外伝3 第1話「まぁ、いっか」
昼下がり。
かすみと譲が出かけている家に、ルビアが遊びに来た。
「お邪魔するね」
庭へ出ると、人化したザルグレスがいた。本来の戦神の姿では周囲の人々を怖がらせてしまうため、譲に仕えるようになってからは、こうして人の姿で過ごすことが多くなっている。
「おう、ルビア。二人とも留守だぞ」
「知ってるよ。今日はちょっと遊びに来ただけだから」
ルビアは庭のベンチに腰を下ろした。そのすぐ近くには、巨大な身体を持つ神龍アウストラリスがいる。ここを住処にしている彼は、いつもの場所から二人を静かに見下ろしていた。
「アウストラリスもいたんだ」
「うむ。ここは我の住処だからな」
「そうだったね」
ザルグレスもルビアの隣に腰を下ろす。
しばらくは他愛のない話をしていた。最近受けた依頼のことや、町で見かけた人々のこと。そんな話を続けているうちに、いつしか話題は譲のことへ移っていった。
「そういえば、譲のことなんだけど」
ルビアが切り出すと、ザルグレスとアウストラリスが揃って顔を向けた。
「やっぱり、その話になるか」
「我も以前から気になっていた」
ルビアは腕を組んだ。
「前に、譲が七体の厄災と戦うところを見たの」
「七体……」
「それで?」
「全部、譲が倒したよ。あたしは離れた山の頂から、見ていることしかできなかった」
厄災は一体でも、神々に匹敵する力を持ち得る。個体によって能力も強さも違うが、普通の冒険者が正面から戦える相手ではない。S級であっても、単独での討伐は難しい。
「簡単に倒したよ」
ザルグレスとアウストラリスが黙った。
その反応を見て、ルビアは苦笑する。
「本当に簡単だったの。もちろん厄災だから、普通の相手じゃない。一万の討伐隊を全滅させた厄災だっている。でも譲は……まるで何でもないことみたいに倒してしまった」
ザルグレスは腕を組んだまま、遠い記憶を辿るように目を伏せた。
「我は何千年も生きてきた。その間に多くの強者を見てきたが……あれほど異常な力を持った奴は見たことがない」
「我も同じだ」
アウストラリスが静かに頷く。
「厄災どもは、我や勇者殿、戦神殿ともほぼ互角の力を持っている。我も神龍として長き時を生き、多くの強者を見てきた。だが、主様ほどの力を持つ者は知らぬ」
「やっぱり、そうだよね」
ルビアは小さく息を吐いた。
「厄災は、あたしたちS級冒険者でさえ、二人がかりでようやく互角に戦えるってとこだね」
三人とも、譲が強いこと自体を疑っているわけではなかった。
分からないのは、その強さがどこから来たのかということだった。
そこでアウストラリスが、何かを思い出したように顔を上げた。
「……そういえば、昔聞いた噂がある」
「噂?」
「封印の洞窟が空になっていた、という噂だ」
ルビアの目がわずかに見開かれる。
「……それ、あたしも聞いたことがある」
「我もだ」
ザルグレスが口を挟んだ。
「ただ、我がそのことを知ったのは後になってからだ。封印されていた我は、その当時のことを知らなかったからな。だが、使い魔たちを使って調べたことがある」
「それで?」
「その洞窟には、八十体もの厄災が封印されていたという情報が残っていた」
ルビアは黙り込んだ。
八十体。
七体を一度に倒したという話だけでも尋常ではない。それより遥かに多い八十体もの厄災が、一つの場所に封じられていた。
やがてルビアが口を開いた。
「……じゃあ、譲は八十体もの厄災の力を受け止めたってこと?」
「そう考えれば、辻褄は合う」
アウストラリスが答えた。
「だが、それはあくまで我々の推測だ。なぜ主様がそれほどの力を受け止められたのか、その理由までは分からぬ」
「普通なら耐えられるはずがない」
ザルグレスも考え込む。
「身体が壊れない理由も分からない」
アウストラリスは頷いたものの、すぐに眉を寄せた。
「主様自身も、力の来歴を語ったことはない」
