外伝2 第4話「それぞれの旅路」
ルビアと別れてから、初めて一人で野営した夜だった。
かすみは焚き火の前に座っていた。炎の向こう側には、誰もいない。五年間、そこにはいつもルビアがいた。食事をしながら他愛のない話をして、眠る前にはその日の出来事を振り返る。時には叱られ、くだらないことで笑い合うこともあった。旅の中で当たり前になっていた時間から、今はその声だけがなくなっている。
かすみは二人分の器を出しかけ、一つを荷物へ戻した。鍋の味を見て、塩を足す。もう一度口へ運び、今度は水を加えた。
かすみはしばらく炎を見つめてから、「……静かだな」と呟いた。声は、そのまま夜の中へ消えていった。
翌朝になると、いつも通り荷物を背負った。依頼を受け、町へ向かい、必要な情報を集めて、また次の場所へ歩いていく。ルビアから教わったことは、もう一つずつ思い出さなくても身体が覚えていた。
ある村では魔物に襲われた人々を助け、山道では遭難した旅人を見つけた。街道を占拠していた盗賊を追い払ったときも、戦いが終わったからといって、すぐに剣を収めることはなかった。
村人に怪我はないか、逃げ遅れた者はいないか、魔物が残っていないか。周囲を最後まで確かめてから、かすみはその場を離れた。
「勇者様が助けてくれた」
「すごい強さだった」
「まだ若いのに……」
そんな声を聞くことが少しずつ増え、かすみの名前は本人が知らないところでも広がっていった。
それでも、かすみ自身は気にしなかった。誰かに褒められるために旅をしているわけではない。彼女には、探さなければならない人がいる。息子だった。
旅先では、異世界から来た者について調べるようになった。古い記録を読み、神殿で話を聞く。転生者の噂があればその町へ向かい、召喚に関する話を耳にすれば詳しく尋ねた。似た年頃の少年がいたと聞けば、その家を訪ねた。けれど、どれだけ探しても手掛かりは見つからない。
「きっと、どこかにいる」
そう呟いて、かすみはまた歩いた。
一方、ルビアも一人の冒険者として旅を続けていた。S級冒険者である彼女のもとには、以前から困難な依頼が集まってくる。強力な魔物の討伐、危険な地域の調査、商隊の護衛。普通の冒険者なら簡単には引き受けられないものばかりだった。
「また面倒そうなのが来たねぇ」
依頼書を眺めながら苦笑しても、一度引き受ければ最後までやり遂げる。炎を操り、剣を振るうルビアの姿を見れば、周囲の人々は自然と道を空けた。
「あれ、ルビアじゃないか?」
「まさか……『爆炎の魔術師』?」
「S級冒険者のルビアだ……」
世界に数人しかいないS級冒険者。その名を知らない冒険者は少ない。けれど、ルビア自身はそんな視線を気にする様子もなかった。
ある依頼を終え、次の町へ向かう途中、ふとした瞬間にかすみのことを思い出した。
「今頃どうしてるかな」
そう口にしてから、ルビアは少し笑った。心配はしていなかった。五年間、一緒に旅をした。かすみがどれほど強いのかも、どれほど頑固なのかも知っている。一度決めたことを決して諦めないことも分かっていた。だから、きっと大丈夫だった。
それから、さらに時間が流れた。
かすみは様々な依頼をこなし、世界各地を旅していた。人を助け、魔物を討ち、困難な依頼を一つずつ解決していく。その積み重ねが、いつしか一つの評判になっていた。「勇者かすみ」と呼ばれることが増え、やがて人々は彼女を別の名で呼ぶようになった。
――世界最強の勇者。
その名を聞くだけで人々が振り返るようになり、ある町では、かすみが店へ入っただけで小さなざわめきが起こった。
「勇者様……?」
かすみは少し困ったように笑う。
「そんなに見られると、ちょっと恥ずかしいな……」
そんな町を歩いていたときだった。
ある町で、かすみは通りの端にできた人だかりを避けて歩いていた。名を知られるようになってから、町へ入るたびに声をかけられる。護衛の依頼、騎士への誘い、結婚の申し込み。断り方だけが上手くなった。
「S級冒険者のルビアが、この辺りに来てるらしいぞ」
その言葉に、かすみの足が止まった。
「……ルビア?」
五年間、ずっと一緒にいた人。自分が十二歳だった頃から、隣にいてくれた人。その名を聞いた途端、胸の奥に懐かしいものが込み上げてくる。
「会えるかな……」
それから少しして、二人の旅路は再び同じ場所へ重なった。
町の中では、人々が一人の女性を見てざわめいていた。
「勇者かすみだ!」
「本物……?」
「世界最強の勇者が、この町に?」
その声の先に、かすみがいた。そして少し離れた場所には、別の女性がいる。
「あれ、ルビアじゃないか?」
「S級冒険者の?」
「『爆炎の魔術師』だ……」
「どうしてこの町に?」
やがて、二人の視線が重なった。
「……ルビア」
「……かすみ?」
一瞬、二人とも何も言わなかった。五年という時間が、その間にあった。十二歳だったかすみはもういない。ルビアから教わったことを自分のものにし、一人で旅を続けてきた。ルビアもまた、かすみのいない旅を五年間歩いてきた。
それでも、先に笑ったのはルビアだった。
「大きくなったね」
ルビアの視線が、剣と荷物、それからかすみの顔を順に確かめる。
かすみも笑う。
「五年も経ったからね」
「そりゃそうか」
周囲では、二人の関係を知らない人々がざわめいている。世界最強の勇者と、世界に数人しかいないS級冒険者。その二人が並んでいるのだから、驚くのも無理はなかった。
「なんであの二人が一緒に……?」
「知り合いなのか?」
そんな声をよそに、二人は昔と変わらない調子で話していた。
「ルビア、今どこに泊まってるの?」
「まだ決めてない」
「じゃあ、一緒に探そう。わたし、いい宿を見つけられるようになったんだよ」
「いいね」
しばらく歩いてから、ルビアが笑った。
「ところでさ」
「なに?」
「次の依頼、あたしも一緒に行っていい?」
かすみは迷わなかった。
「もちろん!」
世界がどれほど二人を特別な存在として見ていても、二人にとっては昔から変わらない。また並んで歩く。




