第52話「失われたお茶会」
お茶会の数日前から、譲は朝になるたび残りの日数を確かめていた。その日も椅子に腰を下ろすと、覚えたばかりの作法を思い出すように背筋を伸ばした。
「もうすぐだね、お茶会」
その日も嬉しそうに言う譲を見て、かすみは柔らかく笑った。
「うん。楽しみだね」
「ぼく、ちゃんとできるかな」
「大丈夫だよ」
「ほんと?」
「うん。譲なら大丈夫」
その言葉を聞くと、譲はほっとしたように笑った。
初めて参加するお茶会だった。親しくなった貴族たちと一緒にお茶を飲みながら、いろいろな話をする。その日のために、椅子に座る姿勢も、お茶の飲み方も、相手との話し方も練習した。
何を話そうかと考える時間まで、譲には楽しかった。
けれど、その日のうちに予定は変わった。
ザルグレスの復活によって、世界中が混乱していた。各国の精鋭部隊が動き出し、各地で対応に追われているという知らせは、辺境で暮らす譲とかすみのもとにも届いている。
そして、お茶会を開く予定だった貴族たちからも連絡が届いた。
「……お茶会、中止?」
知らせを聞いた譲は、しばらく動かなかった。
かすみが静かに頷く。
「うん」
譲はやがて顔を上げた。笑おうとした口元が、少しだけ歪んだ。
「……そっか」
譲は手元へ視線を落とした。
何日も前から待っていた。作法を覚えようと何度も練習して、分からないところがあればかすみに聞き直した。当日はどんなお茶が出てくるのだろう、みんなと何を話そう、そんなことも考えていた。
かすみと一緒に出かけることも楽しみだった。
それが、なくなった。
「……残念だね」
譲の声は小さかった。
かすみは何も言わず、その顔を見ていた。
「せっかく、楽しみにしてたのにな……」
「うん」
「みんなとお話したかった」
「うん」
かすみは否定しなかった。
楽しみにしていたのだから、残念に思っていい。準備をしている譲を何日もそばで見てきたかすみには、無理に納得させるような言葉をかけることもできなかった。
譲はしばらく俯いていたが、やがて少し寂しそうに笑った。
「仕方ないよね」
窓の外では、いつもの道を人が歩いていた。家々の屋根を夕日が染め、遠くで荷車の車輪が鳴る。この町だけを見れば、昨日とほとんど変わらない。
その変わらない景色の外で起きたことが、譲の楽しみにしていた一日を消してしまった。
世界中が大変なことになっている。
そんなときに、お茶会を開いている場合ではないことくらい、譲にも分かっていた。中止にした人たちが悪いわけでもない。
頭では、ちゃんと分かっている。
それでも、楽しみにしていたものが急になくなってしまった寂しさまで、一緒になくなるわけではなかった。
譲は窓の外へ目を向けた。
世界中が混乱していると聞いても、譲にはまだ、その騒ぎが遠くで起きていることのように思えた。
ただ、その遠くで起きている何かのために、楽しみにしていたお茶会がなくなった。
食卓の端には、作法の練習に使っていた器が置いたままになっていた。
かすみは譲のそばへ寄り、何も言わずにその背中へ手を添えた。
譲は小さく息を吐き、その手に少しだけ寄りかかった。
「……今日は、もう休む」
「うん。ゆっくり休もう」
譲は頷き、自分の部屋へ向かった。
ベッドに入って布団をかぶる。
いつもなら眠る前にも、あと何日だろうと考えていた。お茶会で何を話そうか、どんなお茶が出てくるのだろうと想像しながら眠ることもあった。
譲は枕に顔を埋める。
「……楽しみだったなぁ」
誰かに聞かせるつもりはなかった。
目を閉じると、覚えたばかりの作法が浮かんできた。椅子に座って背筋を伸ばしたこと、お茶を持つ手を何度も確かめたこと、分からなくなってかすみに聞いたこと。
そのたびに、かすみは教えてくれた。
当日は二人で出かけるはずだった。
みんなとお茶を飲んで、話をするはずだった。
譲は布団の中で少し身体を丸めた。
「……おやすみ」
しばらくすると身体から力が抜け、呼吸が少しずつゆっくりになっていった。
静かな部屋に、譲の寝息が聞こえ始めた。




