第41話「ゆずるくん、べったり」
翌朝、窓から差し込む朝の光で、かすみは目を覚ました。
隣を見ると、譲はもう起きていた。布団に入ったままこちらを向き、かすみが目を開けるのを待っていたらしい。目が合った途端、嬉しそうに笑う。
「ママ、おはよう」
「おはよう、ゆずるくん。早いね」
「今日は冒険者登録の日だから」
「ああ、そうだったね」
かすみが笑うと、譲も嬉しそうに笑った。
「昨日、ルビアが迎えに来るって言ってた」
「うん。じゃあ、準備しようか」
「うん!」
ギルドで報告を済ませ、報酬で小さな買い物をして家へ帰った。夕食の支度でも、食卓でも、片づけの間も、譲はかすみの隣にいた。
二人が身支度を整えていると、外から聞き慣れた声がした。
「おーい、かすみー! 譲ー!」
「ルビアだ!」
譲はすぐに玄関へ向かい、扉を開ける。
「おはよう、かすみ。おはよう、譲」
「おはよう、ルビア!」
「ちゃんと起きてたみたいだね」
「うん。今日はぼく、冒険者になるんだ」
「そうだね。昨日約束したもんね」
ルビアは譲の頭を軽く撫でた。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
三人は冒険者ギルドへ向かった。
朝の街はすでに動き始めている。店先では開店の準備が進み、商人たちは届いた荷物を運び、街の外へ向かう冒険者たちは歩きながら武器や装備の具合を確かめていた。
譲はそんな人々を興味深そうに眺めながら歩いていたが、かすみから遠く離れることはない。少し先まで行ってもすぐに戻り、かすみが店先の商品に目を留めれば自分もそこで足を止める。
その様子を後ろから見ていたルビアが笑った。
「譲って、本当にかすみから離れないね」
「うん。ママと一緒がいいから」
あまりにも迷いのない返事だった。
「そっか」
かすみも譲を見て笑う。
「ゆずるくん、今日はルビアのお話もしっかり聞こうね」
「うん!」
やがて三人は冒険者ギルドへ到着した。
朝のギルドにはすでに多くの冒険者が集まり、掲示板の前では依頼書を選ぶ者たちが話し合っている。その間を抜けて受付まで行くと、ルビアが声をかけた。
「冒険者登録をしたいんですが」
「新規登録ですね。こちらの方ですか?」
「はい」
譲が頷く。
受付から渡された書類に名前や年齢などを書き込んでいく。記入を終えると、受付嬢は書類へ目を通しながら譲へいくつか質問した。
二人が身支度を終える頃、ルビアの声が外から聞こえた。
朝の通りでは店開きが始まり、街を出る冒険者たちが装備を確かめていた。譲は目につくものを眺めながらも、かすみから離れない。少し先へ出ても、すぐ隣へ戻ってくる。
冒険者ギルドの受付で、譲は書類に名前と年齢を書き込んだ。
「扱える武器はありますか?」
譲は腰に下げた短刀へ手を添えた。
「短刀を使います」
「魔法も使われるんですか?」
「うん」
「得意な属性は?」
そこで譲は少し考えた。
「分からない」
「分からない?」
「魔法は使えるけど……どれが得意なのかは分からない」
困ったように答える譲を見て、受付嬢は「なるほど」と頷いた。それ以上深く尋ねることはなく、必要な項目を書き込んでいく。
やがて手続きが終わり、一枚の冒険者証が譲の前に置かれた。
「登録完了です。今日から冒険者として依頼を受けられますよ」
「ありがとう」
譲は両手で冒険者証を受け取った。
しばらく何も言わず、それを眺める。そこには自分の名前が書かれていた。何度か目で確かめてから、譲は顔を上げ、真っ先にかすみへ冒険者証を差し出した。
「ママ、見て」
「うん」
かすみも隣から覗き込む。
「ちゃんと、ゆずるくんの名前が書いてあるね」
「ぼくも冒険者になったんだ」
「そうだね」
「これからママと一緒に依頼を受けられる?」
譲にとっては、冒険者になったことそのものより、そちらのほうが大切らしい。
「もちろんだよ」
「やった!」
譲の顔がぱっと明るくなった。
その横で、ルビアが掲示板を指差す。
「じゃあ、せっかくだから初依頼を探してみようか」
三人で掲示板の前へ移動した。薬草採取、荷物運び、護衛、魔物討伐。様々な依頼書が並んでいる。
「譲、どれがやってみたい?」
譲は一枚ずつ眺めてから、魔物討伐の依頼書を指差した。
「これ」
街の近くに出没する魔物の討伐依頼だった。
ルビアが内容を確認する。
「魔物討伐か。初依頼としては悪くないね」
