外伝3 第2話「人化の術と新しいペット?」
ザルグレスが譲に忠誠を誓ってから、しばらく経ったある日のこと。
庭で昼寝をしていたアウストラリスが、珍しく真剣な顔で譲に声をかけた。
「主様。少々、お耳に入れたいことが」
「なに?」
「近頃、若いドラゴンの間で、人間へ姿を変える術を編み出した者がいるそうです」
「……人間に?」
そばで聞いていたかすみの目が輝いた。
「それ、ちょっと面白そう」
「我も興味がある」
ザルグレスまで口を挟む。
かすみは人の姿をしているザルグレスを見た。
「ザルグレスの人化は教えられないの?」
「我の人化は神の権能だから、教えられるものではないな」
「そうなんだ……」
ルビアは腕を組み、面白そうに笑った。
「へえ。じゃあ行って教えてもらえば?」
アウストラリスがすぐに頭を下げる。
「お願いします!」
こうして五人は、人化の術を使えるという若いドラゴンを訪ねることになった。
譲、かすみ、ザルグレス、ルビア、そしてアウストラリス。
数日後、一行が森の中を歩いていたときだった。
先頭を歩いていた譲が、突然足を止めた。
「……ねえ、かすみ」
「なに?」
返事をしながら、かすみも譲の視線を追った。
森の向こうに、巨大な魔獣がいた。
全身を分厚い筋肉に覆われた巨体。太い脚が一歩動くたびに地面から低い響きが伝わり、周囲の木々と比べても、その身体がどれほど大きいのかよく分かる。
ベヒーモスだった。
譲の目が輝いた。
「かわいいね……」
「駄目」
即答だった。
譲が振り返る。
「まだ何も言ってないよ」
「顔に書いてあるよ」
「……飼いたい」
「駄目」
「お願い」
「駄目」
少しも間を置かずに返され、譲はもう一度ベヒーモスを見る。
ベヒーモスも譲を見ていた。
「……かわいい」
「どこが?」
かすみは頭を抱えた。
「ゆずるくん。うちにはアウストラリスがいるでしょ」
「アウストラリスはドラゴン」
「そうだね」
「ベヒーモスはベヒーモス」
「そうだね」
「違う」
「種類の問題じゃないんだよ」
隣で聞いていたルビアが吹き出した。
「完全にペットを欲しがる子供と母親じゃん」
「ルビアも味方してよ」
「いや、あたしはかすみ側かな」
「そんな……」
譲の肩が落ちた。
その様子を見ていたアウストラリスが、どこか落ち着かない様子で口を挟む。
「……あの、主様」
「なに?」
「我も……一応、家ではペット扱いなのですか?」
「うん」
「庭の番龍でもあります」
「うん」
「……その……我の立場が……」
かすみがアウストラリスを見る。
「大丈夫だよ。ゆずるくんが増やしたいだけだから」
「増やす……」
アウストラリスの顔が引きつった。
その横では、ザルグレスが腕を組んでベヒーモスを眺めている。
「強そうだな」
「ザルグレス?」
かすみの声に、ザルグレスは何事もなかったように顔を戻した。
「いや、何でもない」
今度は譲がその顔を見る。
「ザルグレス」
「なんだ?」
「飼いたい」
ザルグレスは少し考え、ベヒーモスと譲を見比べた。
「……我は反対しない」
「ザルグレス!」
かすみの声が森に響いた。
「ザルグレスまで何言ってるの!」
「しかし、主殿が望んでいる」
「だからって!」
譲の顔がぱっと明るくなった。
「かすみ!」
「駄目です」
「……」
「駄目です」
今度は譲が考え込んだ。
どうにかならないかとベヒーモスを眺め、やがて小さく口を開く。
「……じゃあ、抱っこだけ」
「ベヒーモスを?」
「うん」
「もっと駄目です」
ルビアが堪えきれずに笑った。
そのとき、今までじっと譲を見ていたベヒーモスが動いた。
巨大な身体がゆっくりと近づいてくる。
かすみが警戒するより先に、ベヒーモスは譲の前で頭を下げた。
「……!」
譲は嬉しそうに手を伸ばした。
大きな頭をそっと撫でる。
ベヒーモスは抵抗するどころか、気持ちよさそうに目を細めた。
「……かわいい」
かすみは何も言わなかった。
その横顔を見たルビアが、小声で話しかける。
「かすみ」
「なに?」
「もう負けじゃない?」
「……違うよ」
かすみはベヒーモスを見つめたまま答えた。
「うちにはアウストラリスがいるから」
「はい……」
アウストラリスが複雑そうに頷く。
かすみは腕を組んだ。
