「――――極氷焉界」
氷竜の凍てつく冷気の咆哮、降り注ぐ凍気の雨、大地を穿ち天に伸びる寒気の柱。
防ぐことはおろか、逃げることすら許さない。
生命の生存を拒絶する冷気の世界。
氷点下なんて表現は生易しい絶対零度。
解化状態とは比べ物にならない力。
第三演習所全体が分厚い氷で覆われていた。
生徒の声どころか風の音すら消えてしまった静寂の世界で選考会終了の合図がクリアに響き渡った――――。