「ママ、これやっていい?」
「うん。じゃあ、これにしようか」
「やった!」
ルビアは笑った。
「じゃあ私は別の依頼があるから、ここからは二人で頑張ってね」
「うん!」
「譲、無理しないようにね」
「分かった!」
「じゃあ、また後で」
「またね、ルビア」
二人はギルドを出て、街の外へ向かった。
しばらく歩いたところで、譲がかすみを見上げる。
「ママ」
「なに?」
「手、繋いでいい?」
「いいよ」
かすみが差し出した手を、譲は嬉しそうに握った。
森へ入ってからも、譲はかすみのそばを離れなかった。依頼の魔物を探して少し先へ進んでは、何かを思い出したように振り返る。かすみが同じ場所にいるのを確かめると、安心したようにまた歩き出した。
何度目かに振り返ったところで、かすみが声をかける。
「ゆずるくん」
「なに?」
「そんなに気にしなくても、ちゃんと一緒にいるよ」
「うん」
譲は笑った。
「分かってる」
そう答えながらも、握った手を離そうとはしなかった。
森の奥へ進んでいくと、茂みの向こうで枝の折れる音がした。
譲が足を止める。
やがて木々の間から、依頼にあった魔物が姿を現した。
譲はかすみの手を離すと、その前へ出る。
「ママ、ぼくがやる」
「うん。気をつけてね」
譲は腰の短刀を抜いた。
「……魔法」
次の瞬間、轟音が森を揺らした。
魔法陣は現れない。詠唱もなく、炎や氷といった属性を示すものさえなかった。譲の内側にある膨大な力が術式を通ることなく、そのまま外へ押し出される。
空気が震え、周囲の木々が大きく揺れた。
魔物は抵抗する間もなく吹き飛ばされ、その身体は木々の向こうへ消えていった。
やがて音が止み、森に静けさが戻る。
かすみは何も言わず、魔物が消えた方向を見ていた。
譲は短刀を下ろすと、すぐに振り返った。
「ママ! 倒したよ!」
「……うん」
かすみは笑顔を見せたものの、今の光景が頭から離れなかった。
魔法陣はなかった。詠唱もしていない。魔力を術式へ組み替えた様子も見えなかった。自分が知っている魔法とは違う。譲が魔法だと思って放ったものは、彼の中にある力そのものが外へ流れ出したようにしか見えなかった。
「ママ?」
「……ううん。何でもないよ」
かすみはしゃがんで譲と目線を合わせた。
「ゆずるくん」
「なに?」
「今のを、魔法だと思ってるんだよね?」
「うん」
「そっか」
かすみは譲の手を取った。
「じゃあ、これから少しずつ魔法を覚えていこうか」
「魔法?」
「うん。今の力を、もっと上手に使えるようにするの」
譲は自分の手を見た。
「できるかな?」
「できるよ」
かすみは笑った。
「わたしが教えてあげる」
「本当?」
「うん。ゆっくりでいいからね」
「うん!」
森を出て街へ戻る道でも、譲はかすみの手を握っていた。
「ママ」
「なに?」
「帰ったら何する?」
「夕飯を作ろうか」
「一緒に?」
「もちろん」
初めての依頼には、街の近くに現れた魔物の討伐を選んだ。別の仕事があるルビアと別れ、二人で森へ向かう。
差し出された手を握ると、譲は嬉しそうに指へ力を込めた。
やがて茂みの向こうで枝が折れ、依頼の魔物が現れた。譲は手を離して前へ出る。
「やった!」
譲は嬉しそうに笑った。
街へ戻った二人はギルドで依頼の報告を済ませ、報酬を受け取ってから店を見て回った。
「ママ、これ買っていい?」
「いいよ」
「これも?」
「一つだけね」
「じゃあ、これ!」
買い物を終える頃には、譲の手に小さな包みがひとつ増えていた。
二人はそのまま家へ帰った。
夕食の支度を始めれば、譲はかすみの隣に立った。料理を食べるときも隣に座り、片づけが始まれば、かすみが食器を運ぶ後ろをついて歩く。夜になれば同じ家で眠り、朝になればまた、かすみのそばで目を覚ます。
翌日、遊びに来たルビアは、その様子を見るなり笑った。
「かすみ、譲って本当にべったりだね」
「そうかな?」
「そうだよ」
ルビアは譲を見る。
「どこに行くにもかすみと一緒じゃん」
「だって、ママと一緒がいいから」
譲は当たり前のように答えた。
ルビアは少しだけ目を細め、それからかすみを見る。
かすみは何も言わず、隣にいる譲の頭を撫でていた。
「まぁ……」
ルビアは小さく笑う。
「譲が楽しそうなら、いいか」
譲は答える代わりに、かすみへ少しだけ身体を寄せた。
かすみの手が、もう一度その髪を撫でる。
譲は嬉しそうに笑っていた。