「これ以上は駄目。ベヒーモスまで飼うなら、ザルグレスとアウストラリスの食事は半分以下。おやつも抜きね」
「……」
アウストラリスが黙った。
ザルグレスも呆然としている。
しばらくして、自分まで当然のように数えられていることに気づいたらしい。
「……我もペット枠だったか……」
ルビアが吹き出した。
譲はそんなやり取りにも気づかず、しばらくベヒーモスの頭を撫で続けていた。大きな頭に何度も手を滑らせたあと、ようやく名残惜しそうに手を離して立ち上がる。
「分かった」
かすみが少し意外そうな顔をした。
「本当に?」
「うん」
かすみは譲の頭を撫でる。
「偉い」
譲は撫でられながらも、少し寂しそうにベヒーモスを見た。
「……でも」
「まだ何かあるの?」
「行くまで、もう少し撫でていい?」
かすみは笑った。
「もちろん」
「うん!」
譲はもう一度ベヒーモスのところへ行き、大きな頭を撫で始めた。
やがて五人は再び歩き出した。
譲は何度か振り返り、そのたびに手を振った。ベヒーモスは追ってくることもなく、森の中に立ったまま一行の姿を見送っている。
ルビアも一度だけ後ろを振り返った。
大悪魔と神龍。
かつて世界中から恐れられていたはずの存在が、今では譲の家のペット二匹として数えられている。しかも今日の旅の目的は、そのうちの一匹である神龍が、人化の術を習うことだった。
ルビアは前を歩くアウストラリスを見た。
――人間の姿になったところで、果たしてペット扱いから逃れられるのだろうか。
答えが出ないまま、一行は旅を続けた。
やがて目的地へ到着すると、一人の若いドラゴンが彼らを迎えた。
「人化の術を教えてほしいのか?」
若いドラゴンはアウストラリスの巨体を見上げ、前脚を差し出すよう促した。
アウストラリスが頷く。
「うむ。ぜひ頼みたい」
「分かった。まずは魔力を身体の内側へ集めて、それを少しずつ形にしていくんだ」
アウストラリスは教えられた通り、自分の内側へ魔力を集中させていった。
これまで力は、敵を倒し、空を飛び、巨体を支えるために使ってきた。それを身体の奥へ押し戻す。翼の先まで満ちていた魔力が縮み、四肢の感覚が急に近くなった。
やがて巨大な身体を光が包む。
輪郭が揺らぎ、少しずつ縮んでいく。大きな翼も、長い尾も、巨大な四肢も光の中へ溶けるように形を変えていった。
そして光が消えた。
そこに立っていたのは、人間の姿をしたアウストラリスだった。
アウストラリスは、しばらく自分の両手を見つめた。指を曲げ、開き、今までとはまるで違う身体の感覚を確かめる。
「……これが、人の姿か」
真っ先に駆け寄ったのは譲だった。
「すごい!」
アウストラリスは少し緊張した様子で譲を見る。
「どうでしょう、主様」
譲は人の姿になったアウストラリスを上から下まで眺めた。
アウストラリスも、その答えを待っている。
やがて譲が嬉しそうに笑った。
「アウストラリスだね!」
「はい」
アウストラリスの表情が少し緩んだ。
「じゃあ、これからもペットね!」
「なぜですか!?」
森に、アウストラリスの悲鳴が響き渡った。
ルビアは腹を抱えて笑い、ザルグレスまで肩を震わせている。かすみは苦笑しながら譲を見た。
「ゆずるくん。本当にアウストラリスが好きなんだね」
「うん!」
人の姿になった神龍は、一人で空を見上げた。
長い年月を生きてきた。
多くの戦いを経験した。
人の姿を得るために、わざわざここまで旅もしてきた。
それなのに、人化した自分を待っていたのは、何一つ変わらない「ペット」という立場だった。
アウストラリスはしばらく空を見ていたが、後ろから譲の楽しそうな声が聞こえてくると、わずかに口元を緩めた。
「……まぁ、いっか」
振り返れば、譲が笑っている。
それなら、それでもいいような気がした。
「主様」
「なに?」
後ろから、譲が人の姿になったアウストラリスの指を握った。
「帰ったら、庭の番も続けます」
「うん!」
「……ペットとしても?」
「うん!」
「…………」
アウストラリスは、もう一度遠い空を見つめた。
その横でルビアがまた笑い始め、ザルグレスも堪えきれないように顔を背ける。譲だけは何がおかしいのか分からないまま、嬉しそうに人の姿になったアウストラリスを見ていた。
五人はそのまま、笑い声とともに帰路についた。




