外伝2 第1話「十二歳の勇者と、S級冒険者」
かすみが十二歳だった頃。
彼女はすでに、一つの世界で得た多くのものを、その小さな身体の中に抱えていた。78番目の世界で身につけた様々な技術、幾度となく戦いを繰り返す中で培った知識、魔術というものを理解するために積み重ねた経験、そして、その世界の神々から授かった数々の加護。どれも十二歳の少女が持つには、あまりにも大きな力だった。
それでも、彼女の旅は終わっていなかった。
ある日、かすみは突然、それまでいた世界から引き離された。
「……え?」
何が起きたのか理解するより先に視界が白く染まり、次の瞬間には足元の感触が変わっていた。
見知らぬ土地、そこには見知らぬ街がある。
戸惑いながら周囲を見回すと、そこには見覚えのない建物と、見知らぬ人々がいる。それなのに、不思議なことに、目の前の人々が話している言葉だけは理解できた。
「ここは……?」
問いかけるように呟いた、そのときだった。
空間そのものが震え、空から突然、無数の光が降り注いだ。光はかすみの身体へ触れ、温かさを残しながら吸い込まれていく。一つではない。異なる色、異なる気配を持った光が次々と重なっていく中、どこからともなく声が聞こえた。
人の声ではなかった。
『汝は、この世界に招かれた』
『ならば、我らもまた汝に力を託そう』
かすみは驚きながら、周囲を満たす光を見つめた。
『異なる世界の加護を持つ者よ』
『その力を恐れる必要はない』
『この世界を歩むための力を、ここに授ける』
光がさらに強くなり、身体の奥へ新たな力が流れ込んでくる。78番目の世界で授かった加護に重なるようにして、今度はこの世界の神々から新たな加護が与えられていった。異なる世界の神々から授かった力が、かすみの中で静かに重なっていく。
やがて、周囲を満たしていた光がゆっくりと消えた。
「……今のは……?」
詳しいことは分からなかった。ただ、自分の中に新しい力が加わったことだけは感じている。かすみは小さく手を握った。
「……すごい」
それでも、浮かれた様子はなかった。自分がどれほどの力を持っているのか、まだ分からない。
かすみは手を開き、周囲をもう一度見回した。父と母のいる場所へ帰りたい。二人に会いたい。そう思っても、帰る道がどこにあるのかさえ分からなかった。
かすみは近くに見える街へ向かった。その頃には世界中の教会で神々の神託が下り、人々はこの世界に勇者が召喚されたと喜んでいた。
街へ入ると、かすみは人々から歓迎された。勇者は特別な存在として扱われているらしい。けれど、かすみが十二歳だと知ると、その歓迎の中には戸惑いも混じった。
「本当に、この子が勇者なのか?」
「まだ子供じゃないか」
そんな声を背に、かすみは案内された冒険者ギルドの訓練場へ向かった。そこには訓練用の武器や巨大な標的が並んでいる。かすみはその中から一本の剣を手に取った。
「これ、使ってもいい?」
許可を得ると標的の前へ立ち、剣を構えた。周囲が静まり返る。
かすみが一歩踏み込むと、剣が閃いた。
次の瞬間、巨大な標的が真っ二つに割れ、訓練場から声が消えた。
かすみは割れた標的を見つめ、それから自分の手へ視線を落とす。
「……ちゃんと使える」
そのとき、壁際から小さな声が聞こえた。
「へぇ……」
かすみが振り向くと、そこに一人の女性が立っていた。長い髪を揺らし、腰には剣を差している。そして何より、隠しようのないほど強大な魔力を身にまとっていた。周囲の人々とは明らかに違う存在感があり、その女性は面白そうにかすみを見ていた。
「十二歳で、これはとんでもないね」
「あなたは?」
「ん? あたし?」
女性は笑った。
「ルビア。冒険者だよ」
「冒険者……」
「そう。しかもS級」
その言葉に、周囲がざわめいた。
「S級……?」
「ルビアって、あのルビアか?」
「『爆炎の魔術師』……」
「『炎の剣聖』の……?」
世界に数人しかいないS級冒険者。その名を知らない者は少ない。強大な魔物を討伐し、危険な依頼を数多くこなしてきた冒険者たちの頂点。その一人が、今、目の前にいる。
けれど、かすみが興味を持ったのは周囲の騒ぎではなかった。
「強いの?」
ルビアは一瞬だけ目を丸くし、それから楽しそうに笑った。
「まあ、それなりにね」
「戦ってみたい」
「へぇ?」
ルビアの笑みが少し深くなる。
「いいよ」
ルビアが訓練用の剣を抜くと、さっきまでの気安さが消えた。かすみも剣を構える。二人の間に静かな緊張が生まれ、次の瞬間には距離が一気に縮まった。
剣と剣がぶつかり、甲高い音が訓練場へ響く。
かすみの動きは速かった。十二歳とは思えない身体能力に、78番目の世界で身につけた戦闘技術。そこへ二つの世界の神々から授かった加護まで重ねられている。並の冒険者なら、まともに対応することすら難しい。
それでも、ルビアは笑っていた。
「まだまだ!」
かすみの剣を受け流して一歩下がり、追ってくれば、その動きを読んだように身体を捌く。剣が交差するたび、ルビアは紙一重で攻撃をかわし、ときには受け流し、ときには剣の軌道そのものを変えていった。
かすみは必死に食らいついた。それでも最後には剣を弾かれ、手から離れた剣が乾いた音を立てて地面へ転がった。
「……負けた」
「うん」
ルビアは剣を収めた。
「でも、十二歳でここまで動けるのは本当にすごいよ」
かすみはルビアを見つめた。
「もっと強くなれる?」
「なれるよ」
「私も、ルビアみたいになれるかな」
ルビアは少しだけ考えた。
目の前の少女は、弱い子供ではない。むしろ、すでに十分すぎるほどの力を持っている。それでも、まだ十二歳なのだ。強さだけでは、この世界を生きていくことはできない。
ルビアはかすみの前へ歩み寄った。
「じゃあさ」
「うん?」
「あたしと一緒に来ない?」
かすみが目を丸くする。
「一緒に?」
「この世界のことを教えてあげる。冒険者のことも、旅のことも」
ルビアは笑った。
「かすみは強い。でも、知らないことはまだたくさんあるでしょ?」
「……うん」
「だったら、あたしが教える」
かすみはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……お願いしてもいい?」
「もちろん」
ルビアが手を差し出す。剣を握り続けてきた手には、硬い跡が残っていた。
かすみはその手を見つめた。
それから、そっと握った。
こうして、十二歳の勇者とS級冒険者の旅が始まった。




