第47話「封印されし神」
数千年前。
まだ神々が人間界へ直接干渉することのできた時代、天界と人間界の間には、今よりも遥かに近い繋がりがあった。神々が人間たちの暮らす世界へ姿を現すことも珍しくなく、邪悪な存在が現れれば、その力を振るって人々を守ることもあった。
そんな神々の中に、一柱の神がいた。
その神の名は、ザルグレス。
彼は戦うための神だった。天界に邪悪な存在が現れればその前に立ち、人間界で人々を脅かすものが現れれば、そこへ降り立つ。戦い、その力で打ち倒す。それが、ザルグレスに与えられた役目だった。
ある日、人間界のある場所に、大地を震わせるほど巨大な邪悪な存在が現れた。
逃げ惑う人々の前へ、一つの影が降り立つ。
地面へ足を着けたザルグレスは、ゆっくりと顔を上げ、その巨体を見据えた。
邪悪な存在が咆哮する。
声が響くたび大気が震え、周囲の建物まで揺れた。人々が恐怖に身を縮める中、ザルグレスだけは動かない。
「人間界で好き勝手するな」
次の瞬間、ザルグレスは大地を蹴った。
一気に距離を詰め、真正面から挑みかかる。激しい衝撃が周囲へ広がり、足元の地面が砕けた。相手の攻撃を受け止めて押し返し、間髪を入れず拳を叩き込む。吹き飛ばされてもすぐに立ち上がり、再び間合いへ入る。
長い戦いの間、ザルグレスは一度も背を向けなかった。
やがて、邪悪な存在の動きが鈍る。
最後の一撃を受けた巨体が大きく揺れ、そのまま大地へ崩れ落ちた。
戦いが終わった。
ザルグレスは倒れた存在が動かないことを確かめてから、周囲へ目を向けた。先ほどまで身を伏せていた人々が、恐る恐る顔を上げている。
その中の一人が、震える声で呟いた。
「……神様……」
ザルグレスは答えなかった。
人々が無事であることだけを確かめると、空を見上げる。
「終わったな」
それだけを残し、天界へ戻っていった。
天界では、剣についた血を落とし、刃の欠けを確かめる。手入れを終える頃には、地上で浴びた歓声も泣き声も遠くなった。
救った人々の名を尋ねることはなく、自分の名がどう語られるかにも関心を持たない。地上に暮らしが残った。その事実だけを胸に、次の呼び声を待った。
人々を救い、邪悪な存在を打ち倒す。それは、誰かに感謝されるための行いではなかった。称賛にも興味はなく、戦いが終わったあと人間界へ留まる理由もない。
次に邪悪な存在が現れれば、またそこへ向かう。
ザルグレスにとっては、それで十分だった。
もっとも、すべての邪悪な存在を神の力だけで滅ぼせるわけではない。中には、どれほど力を振るっても完全には倒しきれないものもいた。
そうした相手を前にしたとき、ザルグレスは別の方法を選んだ。
「……ここに置いておくわけにはいかないな」
倒しきれないのであれば、人間界から遠ざける。
ザルグレスは邪悪な存在を追い詰め、その力で押さえ込みながら、行き先を魔界へ定めた。人間界に残せば、そこに暮らす人々の命が危険に晒される。ならば、人の暮らす場所から切り離すしかない。
「人間界には戻るな」
最後にそう告げる。
邪悪な存在の姿が、魔界へ落ちていく。
それを見届けると、ザルグレスは静かに背を向けた。
天界であろうと人間界であろうと、邪悪な存在が現れれば戦う。倒せるものは倒し、どうしても滅ぼせないものは魔界へ落とす。
ザルグレスが剣を握る理由に、複雑なものはなかった。
彼の戦いによって救われた人々は、数え切れない。
その多くは、名前も知らない者たちだった。顔すら見たことのない者もいる。ザルグレスが彼らの人生を知ることはなく、人々もまた、自分たちを救った神がどこから来て、どこへ帰っていくのかを知らなかった。
それでも、邪悪な存在が去ったあとには、人々の暮らしが残った。
ある日、人間界の小さな町で戦いを終えたザルグレスは、傷ついた大地を眺めながらしばらく立っていた。
地面には深い亀裂が走り、建物のいくつかは壊れている。
それでも、町そのものは残っていた。
人々も生きている。
ザルグレスは周囲を見渡し、それから空へ顔を向けた。
その先に天界がある。
自分が帰るべき場所だった。
何も言わず、天へ戻っていく。
人間たちは、その姿が遠ざかるのを見送った。
「戦神様だ……」
誰かが呟く。
別の誰かが、その名を口にした。
武神。闘神。戦神。
呼び方は違っても、指している神は一人だった。
ザルグレス。
この時代、彼はまだ神として存在していた。邪悪な存在が現れれば戦い、人々の暮らす世界を守る。天界へ戻れば、次の戦いを待つ。
それが、戦神ザルグレスの在り方だった。




