第30話「最強の少女」
かすみが町へ入ると、通りの向こうにいた冒険者の一人がふと足を止めた。隣の仲間へ何かを囁き、二人そろってこちらを見ている。その視線に気づいた別の冒険者まで振り返り、かすみの顔をじっと眺め始めた。
何人かが小声で話している。
かすみは自分の服や髪を見下ろした。何かついているのだろうかと思い、袖を払ってから髪にも触れてみる。
「……何か変かな?」
尋ねられた男は、慌てたように首を横に振った。
「い、いや、そういうわけじゃ……」
一度言葉を詰まらせ、それから意を決したように尋ねる。
「もしかして……あなたが、かすみさんですか?」
「うん。そうだけど」
その答えが返ってきた途端、周囲に小さなどよめきが広がった。
「やっぱり……」
「本物だ」
「あれが噂の……」
かすみは困ったように笑い、軽く頭を下げた。
「こんにちは」
挨拶を返すと、何人かが慌てて頭を下げた。その様子がおかしくて、かすみは首を傾げる。どうして自分が挨拶しただけで、こんなに緊張されるのか分からない。
そこへ、立派な服を着た男性が人混みを抜けて近づいてきた。
「突然のことで申し訳ありません。私はこの町の近くに領地を持つ者ですが、あなたにお願いしたいことがございます」
男性は深々と頭を下げた。
「どうか、我が家の護衛をお願いできないでしょうか。報酬については、あなたの望むものを用意いたします」
かすみは少し考え、それから申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさい。私、旅を続けたいから」
「でしたら、我が家を旅の拠点として使っていただいても構いません。屋敷も自由に――」
「ううん。それも大丈夫」
かすみは首を横に振った。
「自分でいろんなところへ行ってみたいの」
男性はそれ以上何も言えなかった。残念そうに頭を下げると、人混みの中へ戻っていく。その背中を見送りながら、かすみは小さく息を吐いた。
「……まただ」
近くにいた冒険者が尋ねる。
「こういうこと、よくあるんですか?」
かすみは少し考えてから頷いた。
「最近は、町に入るたびに」
冒険者が何か言おうとした、そのときだった。
「かすみ!」
通りの向こうから、聞き慣れた明るい声が響いた。
かすみの顔がぱっと明るくなる。
「ルビア!」
人の間を抜けてきたルビアは、集まった者たちを見回した。
「何これ?」
「また勧誘されてたの」
かすみが少し疲れた顔で答えると、ルビアは事情を察したように笑った。
「なるほどねぇ」
そう言って、かすみの頭を軽く撫でる。
「人気者は大変だね」
「もう嫌になってきた……」
「ははっ。じゃあ逃げよっか」
ルビアが歩き出すと、かすみもすぐに後を追った。
周りの冒険者達が、またざわつく。
「あれ、S級冒険者のルビアじゃない?」
「あれが…、炎の剣聖…」
「本物だよ。爆炎の魔術師ルビアだ」
二人が町の外へ出る頃には、背後から聞こえていた人々の声もすっかり遠くなっていた。街道をしばらく歩き、ようやく人の気配が薄れたところで、かすみが口を開く。
「ねえ、ルビア」
「ん?」
「どうしてみんな、私を見るとあんな感じになるのかな」
ルビアは少し考えるふりをしてから、かすみの顔を覗き込んだ。
「さあ?」
「分からないの?」
「分かるけど、本人に言うと調子に乗りそうだから言わない」
「乗らないよ」
かすみが頬を膨らませると、ルビアは声を上げて笑った。
夕方になる頃、二人は街道脇の丘で休むことにした。かすみは草の上へ腰を下ろし、遠くの空を眺める。ルビアも隣に座り、しばらくはどちらも何も言わなかった。
やがて、かすみが膝を抱えたまま呟く。
「世界最強って呼ばれるの、変な感じだな」
ルビアが横を見る。
「嫌なの?」
「嫌っていうわけじゃないけど……私自身は、そんなに変わったつもりないから」
ルビアは小さく笑った。
「まあ、あたしから見てもそうだね」
かすみが振り返ると、ルビアはいつもの調子で続けた。
「かすみはかすみでしょ。強くなったからって、急に別人になるわけじゃないじゃん」
かすみはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……うん。ルビアと話してると、なんか安心する」
「そりゃよかった」
日が沈み始めると、ルビアが立ち上がった。
「そろそろ町へ戻ろうか」
「うん」
かすみも立ち上がったが、数歩進んだところで足を止めた。街道の先に、小さな屋台が見える。
「ルビア」
「何?」
「あれ、食べたい」
指差した先には、焼き菓子が並んでいた。
ルビアは呆れた顔をしながら笑う。
「さっき夕飯どうするって話したばっかりなんだけど」
「でも美味しそうだよ」
「……しょうがないなぁ」
二人で屋台へ向かうと、店主がかすみの顔を見て目を丸くした。
「おや……あんた、もしかして」
「はい?」
店主は少し迷ってから尋ねる。
「噂の勇者さんかい?」
かすみは照れたように笑った。
「たぶん、そうです」
店主は笑いながら焼き菓子を包むと、その中へ一つ多く入れた。
「じゃあ、これはおまけだ」
「いいんですか?」
驚くかすみに、店主は肩をすくめる。
「旅の途中なんだろ。腹いっぱい食べて、また頑張りな」
「ありがとうございます!」
かすみは嬉しそうに頭を下げた。
屋台を離れると、かすみは包みを大事そうに抱えて歩いていた。
「一個多かったね」
ルビアが言う。
「うん。嬉しいな」
かすみが笑うと、ルビアもつられるように笑った。
町の明かりが、少しずつ近づいてくる。
世界中で名前を知られるようになった少女は、そんなことなど忘れてしまったような顔で、ルビアの隣を歩いていた。
「ねえ、ルビア。明日はどこへ行こうか?」
「南のほうへ行ってみる?」
「いいね。何があるのかな」
「さあ。行ってみないと分からないよ」
「じゃあ、決まり!」
二人は笑いながら、夜の町へ向かって歩いていった。




