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神々に願った、たった一つの愛  作者: 狹霧
第8章 「二人の幸せ」
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第40話「辺境の街」

王都から遠く離れた、国境に近い辺境の街。

かすみは譲を引き取り、親子として一緒に暮らすことにした。

王都のような大きな城はなく、貴族たちが暮らす豪華な屋敷も見当たらない。通りを歩く人々の服装も質素で、腰に武器を下げた冒険者の間を荷車が通り、商人たちは店先へ商品を並べ、農家の人々は朝のうちに収穫したものを運んでいる。

華やかさとは縁のない街だったが、朝になれば店を開ける者がいて、働きに出る者がいて、必要なものを買いに来る者がいる。そうした人々の暮らしの中を、かすみと譲は並んで歩いていた。

譲はかすみの隣から、初めて見る街を眺めている。

「ここが……これから暮らす街なんだね」

「うん」

かすみが頷く。

譲は通りの向こうへ目を向けた。大きな建物は少なく、道もそれほど広くない。

それでも店の前には買い物をする人がいて、荷車が来れば自然に道の端へ寄り、通り過ぎればまた歩き出す。見知らぬ場所なのに、眺めているうちに不思議と落ち着いてきた。

「気に入った?」

「うん!」

譲はすぐに笑い、そのままかすみの腕へ自分の腕を絡めた。

「ママと一緒なら、どこでもいい」

「ふふっ。そう言ってくれると嬉しいな」

かすみが頭を撫でると、譲はもっと身体を寄せてくる。

「本当?」

「本当だよ」

「じゃあ、ずっと一緒にいてね」

「もちろん」

その答えを聞いて、譲は安心したように笑った。

二人がこの街へやって来たのは、ここで暮らすためだった。これまでの旅では、いつもどこかへ向かって歩いていた。目的地があり、そこへ着けばまた次の何かが待っている。

これからは朝になれば目を覚まし、食事をして、必要なものがあれば街へ買いに出る。用事が済めば家へ戻り、夜になれば同じ場所で眠る。誰かに命じられたからでも、何かを成し遂げるためでもない。自分たちがここで暮らしたいと思ったから、この街を選んだ。

「まずは家を探さないとね」

「うん!」

二人は街の中へ入っていった。

不動産屋を訪ね、いくつかの家を案内してもらった。最初の家は部屋がいくつもあり、広い庭までついていたが、二人で暮らすには大きすぎる。譲も落ち着かない様子で部屋から部屋へ歩いていた。

次の家は街の中心に近く、買い物には便利そうだったものの庭がない。

三軒目は綺麗な家だったが、周囲の通りが賑やかで、窓を閉めていても人の声や馬車の音が聞こえてきた。

四軒目は、街の外れに建つ小さな一軒家だった。

家そのものは少し古く、壁や床には長く使われてきた跡が残っている。それでも荒れてはいなかった。前に住んでいた人が大切に使っていたのだろう。部屋はきちんと掃除され、窓の金具にも目立った錆はない。

窓を開けると、小さな庭が見えた。

その向こうには森が広がっている。

街の中心から離れているため、人の声は遠い。聞こえてくるのは鳥の声と、時折通りを走る荷車の音、それから風に擦れる木々の葉の音くらいだった。

譲は庭へ出ると、しばらく何も言わずに周囲を見回した。森のほうから吹いてきた風が髪を揺らす。木々を眺め、庭を見渡してから、譲は家を振り返った。

「……ここ」

「気に入った?」

「うん。ここがいい」

「どうして?」

譲は少し考えた。

「静かだから」

それから庭へ目を向ける。

「朝になったら、ここでママとご飯を食べられるかな」

「うん。庭でも食べられるよ」

「じゃあ、ここがいい」

かすみは譲の横顔を見た。まだ何も置かれていない庭を眺めながら、譲はもうそこで暮らす自分たちを思い浮かべているらしい。

「じゃあ、ここにしようか」

「本当!?」

「うん」

「やった!」

譲は庭を走り出した。

「ママとの家だ!」

かすみは笑いながら、その姿を見ていた。

その日のうちに最低限の荷物を運び込み、二人は家の中を整え始めた。

「ママ、これどこに置く?」

「それは棚の上でいいよ」

「こっちは?」

「寝室にお願い」

「分かった!」

譲は荷物を抱えて歩いていく。ひとつ置けばすぐに戻ってきて、次の荷物を持ってはまた場所を尋ねる。そんなことを何度も繰り返しているうちに、何もなかった部屋へ少しずつ二人のものが増えていった。

