第50話「お茶会の約束」
辺境の地で暮らすようになってから、十数年の時が過ぎていた。
長い年月のあいだに、譲とかすみの周囲には少しずつ人との繋がりが増えていった。初めの頃にはほとんど知らなかった土地の人々とも顔を合わせれば言葉を交わし、街を歩けば声をかけられる。二人のことを知る者も増え、今ではこの辺境で暮らす人々にとって、すっかり親しみのある存在になっていた。
その中には、二人と特に親しく付き合うようになった貴族たちもいる。
ある日のこと、かすみと譲は、その貴族たちからお茶会への招待を受けた。
「お茶会……?」
話を聞いた譲は、目をぱちぱちと瞬かせた。
「うん。みんなでお茶を飲みながら、お話するんだって」
かすみが穏やかに説明すると、譲はしばらく考え込んだ。
お茶を飲むことなら知っている。家でも飲むし、かすみと二人で過ごしながら飲むこともある。けれど、何人かで集まり、お茶を飲みながら話をする「お茶会」には、まだ一度も参加したことがなかった。
「ぼく、ちゃんとできるかな?」
「大丈夫だよ」
かすみが笑うと、譲の眉間から力が抜けた。すぐに招待状へ目を戻し、また眉を寄せる。
「でも……ぼく、お茶会のマナーとか知らないよ」
「じゃあ、一緒に覚えようか」
「うん!」
それから譲は、お茶会の作法をかすみに教えてもらうことになった。
椅子に座るときの姿勢、お茶を飲むときの作法、相手との話し方、その場でどのように振る舞えばいいのか。かすみが一つずつ説明していくと、譲は真剣な顔で聞き、教わったことをすぐに試した。
「こう?」
「うん、上手だよ」
「じゃあ、こういうときは?」
「そうそう。そんな感じ」
一度できたからといって、それで満足する様子はない。譲はもう一度椅子に座り直して背筋を伸ばし、お茶を持つ手を確かめる。今度は話し方を練習し、少しでも分からないところがあれば首を傾げた。
「これは?」
「そういうときはね――」
かすみが教えると、譲は頷いて、また最初からやってみる。
せっかく招待してもらったのだから、相手に失礼なことはしたくなかった。それに、かすみと一緒に参加する初めてのお茶会を、自分もきちんと楽しみたい。
何度目かの練習を終えたところで、譲は椅子に座ったまま笑った。
「お茶会って、楽しそうだね」
「うん。きっと楽しいよ」
「あと何日?」
「まだ少しあるよ」
「そっか……」
譲は少し残念そうな顔をした。
その様子がおかしかったのか、かすみが笑う。
「そんなに楽しみ?」
「うん!」
返事には迷いがなかった。
「だって、初めてなんだもん。それに、かすみと一緒に行けるんでしょ?」
「もちろん」
かすみが茶を注ぎ直すと、譲は教わったとおりに器を持ち上げた。口をつける前に、向かいのかすみへ目を向ける。
「じゃあ、もっとちゃんと覚えないと」
譲は椅子に座り直し、もう一度背筋を伸ばした。
それからも、お茶会の日まで練習は続いた。
うまくできずに首を傾げることもあった。そんなときも嫌になって投げ出すことはなく、かすみに尋ねてはやり直す。教わったことが一つできるようになると、今度は別のことを尋ねた。
当日はどんなお茶が出てくるのだろう。
どんな話をするのだろう。
どんな時間になるのだろう。
譲には、まだ何も分からない。
その分からないことまで、今は楽しみだった。
その日の夜も、譲はお茶会の話をしていた。
「かすみ」
「なに?」
「お茶会、楽しみだね」
「うん」
「ぼく、ちゃんとできるようにするから」
「無理しなくても大丈夫だよ」
「でも、せっかく誘ってくれたんだから」
譲はそう言って笑った。
かすみはその顔をしばらく見てから、穏やかに言った。
「楽しんでくれば、それで十分だよ」
譲はすぐには答えなかった。
椅子の座り方も、お茶の持ち方も、話し方も、まだ覚えたいことはたくさんある。せっかく招いてくれた人たちに失礼なことはしたくない。その気持ちは変わらなかった。
それでも、かすみが言った「楽しむ」という言葉を考えてから、小さく頷いた。
「……うん」
それから少しして、譲はまた尋ねた。
「あと何日だっけ?」
かすみは笑った。




