第36話「母の気配」
その頃、少し離れた町の冒険者ギルドには、ルビアの姿があった。依頼を終えたばかりで、受付で次の仕事を確認しながら、何気なく掲示板へ目を向けている。
近くにいた冒険者たちの話が耳に入った。
「大魔王討伐の依頼、誰か受けたらしいぞ」
「本当か?」
「女の冒険者だってよ。かなり腕が立つらしい」
ルビアの手が止まった。
「……女?」
聞き返すように呟き、そのまま話していた冒険者へ近づく。
「ねえ。その依頼、誰が受けたの?」
「え? ああ……たしか、かすみって名前だったな」
ルビアの表情が変わった。
「……かすみ?」
聞き間違いではない。
ルビアはすぐに受付へ駆け寄り、依頼を受けた者の行き先を聞き出した。場所を知った途端、顔から血の気が引いていく。
「……まずい」
譲のことを知っている。あの力も知っている。かつて譲と厄災たちが戦うところを見たことがあるからこそ、その力がどれほど常識から外れているのかも分かっていた。
かすみがどれほど強くても、あれと正面から戦えばどうなるか。考えるまでもない。
「かすみ……!」
ルビアはギルドを飛び出した。森へ向かう道を聞きながら、ひたすら走る。間に合わなければならない。その思いだけが頭にあった。
その頃、森の奥では、まだ二人が向かい合っていた。
かすみは剣を構えたままだった。けれど、先ほどまであった戦う意思は、少しずつ薄れている。それを自分でも認めたくなかった。
目の前の少年が、自分より遥かに強い。その事実なら理解できる。問題は、譲を見ていると、なぜか胸の中が落ち着かなくなることだった。
譲も、かすみから目を離せずにいた。敵として現れた女性。自分を討つために来た人。頭ではそう分かっている。なのに、胸の奥では別の感覚が続いていた。
「……なんだろう」
譲は胸元に手を当てる。
初めて会った。名前すら知らない。それなのに、何かを探していたような気がする。ずっと遠くにあったものが、今になって急に近くへ来たような、不思議な感覚だった。
かすみの声が耳に残り、いつのものか分からない感触が身体の奥へ浮かぶ。頭を包む手の温度。眠りに落ちる前、近くにあった柔らかな声。どれも顔や場所には結びつかず、本当にあったことなのかさえ分からない。
「あなた……」
譲が口を開く。
かすみが顔を上げた。
「……なに?」
「ぼく、あなたから変な感じがする」
「変な感じ?」
「うん」
「ぼく、この感じを知ってる気がする。でも、いつだったか分からない」
譲は眉を寄せた。自分でも、どう説明すればいいのか分からない。ただ、かすみを見ていると、胸の中に柔らかなものが広がっていく。
怖いわけではない。嫌なものでもない。むしろ、その反対だった。
「……あたたかい」
かすみの表情が、ほんの僅かに揺れた。
譲自身も、その言葉に戸惑っていた。なぜそんなことを口にしたのか、自分でも分からない。ただ、気づいたときには声になっていた。
しばらく考えたあと、譲はぽつりと言った。
「……お母さん、みたい」
言った本人が、一番驚いた。
「……え?」
譲は目を伏せる。
「違う。ぼく、何言ってるんだろう」
母。
その言葉を思い浮かべても、具体的な姿は出てこない。声も思い出せない。なのに、その言葉だけは不思議なほど馴染んでいた。
かすみは何も言わず、譲を見ていた。少年の顔を見ていると、胸の奥が締めつけられる。理由は分からない。ただ、目の前にいるこの少年を放っておけないような気がした。
二人とも、すぐには言葉を続けられなかった。風が木々を揺らしている。その音を聞きながら、譲は胸に残った感覚を持て余していた。
「……なんでだろう」
誰に尋ねたわけでもない。返事をする者はいなかった。