「そもそも、なぜあれほどの力を持っているのかも分からないね」
また三人の会話が止まった。
何千年も戦い続けてきたザルグレスにも、神龍として長い年月を生きてきたアウストラリスにも、世界中を旅してきたルビアにも、譲の力について確かな答えを出すことはできない。
考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。
やがてルビアが腕を解き、肩の力を抜いた。
「……結局、分からないね」
「うむ」
「だな」
そのときだった。
「ただいまー!」
家のほうから明るい声が響いた。
三人が揃って振り向く。
「帰ったよ!」
譲とかすみが庭へ入ってきた。
「おかえり、譲」
「ルビア来てたんだ!」
「うん。遊びに来たの」
譲は嬉しそうに笑った。先ほどまで自分の力について三人があれこれ考えていたことなど、もちろん知るはずもない。
庭を見渡したところで、何かを思い出したように顔を輝かせた。
「そうだ! 今日は庭でバーベキューするんだよ!」
「バーベキュー?」
「うん! アウストラリスも一緒!」
「我もか」
「もちろん!」
譲は満面の笑みを浮かべる。
「みんなで食べようよ!」
「ふふっ。いいじゃん」
ルビアも笑った。
「かすみも手伝ってくれるんだよね?」
「もちろん。今日はいっぱい焼こうね」
「うん!」
譲はすぐにかすみのそばへ寄り、何を焼こうかと楽しそうに話し始めた。
その姿を眺めながら、ルビアはさっきまで三人で話していたことを思い返す。
八十体もの厄災。
もし本当にそのすべての力を受け止めたのだとすれば、目の前にいる少年がどれほど常識から外れた存在なのか、ルビアにも想像しきれない。
当の本人は、そんなことなど知らない顔で、肉をたくさん焼こうとか、アウストラリスにはどれくらい必要だろうとか、かすみと真剣に相談している。
ルビアはしばらく眺めたあと、小さく笑った。
「……まぁ、いっか」
「そうだな」
ザルグレスも笑う。
「うむ」
アウストラリスも頷いた。
「みんな早く行こう!」
「はいはい」
「分かった、分かった」
「うむ」
譲に急かされ、三人も庭の奥へ向かった。
それからしばらくして、バーベキューの準備が始まった。
かすみと譲が食材を並べ、ルビアも手伝う。アウストラリスの分は当然ながら量が違い、その山を見た譲が楽しそうに笑っていた。
そんな中、譲がふとルビアの顔を見る。
「ねえ、ルビア」
「ん?」
「ルビアって、ずっと見た目が変わらないよね?」
ルビアは一瞬だけ目を瞬かせた。
「そうだね」
「どうして?」
譲は不思議そうに首を傾げている。
ルビアの手が一度だけ止まった。譲はただ答えを待っている。
ルビアはその顔を見て、少し笑った。
「あたし、魔族だからね」
「……え?」
譲が目を丸くした。
ザルグレスとアウストラリスも、思わずルビアを見る。
「魔族だったのか」
「そうだよ。だから年を取るのが遅いの」
譲はルビアを見つめた。
驚いた顔のまま、少し考えている。
「そっか!」
それだけだった。
譲は何事もなかったようにバーベキューの準備へ戻り、かすみの隣で肉を並べ始めた。
ルビアはその背中を見つめる。人間の中で暮らしてきた彼女にとって、自分が魔族だと明かすのは簡単なことではない。それでも譲は驚いただけで、彼女を見る目を変えなかった。
「……本当に、気にしないんだね」
「主殿だからな」
ザルグレスが笑った。
「うむ。主様らしい」
アウストラリスも頷く。
その間にも、譲は何も気にせず、かすみと一緒に肉を並べている。
「かすみ、これも焼く?」
「うん。そっちに置いておいて」
「分かった!」
ルビアはそんな二人を見て、もう一度小さく笑った。
やがて肉の焼ける匂いが庭に広がり、譲の声にザルグレスが答え、アウストラリスまで会話に加わる。
その日の庭には、いつものように楽しそうな笑い声が響いていた。




