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神々に願った、たった一つの愛  作者: 狹霧
第7章 「母と子」
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第35話「対峙」

冒険者ギルドの掲示板には、朝からいくつもの依頼書が並んでいた。魔物の討伐、護衛、薬草の採取。冒険者なら何度も目にするような依頼ばかりだ。その中で、一枚だけ妙に人の目を引くものがあった。

かすみは、たまたまその前を通りかかっただけだった。けれど、紙に記された名前を見たところで足が止まった。

「……大魔王、討伐」

思わず声が漏れた。

依頼の内容は単純だった。大魔王の討伐。報酬は、普通の討伐依頼とは比べものにならないほど高い。周囲の冒険者たちは、その一枚を避けるようにして歩いていた。誰も手を伸ばそうとはしない。近くでは小声で何かを話す声も聞こえたが、かすみはそちらへ意識を向けず、紙に書かれた内容だけを眺めた。

「……魔王、……勇者が、これを受けろってこと?」

誰に言ったわけでもない。返事が返ってくるはずもなかった。

かすみは依頼書を掲示板から取り、受付へ向かった。受付嬢は紙を受け取ると、一瞬だけ目を見開く。

「こちらの依頼を……受けられるんですか?」

「うん」

「大魔王討伐、ですよ?」

「見れば分かるよ」

かすみは笑った。受付嬢は困ったような顔をしたものの、それ以上は何も言わなかった。冗談で受けようとしているわけではないことくらい、かすみの様子を見れば分かったのだろう。

必要な手続きを終えると、かすみはギルドを出た。

外へ出た途端、明るい日差しが目に入った。道を歩く人がいる。店先から声が聞こえ、遠くでは荷車が石畳を軋ませている。ついさっきまで命懸けの依頼を受けていたことが、ひどく現実離れした出来事のように思えた。

かすみは手にした依頼書をもう一度見てから、空を見上げた。

「……大魔王、か」

胸の中に恐怖はなかった。自分ならできると思っていた。

これまで何度も強敵と戦ってきた。周囲から強いと言われることにも慣れている。自分の力を疑ったことも、ほとんどなかった。相手が大魔王だろうと、今回も同じだと思っていた。負けるとは思わない。

かすみは腰にある聖剣へ手を触れた。第七十八世界の神器や宝具が融合した神々の力を宿す一振り。その傍らには、まだ剣の形を持たない力があった。

第百八世界で積み重ねてきた旅の中で、剣や槍、弓の技、古い遺跡で読み解いた魔術を身につけ、精霊の加護や数々の宝具・武具も得ていた。

依頼書に記された「大魔王」の文字を思い出しながら、かすみは、この世界で得た宝具や武具へ意識を向けた。そこへ精霊たちの加護が重なっていく。

かすみは目を閉じた。

第七十八世界でも、一度だけ同じことをしている。あの世界で得た宝具や武具、加護を一つへ統合し、自分の手で聖剣を生み出した。

ならば、この世界で得たものも。

宝具と武具、それぞれに宿る力へ加護が重なり、一つへ集まっていく。やがて光の中に柄が生まれ、そこから刃が伸びた。

光が収まると、かすみの手にはもう一本の剣があった。

第百八世界で得た宝具・武具・加護を統合した、二本目の聖剣だった。

かすみはしばらく刃を眺め、それから最初の聖剣と並べた。二つの世界で得たものが、それぞれ一本の聖剣として手の中にある。

試すように二本を握る。重さも、魔力の流れも、手にした瞬間から馴染んだ。

「……これなら」

口元に笑みが浮かんだ。

世界最強と呼ばれるまでに積み重ねた力へ、もう一本の聖剣が加わった。大魔王という名を前にしても、負ける自分を想像できなかった。

「……行こう」

かすみは歩き出した。

山を越え、森へ入る。道は次第に細くなり、人の足跡も少なくなっていった。

やがて獣道さえ途切れ、木々の間から差し込んでいた光も減っていく。森の奥へ進むほど辺りは薄暗くなったが、それでも、かすみは足を止めなかった。

しばらく進んだところで、妙なことに気づいた。

音がない。

鳥の声がしない。獣の気配もない。風が木の葉を揺らす音だけが、遠くからかすかに聞こえてくる。かすみは足を止めた。

静かすぎる。

「……ここ?」

返事はなかった。

その代わり、前方から何かの気配を感じた。かすみは剣の柄へ手を添える。肌が粟立った。姿はまだ見えない。それなのに、そこにいるものが持つ力だけが、空気を通して伝わってくる。

今まで感じたことのない圧力だった。

「……すごい」

怖いという感覚より先に、驚きがあった。これほどの力を持つ存在がいる。その事実に、かすみの中にある戦士としての感覚が強く反応していた。

一歩進む。さらに一歩。

木々の向こうが開けてきた。

その中央に、一人の少年が立っていた。かすみは足を止めた。

もっと恐ろしい姿を想像していた。巨大な身体や異形の姿、見ただけで逃げ出したくなるような怪物を思い描いていたのに、目の前にいるのは一人の少年だった。静かに立ち、こちらを見ている。

少年――譲は、かすみを見ても動かなかった。

「……あなたが、大魔王?」

かすみが尋ねる。

少年は少しだけ首を傾けた。

「そうだよ」

声も、想像していたものとは違った。

かすみは剣を抜いた。鋭い金属音が、森の静けさを切る。

「あなたを討つために来た」

譲は、その言葉を聞いても逃げなかった。ただ、かすみを見ている。その目に敵意はない。それが、かすみには妙に気に障った。

「……戦わないの?」

「うん。戦うなら、戦うよ」

あまりにも静かな返事だった。

かすみは眉を寄せ、剣を握り直した。

そのとき、空気が変わった。

ほんの僅かな変化だった。譲から漏れた力が森へ広がり、周囲を押さえつけるように空気が重くなる。

「――っ」

息が止まった。

足が動かない。

身体が、頭で考えるより先に理解していた。

目の前にいる少年は、自分より強い。それも、少しの差ではない。比べることそのものが意味を持たないと思えるほどだった。

かすみの手のひらに汗が滲み、握った剣の先がわずかに震えた。

「……嘘」

これほどの力の差を感じたことはなかった。

譲が一歩、近づく。

ただ、それだけだった。

それだけなのに、かすみの身体は強張った。

「……戦うの?」

初めて見る顔。初めて聞く声。そのはずなのに、涙を堪えるように結ばれた唇も、こちらの答えを待つ目も、知っているものに触れたような気がした。

もう一度、譲が尋ねる。

かすみは答えられなかった。剣を握ったまま、ただ少年を見つめている。

戦えば、死ぬ。

頭の中では、妙に冷静な声がそう告げていた。逃げたいと思っている。それなのに、目を逸らすことができない。

なぜなのか、かすみ自身にも分からなかった。

目の前にいるのは敵だ。自分を殺せるほど強い存在なのだから、恐れるのは当然だった。それなのに、その少年の姿を見ていると、胸の奥に説明のつかない感覚が生まれてくる。

懐かしいような気がする。

けれど、懐かしいと呼ぶには、あまりにも知らない。

かすみは知らない少年を見つめたまま、小さく息を吐いた。

「……なんで」

誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

譲は答えない。

かすみは剣を握ったまま、目の前の少年から目を離せなかった。

挿絵(By みてみん)

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