第34話「大魔王と勇者」
西の大陸から戻ってきた旅人たちは、どこへ行っても同じ話をしていた。
十五体の厄災が集まっている。村を襲い、町を支配し、悪魔や魔物たちまでもが、その前に従っているという。
話が広がるにつれて、人々の想像も膨らんでいった。十五体もの厄災を従える存在は、いったい何を考えているのか。西の大陸では何が起きているのか。
誰も答えを知らない。
そんな不安が広がる一方、東の大陸では別の噂が人々の間を駆け巡っていた。「譲」という少年の話だった。
山で七体の厄災を倒したという。
ルビアが目にした光景を思えば、それだけでも十分に恐ろしい話だった。山は崩れ、岩は砕け、木々は倒れた。その破壊の中心にいた少年だけが、傷一つ負わずに立っていた。
噂だけを聞いた人々は、少年の姿を知らないまま恐れた。どんな怪物なのか。どれほど残酷なのか。何を目的としているのか。姿の見えない存在ほど、人の想像は勝手に大きくなる。
七体の厄災を倒した話とともに、すでに知られていた一つの呼び名が、さらに広がっていった。
大魔王。
その名前が口にされるたび、人々の頭の中には、それぞれの恐ろしい姿が浮かんだ。世界を支配する存在。人間には理解できない力を持つ怪物。そうしたイメージだけが、譲の意図とは関係なく広がっていく。
当の譲は、その噂がどれほど大きくなっているかも知らずに歩いていた。道の途中で花を見つければ足を止めることもあり、翼を傷めた鳥を見つけたときには、しゃがみ込んで傷を治し、飛び立つまで見送ったこともある。そして、ときどき誰もいない道の先を見つめた。
母親がいるかもしれない。
そんな思いが、胸の奥に残っているからだった。
譲が求めているものは、世界の支配でも、誰かを従わせることでもない。
ただ、母に会いたい。
それだけだった。
一方、別の土地では、人々が一人の少女を囲んでいた。
「勇者様!」
「どうか私たちの街を守ってください!」
「王国の騎士になっていただけませんか!」
次々に声を掛けられ、かすみは困ったように笑っていた。
世界最強の勇者。厄災を倒し続ける英雄。
人々が口にするその名は、いつしか大きな期待を背負うようになっていた。かすみが町へ入れば人々は安心し、剣を携えて歩けば子供たちは憧れの目を向ける。中には、強さだけではなく、その隣に立ちたいと願う者までいた。
「結婚してくれませんか!」
頼みを断っても、次の者が前へ出る。子供たちは剣を持つかすみを見上げ、大人たちは彼女がいるだけで安心した顔を見せた。
「ごめんね」
かすみは笑って首を振った。
「わたし、探してる人がいるから」
そう言うと、人々が少し驚いた顔をする。世界最強の勇者が、いったい何を探しているのか。
けれど、かすみはそれ以上を語らなかった。
町を出て、人影のまばらな道で、ふと足を止める。遠くを見つめるその目は、人の姿を探しているようだった。
「……どこにいるのかな」
その声には、勇者としての威厳などなかった。
ただ、一人の母親が息子を想う声だった。
道の向こうを、母に手を引かれた子が夕日を背に歩いていた。かすみは二つの手が重なるのを見送り、自分の空いた手を見下ろした。
世界は、かすみを「勇者」と呼ぶ。けれど本人にとって一番大切なのは、勇者として何を成し遂げるかではない。
息子に会うこと。
それだけだった。
同じ頃、譲もまた一人で歩いていた。
譲は「大魔王」という呼び名を耳にしていたが、人々の恐れがどれほど大きいかは知らず、ただ道の先を見ながら歩いていた。
母に会うために。
夜、人里から離れた譲は薪を集め、小さな火へ手をかざした。
世界から見れば、二人は正反対だった。
かすみは人々に愛され、「世界最強の勇者」という称号を与えられている。譲は人々に恐れられ、「大魔王」という名を付けられた。
けれど、その呼び名が二人の本質を表しているわけではない。
勇者と呼ばれるかすみが探しているのは、一人の息子だった。大魔王と呼ばれる譲が求めているのは、一人の母親だった。
世界が見ている二人と、二人自身が求めているものは、あまりにも違っていた。
そして二人は、まだ知らない。
かすみが探している息子と、譲が探している母親。その二人が、この同じ世界にいることを。
今日もかすみは、息子を探して歩く。
今日も譲は、母を探して歩く。
世界は二人を、勇者と大魔王と呼んでいた。
けれど二人にとっては、そのどちらも本当の自分ではなかった。




