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神々に願った、たった一つの愛  作者: 狹霧
第8章 「二人の幸せ」
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第43話「ドラゴン討伐」

辺境の街での生活にも、二人はすっかり慣れていた。冒険者として依頼を受けることも、街へ買い物に出ることも、いつの間にか日常の一部になっている。その日も、二人はいつものように冒険者ギルドへ向かっていた。

「ママ、今日はどんな依頼があるかな?」

「どうだろうね」

「面白い依頼があるといいな」

「危険すぎるのは駄目だよ」

「分かってる」

譲はそう答えながら、かすみの隣を歩いている。二人では歩幅が違う。それでも譲が遅れることはなく、いつもすぐそばにいた。

ギルドの扉を開けると、普段とは違う空気が二人を迎えた。掲示板の前には大勢の冒険者が集まり、受付嬢たちも書類を抱えて慌ただしく行き来している。

「今日は騒がしいね」

かすみが呟くと、一人の受付嬢が二人に気づいた。

「あっ、かすみさん! 譲さん!」

手に依頼書を持ったまま、こちらへ駆け寄ってくる。

「どうしたの?」

「お二人に指名依頼が届いています」

「わたしたちに?」

かすみが依頼書を受け取ると、譲も隣から覗き込んだ。

「……神龍アウストラリス討伐」

「ドラゴン?」

譲が顔を上げる。

「はい」

受付嬢の声が少し硬くなった。

「神話にも名前が残るほどの存在です。この辺りでは昔から知られている最強クラスのドラゴンで、各国の騎士団でも討伐は不可能と判断されています」

「そんなに?」

「過去にも何度も討伐隊が組まれています。でも、成功した例はありません」

かすみはもう一度依頼書へ目を落とした。依頼主の欄には、複数の権力者の名前が並んでいる。

神龍アウストラリスの力を恐れる者もいれば、その力を利用したい者もいるのだろう。今回の依頼が自分たちのもとへ回ってきた理由も、おそらくそのあたりにある。

「受ける?」

譲が尋ねた。

「どうしようか」

かすみが答える前に、譲が笑った。

「ぼくはママと一緒なら、どこでも行くよ」

「ふふっ」

かすみも笑う。

「じゃあ、行ってみようか」

「うん!」

かすみは受付嬢へ依頼書を返した。

「受けます」

「……本当に、よろしいんですか?」

「大丈夫だよ」

「ですが……」

「心配してくれてありがとう」

かすみは穏やかに笑った。

「行ってくるね」

二人は必要な準備を整え、街を出た。

目的地は、街から遠く離れた山岳地帯だった。山へ近づくにつれて道は細くなり、木々に遮られて空も見えにくくなっていく。

譲は歩きながら、何度も依頼書を開いていた。

「ママ」

「なに?」

「神龍って、どれくらい強いのかな?」

「さあ。会ってみないと分からないね」

「ぼくより?」

「どうかな」

かすみが笑うと、譲も笑った。

やがて二人は山岳地帯へ入った。

それまで聞こえていた鳥の声が、いつの間にか途切れている。木々の間を走っていた小さな獣の気配もない。風が吹くたび枝が大きく揺れ、葉の擦れる音だけが斜面へ流れていった。

譲が足を止める。

「ママ」

「うん」

「いるよ」

かすみが譲の視線を追った、その直後だった。

大地が大きく揺れた。

山の奥から、低く長い咆哮が響く。

空気まで震えているようだった。木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、斜面では揺れに耐えられなくなった石が次々と転がり落ちていく。

