第22話「長い年月」
さらに長い年月が流れた。
季節が何度巡っても、譲の身体は十歳ほどの少年のままだった。一年という時間を数えることもなくなり、春に芽吹いた森が冬には雪に覆われ、それがまた春を迎えるのを、旅の途中で何度も見送った。
ある日、昔訪れたことのある町の近くを通った。森の向こうに見える町は、記憶に残っている姿とはまるで違っていた。低い木造の家が並んでいた場所には石造りの建物が建ち、細かった道も広くなっている。
譲はしばらく足を止めた。
確かに、ここへ来たことがある。
けれど、いつだったのかは思い出せなかった。
記憶を探れば、あの角に店があったことや、別の場所に井戸があったことはぼんやりと思い出せる。誰かと話したこともあった気がする。その人がどんな顔をしていたのか、何を話したのかまでは出てこなかった。
譲は町へ入らず、そのまま通り過ぎた。
長く旅を続けるうちに、こうしたことは珍しくなくなっていた。昔知っていた人に似た顔を見つけても、同じ人ではない。かつて森で遊んでいた子供には、その人自身の子供がいる。一つの人生が終わる頃には、次の人生が始まっていた。かつて遊んでいた子の孫が店を継ぎ、さらに年月が過ぎれば家の名さえ残らないこともあった。
譲は、その流れの外側にいた。
自分の手を見れば、昔と同じ小さな手がある。何十年経っても変わらないことを、今ではもう不思議だとも思わなかった。
それでも、ときどき寂しいと思うことはあった。
人と話したいわけでも、誰かと暮らしたいわけでもない。何が寂しいのか、自分でもよく分からなかった。ただ、昔知っていた人の顔を思い出そうとして、もう思い出せなくなっていることに気づく瞬間がある。
確かに知っていたはずなのに、顔も声も出てこない。その人がいたということだけが残っている。
そんなとき、胸の奥に小さな空白ができた。
その空白を抱えたまま、譲は歩いた。
譲が長い年月を旅したあと、その世界に一人の勇者が召喚された。
かすみだった。
ハイエルフである彼女もまた、十七歳ほどの姿から変わることなく、勇者として旅を続けていた。町から町へ、村から村へ。魔物に襲われた村を守り、道に迷った旅人を助け、病に苦しむ人のために薬を探す。一つのことが終われば、また次の場所へ向かった。
かすみにとって、人を助けることはすでに日々の一部になっていた。
「勇者様、数年前、私を助けてくださいましたよね」
町の人から、そう声をかけられることもあった。
かすみは笑って、名前と土地を尋ねた。その人の顔がすぐに浮かぶこともあれば、聞いた場所から記憶をたどり、ようやく思い出すこともあった。
助けた人と再び会えたときには、その無事を喜んだ。
それでも旅をやめなかった。
息子を探すことも、忘れてはいなかった。
世界は広く、手がかりはない。探している少年がどこにいるのかも分からない。今の年齢も、名乗っている名前も顔も知らない。覚えているのは、冷たくなった小さな手と、もう一度抱きしめたいという願いだけだった。
それでも、生きている。
そう信じていた。
そして譲もまた、同じ世界のどこかを歩いていた。
二人は、何度も近くにいた。
譲がある町を避けて森へ入った翌日、かすみがその町を訪れることがあった。譲が人の気配を避けて別の道を選べば、その数日後にかすみが同じ道を通った。
ある日、譲が一つの宿場町を出た。その少しあとに、かすみが同じ町を訪れた。
宿の主人は、つい先ほどまでいた少年の話をした。
「変わった子でしたよ。十歳くらいなのに、一人で旅をしていて」
かすみは、その話を聞いた。
「……そう」
それだけを答えた。
譲はもう町を離れている。そこに勇者が来たことを知らず、かすみも宿の主人が話した少年が誰なのか知らない。
同じようなすれ違いは、一度だけではなかった。
あと少し早ければ。あと少し遅ければ。ほんの少し違う道を選んでいれば、互いの姿を見ることがあったかもしれない。
それでも、出会わなかった。
譲は世界を旅する勇者がいることを知っていた。しかし、その勇者が前世の母だとは知らない。
かすみもまた、世界のどこかに、厄災ではないかと疑われて討伐隊に追われ続けている少年がいることを知っていた。けれど、その少年が自分の探し続けている息子だとは知らない。
国の名前さえ変わるほどの年月を譲は先に歩いていた。かすみがこの世界に来てからも、譲は十歳ほど、かすみは十七歳ほどの姿のまま、それぞれの旅を続けていた。
同じ世界にいる。
互いを探している。
それでも、出会わない。
長い年月を隔てていたのは、時間ではなかった。
二人の間には、あと少しだけ届かない距離が残り続けていた。
雪が強くなり、かすみは野外で夜を越すには視界が悪すぎると思った。人目を避け、町外れの小さな宿へ入る。
濡れた外套を脱いだ彼女へ、主人が昨夜の客の話をする。
「十歳くらいの子が、一人で泊まっていきましてね。こんな雪の中を、朝早く出たんですよ」
先に町を離れた譲は、吹雪の中を歩いていた。風に足跡が埋もれ、輪郭が薄くなる。
宿を出たかすみの右には、小さな足跡が続いている。左の道には、町へ向かう荷車の轍が深く残っていた。
かすみが右へ進もうとしたとき、左の森から助けを呼ぶ声が聞こえた。
荷車が道を外れ、斜面へ傾いている。御者が一人で車体を支え、その下には子供がいた。
荷車を持ち上げ、子供を引き出す。怪我へ治癒を施し、動けるところまで助けた頃には、雪が道を白く覆っていた。
かすみは白くなった道を見つめたあと、北へ歩き始めた。
譲は吹雪を避けるため、道を外れて森へ入っている。背後の街道を勇者が進んでいることも、自分の足跡を追った者がいたことも知らない。
いつの記憶か分からない温かさが、寒い日には少しだけ近く感じられた。
同じ日の夕方、かすみは譲が通った場所へ辿り着いた。
雪の下から、消えかけた小さな足跡が辛うじて残っていた。