棚には二人の荷物が並び、寝室には布団が置かれ、台所の棚には食器が収まった。譲は自分の荷物を置くたびに、ときどき振り返ってその場所を確かめていた。

かすみは、旅のあいだも自分で運んできた小箱だけは譲へ渡さなかった。寝室の棚を布で拭き、箱から古い革袋を取り出す。紐を解いた拍子に、黒い板の角が覗いた。

荷物を抱えて通りかかった譲が足を止めた。黒い画面へ自分の顔が映った瞬間、胸の奥を細い糸で引かれたような気がした。

指を伸ばしかけると、かすみは端末を布で包み直した。拒む手つきではなく、長く繰り返してきた手順を崩さないように見えた。

「父さんからもらった、大切なものなの。動かないんだけど、ずっと持ってる」

それを聞き、譲は首を傾げた。いつ、どこで見たのかは浮かばない。胸の奥に残ったのは、誰かの隣で笑ったあとの温かさだけだった。

かすみが革袋を棚のいちばん奥へ置く。譲はもう一度だけその場所を見てから、抱えていた荷物へ視線を戻した。

夕方になった頃、譲は窓のそばに立っていた。

ここには自分の荷物がある。自分が眠る場所もある。振り返れば、すぐ近くでかすみが荷物を片づけている。

「ママ」

「なに?」

「ぼく、これから毎日ここに帰ってきていいんだよね?」

かすみは手を止めた。

譲の顔には、ほんの少しだけ不安が浮かんでいる。

「もちろんだよ」

「毎日?」

「毎日」

「ずっと?」

「ずっと」

譲はしばらくかすみを見つめていた。

やがて、ふっと頬が緩む。

「……えへへ」

かすみも笑った。


その日の夕方、家の前から声が聞こえてきた。

「おーい! かすみー! 譲ー!」

「この声……」

かすみが振り返ると、庭の向こうにルビアが立っていた。

「ルビア!」

「やっほー」

片手を上げながら、ルビアが近づいてくる。

「ちゃんと到着したみたいだね」

「うん。今日からここで暮らすよ」

「へぇ」

ルビアは家を見上げ、それから庭へ目を向けた。

「結構いいじゃん」

「ぼくも気に入った。庭もあるし」

「なるほど」

ルビアは笑った。

「それで、冒険者の登録は?」

「まだしてない」

「じゃあ、明日一緒に行こうか」

「いいの?」

「もちろん」

ルビアは譲へ顔を向けた。

「この街で冒険者として暮らすなら、最初はいろいろ覚えないとね。依頼の受け方とか、街のこととか」

「うん!」

「冒険者同士の付き合い方もね」

「それも教えて」

「任せて」

譲は嬉しそうに頷いた。かすみはそんな二人のやり取りを、少し離れたところから笑って見ていた。

夕食の時間になると、三人は新しい家の食卓を囲んだ。

かすみが作った料理を、譲は嬉しそうに食べている。

「おいしい?」

「うん!」

「よかった」

「ママの料理、大好き」

「ふふっ。いっぱい食べてね」

「うん!」

譲が夢中になって食べていると、かすみはときどき皿へ料理を取り分けた。向かいに座っているルビアは、その様子をしばらく眺めてから笑った。

「なんか、いいね」

「何が?」

「こういうの」

ルビアは料理をひと口食べる。

「静かな街で家を借りて、二人で暮らして。普通の生活って感じ」

かすみはその言葉を聞いて、窓の外へ目を向けた。

夕暮れはすでに終わり、辺境の街には夜が来ていた。窓から見える家々には明かりが灯り、通りを歩く人の姿も少なくなっている。

「うん」

かすみは小さく笑った。

「わたしも、こういうのが好き」

譲も頷いた。

「ぼくも」

三人で食卓を囲んでいると、昼間まで何もなかった家の中にいくつもの音が生まれていた。食器の触れ合う音、譲が料理を食べる音、ルビアの笑い声。窓の外からは、ときどき遠くを走る荷車の音が聞こえてくる。

食事を終えると、ルビアは食器を置いて立ち上がった。

「じゃあ、今日はそろそろ帰るね」

「うん。また来てね」

「もちろん」

玄関で靴を履きながら、ルビアが振り返る。

「明日は譲の冒険者登録だから、朝になったら迎えに来るよ」

「分かった!」

「寝坊しないでね」

「しないよ!」

「本当かなぁ」

ルビアは笑った。

「じゃ、おやすみ」

「おやすみ、ルビア」

「おやすみ」

扉が開き、ルビアが外へ出ていく。

しばらくして扉が閉まった。

譲は玄関に立ったまま、外から聞こえてくるルビアの足音を聞いていた。石畳を踏む音が少しずつ遠ざかり、やがて聞こえなくなると、家の中は急に静かになった。

振り返ると、さっきまで三人で囲んでいた食卓が見える。食器はまだ片づけておらず、椅子も三脚とも引かれたままになっていた。

譲はしばらくそれを眺めてから、かすみを見た。

「ママ」

「ん?」

「今日からここが、ぼくたちの家なんだね」

「うん」

譲は庭の見える窓へ目を向けた。

昼間ここへ来たときには何もなかった場所に、今は自分の荷物がある。寝室へ行けば自分の布団があり、棚を開ければ自分のものが入っている。今夜ここで眠っても、明日の朝にはまた同じ場所で目を覚ます。

「……嬉しい」

小さく息を吐いてから、譲はかすみに抱きついた。

かすみは少し驚いた顔をしたものの、すぐに譲の背中へ腕を回す。

「わたしも嬉しいよ」

譲はしばらくそのまま、かすみに身体を預けていた。

「ママ」

「なあに?」

「これからも、ずっと一緒にいようね」

かすみは譲の髪を撫でた。

「うん」

もう一度、ゆっくり撫でる。

「ずっと一緒だよ」

「うん」

譲は顔を上げて笑った。

「じゃあ、明日の朝もママが起こしてね」

「いいよ」

「冒険者登録、寝坊したら困るから」

「譲なら、起こしても起きない気がするけど」

「起きるよ」

「本当?」

「本当!」

かすみが笑うと、譲も笑った。

二人は食卓へ戻り、残っていた食器を片づけ始めた。窓の外では街の灯りがひとつずつ消え、森のほうから吹いてきた風が庭の木々を揺らしている。

「ママ」

「なに?」

「明日の朝、ご飯は何?」

「もう明日の心配してるの?」

「だって、ここで食べるんでしょ?」

「うん。何が食べたい?」

譲は少し考えた。

「……パン」

「パン?」

「あと、卵」

「分かった」

「庭で食べてもいい?」

かすみは窓の外を見た。

昼間、譲が嬉しそうに走り回っていた小さな庭が、今は月明かりの下にある。

「明日の朝、晴れてたらね」

「約束?」

「約束」

「やった」

譲は嬉しそうに笑った。

かすみも笑い、洗い終えた食器を棚へ戻した。

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