二人が山の奥へ目を向ける。

やがて、山の向こうから巨大な影が現れた。

大きく広がる翼。鋭い爪。長く伸びた身体。その巨体は山肌を越えて姿を現すだけで、周囲の景色まで小さく見せた。

神龍アウストラリス。

神話に語られる存在が、二人の前にいた。

アウストラリスは上空から二人を見下ろした。

「人間……我を討ちに来たか」

低い声が山々へ響く。

「うん」

かすみは頷いた。

「冒険者として依頼を受けてきたの」

アウストラリスの目が細くなる。

「愚かな。これまで幾千もの戦士が我に挑み、誰一人として傷一つ付けられなかった」

「そうなんだ」

あまりに平然とした返事に、アウストラリスがわずかに顔を傾けた。

「恐れぬのか?」

「依頼だからね」

「……変わった人間だ」

アウストラリスがそう言ったとき、譲が一歩前へ出た。

「ぼくもいるよ」

巨大な頭が動き、視線がかすみから譲へ移る。

その目が止まった。

「……なんだ」

先ほどまでとは違う声だった。

「その力は」

譲は首を傾げる。

「力?」

「お前……自分が何者なのか分かっていないのか」

「分からない」

譲は短刀を抜いた。

「でも、ママを守るよ」

その言葉とともに、譲の身体から力が溢れ出した。

地面が震え、足元の小石が細かく跳ねる。譲自身はただ短刀を構えているだけなのに、周囲の空気まで押し広げられていくようだった。

アウストラリスの目が大きく開く。

長い年月を生きてきた神龍の感覚が、目の前の少年を測ろうとする。

測れない。どれほどの力なのか、測ることすらできない。

力が大きすぎるからというだけではなかった。譲自身が、その力の正体も大きさも理解していない。それなのに、これほどのものを内側に抱えている。

さらに、その隣に立つかすみからも凄まじい力を感じる。

アウストラリスの身体が、わずかに後ろへ下がった。

それでも、神龍は翼を広げた。討伐に来た相手を前に、背を向けることはしなかった。

「来るよ」

譲の声と同時に、アウストラリスが息を吸い込む。

吐き出された光が山肌を薙いだ。かすみは譲を抱えて横へ跳び、光が通り過ぎた直後の地面へ降りる。背後で岩壁が崩れ、遅れて熱風が二人の髪を揺らした。

「ゆずるくん、右から行ける?」

「うん」

二人は左右へ分かれた。

アウストラリスが翼を打つ。突風に押し返されながら、かすみは聖剣を地面へ突き立てて踏みとどまった。その間に譲が風の外へ抜け、短刀を構えたまま巨体の下へ走り込む。

神龍の爪が落ちる。

譲は半歩でかわし、振り下ろされた前脚へ短刀を当てた。硬い鱗が裂け、アウストラリスが初めて苦鳴を漏らす。

「我の鱗を……」

顔を上げたときには、かすみが風を抜けていた。

聖剣が翼の付け根を斬る。深くは入れない。飛べなくするための一撃だった。

アウストラリスが身体を捻り、尾を振るった。かすみは剣で受けたものの、勢いを殺しきれず岩場まで押し戻される。

「ママ!」

「大丈夫!」

譲が地面を蹴った。

次の瞬間にはアウストラリスの眼前にいる。神龍が再び光を吐こうと口を開くより早く、譲の拳が下顎へ入った。巨大な頭が跳ね上がり、光は空へ逸れて雲を裂いた。

体勢を崩したアウストラリスの前へ、かすみが踏み込む。

聖剣の切っ先が、喉元で止まった。

譲も短刀を構えたまま、その隣へ降りる。

アウストラリスは動かなかった。

翼は傷つき、前脚の鱗には亀裂が走っている。二人には、まだ戦う余力が残っていた。

長い沈黙のあと、神龍がゆっくりと翼を畳んだ。

「……我の負けだ」

強がる様子はなかった。

巨大な身体がゆっくりと低くなる。先ほどまで山々を震わせていた神龍が、二人の前まで降りてくる。

そして、頭を下げた。

「頼む。我の命だけは奪わないでくれ」

譲が驚いた顔でかすみを見る。

かすみは何も言わず、目の前のアウストラリスを見つめていた。

依頼書に書かれていたのは討伐だった。

けれど、今のアウストラリスには戦う意思がない。

「……分かった」

かすみが答えた。

「戦わないなら、わたしたちもあなたを殺さない」

アウストラリスが顔を上げる。

「……本当か?」

「うん」

譲も頷いた。

「ぼくも、殺したくない」

アウストラリスは二人を見つめた。

しばらくして、その瞳がゆっくりと伏せられる。

「……感謝する」

山々に囲まれたその場所で、神話に名を残す神龍は、二人の前に静かに頭を垂れていた。

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