第55話「世界の理の外」
戦場には、絶え間なく轟音が響いていた。
かすみとザルグレスの戦いは続いている。二本の聖剣と四つの武器が激しくぶつかり合い、今ではそこへ魔法まで加わっていた。
ザルグレスが四本の腕を広げる。それぞれの手に武器を握ったまま魔力を解き放つと、周囲の空気が歪み、大地には巨大な魔法陣がいくつも浮かび上がった。
一つではない。
異なる位置に現れた魔法陣から、複数の魔法が同時に形を取る。
かすみは迫ってきた一つへ聖剣を振り抜いた。刀身が魔法を斬り裂き、弾けた魔力が光となって散る。その中を抜けて前へ出たところへ、横から別の魔法が飛び込んできた。
身体を傾けてかわす。
魔法が背後へ抜けたときには、その先にザルグレスがいた。
四本の腕が一斉に動いた。
かすみは二本の聖剣を横へ振り、迫った二つの武器を受け止める。金属音が重なった直後、残る二本が別の角度から迫ってきた。身体を捻ると戦斧がすぐ脇を通り過ぎ、かすみはその動きのまま地面を蹴って空中へ跳んだ。
上昇しながら魔力を集中させる。
次の瞬間、巨大な魔力の奔流が生まれ、ザルグレスへ向かって放たれた。
ザルグレスも即座に魔法を放つ。
二つの力が正面からぶつかった。
轟音とともに爆発が起こり、膨れ上がった白い光が戦場を覆い尽くした。遠見の水晶を通して戦いを見ていた人々も、思わず目を細める。
やがて光が薄れていく。
まだ視界が完全には戻らない、その中心から二つの影が同時に飛び出した。
かすみが聖剣を振る。
ザルグレスは四本の腕を動かして迎え撃った。
再び武器がぶつかり合い、甲高い音が戦場へ響く。
打ち合うたびに足元の大地が沈み、走った亀裂が戦場の外へ向かって広がっていく。
歴代最強の勇者、かすみ。
かつての戦神、ザルグレス。
目の前で繰り広げられている攻防は、人々がこれまで見てきた戦いとは何もかもが違っていた。どちらか一方だけでも、自分たちの知る「強者」という言葉では捉えきれない。
その頃、世界中の人々が二人の戦いを見つめていることなど知らず、譲は眠りから目を覚ました。
「……ん」
ゆっくりと目を開ける。
しばらく天井を眺めていた譲は、まだ眠気の残る顔で身体を起こした。
「……あれ?」
部屋を見渡す。
かすみがいない。
「かすみ?」
呼んでみても返事はなかった。
譲はベッドから降り、家の中を探した。居間にもいない。台所を覗いても姿はなく、外へ出て庭を見回してみても、やはり見つからない。
「かすみー?」
不安が喉の奥に触れたとき、遠くで大きな力が揺れた。
強い力だった。
それが誰のものなのか、考える必要はなかった。長い年月を一緒に過ごしてきた譲が、間違えるはずもない。
「……かすみ?」
顔を向ける。
遠くに、かすみがいる。
そう思ったときには、もう走り出していた。
庭を抜け、辺境の町から離れていく。足が地面を蹴るたびに身体が前へ進み、速度が上がっていった。
やがて、その足が地面から離れた。
譲は空を進んでいた。
飛行魔術を使ったわけではない。風の精霊から加護を受けたわけでもなかった。ただ譲自身が持つ圧倒的な力によって、その身体は当たり前のように宙へ浮かび、そのまま前へ進んでいる。
譲は自分が飛んでいることを不思議には思わなかった。
なぜ飛べるのかより、かすみを見つけることのほうが大事だった。
「かすみ、どこ……?」
空を進んでいく。
しばらくすると、遠くに荒れ果てた大地が見えてきた。そこだけが周囲とは明らかに違っている。地面は大きく抉れ、あちこちに亀裂が走り、遠くからでも感じ取れるほど濃い魔力が残っていた。
譲は空中で止まった。
眼下には、激しい戦いの跡が広がっている。
その中心に、探していた姿があった。
「……かすみ!」
譲の顔が明るくなった。
その声が届いたのか、かすみが顔を上げる。
「……譲?」
目を見開いた。
「どうして……?」
「かすみがいなかったから、探しに来た」
かすみは、しばらく空中にいる譲を見上げていた。
やがて戦場に向けていた鋭い目から力が抜けていく。張り詰めていた表情がほどけ、口元に笑みが浮かんだ。
「……そっか」
その声は、つい先ほどまで激しい戦いを続けていた者とは思えないほど穏やかだった。
その横で、ザルグレスは動かなかった。
四本の腕には、まだ武器が握られている。
巨大な剣も、槍も、戦斧も、もう一つの刃も、構えを解いてはいない。
それなのに、一本の腕さえ動かなかった。
ザルグレスは空中に浮かぶ譲を見つめていた。
これまで数え切れないほどの強者と戦ってきた。天界の戦士、人間の英雄、魔界の怪物、そして神々。自分より強い存在と刃を交えたことさえある。
長い年月を戦いに費やしてきた。
だからこそ、分かると思っていた。
立ち方を見る。身体の動きを見る。纏っている力を感じ取る。それだけで、相手がどれほどの強さを持っているのか、おおよその見当はついた。
目の前にいる勇者かすみもそうだった。
強い。
実際に刃を交えれば、さらに分かる。どれほど速く、どれほど重く、どこまで先を読み、どれだけの魔力を扱えるのか。戦えば戦うほど、その強さの輪郭が見えてくる。
だからザルグレスは笑った。
ようやく、自分が求めてきた戦いができる相手を見つけたと思った。
だが、空中にいる少年を見た途端、その感覚が通じなくなった。
ザルグレスの指が、わずかに震えた。
「……ありえない」
譲は声に気づき、不思議そうにザルグレスを見る。
「……?」
ザルグレスは、これまで出会ったあらゆる強者を思い浮かべた。神々も、天界の戦士も、魔界の怪物も、目の前で戦ったかすみさえも、比べるための足場にならない。
威嚇しているわけではない。
武器を構えているわけでもない。
魔力を放っている様子さえない。
ただ空中に浮かび、こちらを見ている。
それなのに、ザルグレスは答えられなかった。
強い。
最初に浮かんだ言葉は、それだった。
すぐに、その言葉では足りないと分かった。
どれほど強いのか。
測ろうとした。
そこで、思考が止まった。
比較するものがない。
目の前で戦ったかすみとも違う。かつて刃を交えた神々とも、天界の戦士とも、魔界の怪物とも違う。
ザルグレスが長い戦いの中で培ってきた感覚が、初めて何の答えも返してこなかった。
少年は、ただそこにいる。
その事実だけを前にして、四本の腕が動かない。
「……こんな力は」
ザルグレスの声が震えた。
譲はまだ、何を言われているのか分からないような顔をしている。
ザルグレスはその姿を見上げた。
「存在してはいけない……」
その言葉が、静まり返った戦場へ落ちた。
世界中の遠見の水晶が、空中に浮かぶ譲と、その少年を見上げたまま動けないザルグレスの姿を映していた。




