第19話「討伐隊」
五年の月日が流れた。
五年前、譲は一人で生きる方法を何も知らなかった。
腹が減れば食べなければならず、寒ければ火が必要になり、眠るには雨風を避けられる場所を探さなければならない。そんな当たり前のことさえ、誰かに教えてもらったことはなかった。
だから譲は、人の暮らしを見た。街から少し離れた場所に身を隠し、朝になれば店の戸を開ける者や畑へ向かう者を眺め、森から獲物を抱えて帰ってくる冒険者の姿を追った。
旅人が乾いた枝を折り、細い木屑へ火花を落とす手つきも覚えた。狩人が獲物の通る場所を選んで罠を隠し、川辺で食べられる草を選り分ける手元も見た。
街へ戻らず野営する者たちがいれば、火を起こし、鍋をかけ、食事をして、夜が深くなると眠るまでを遠くから見ていた。誰かに話しかけることはなく、ただ見て、覚えた。
もちろん、見たからといって最初から同じようにできたわけではない。火を起こそうとして煙ばかり出たこともあれば、食べられると思って口にした植物を吐き出し、腹を痛めたこともある。罠を仕掛けても何日も獲物はかからず、ようやく小さな獲物を捕まえたときには、今度はどうすれば食べられるのか分からず立ち尽くした。
それでも翌日になれば、また試した。昨日と何が違ったのかを考え、失敗したところを変えてみる。人がやっていたことを思い出し、自分の手でも同じようにやってみる。うまくいかなければ、もう一度見る。
そうして火の起こし方、水の探し方、食べられるものの見分け方、獲物を捕らえた後の扱い方、夜を過ごす場所の選び方まで、一つずつ自分のものにしていった。
やがて、人の足がほとんど入らない森の奥に小さな住処を作った。屋根になるものを集め、雨が降れば濡れない場所へ移り、枝を組んだ屋根が崩れればそのたびに組み直し、食料がなくなれば狩りに出る。川から水を汲み、火を起こして獲物を焼き、食べ終われば火を消す。
最初はいちいち考えなければできなかったことも、毎日繰り返しているうちに身体が覚えていった。
いつしか、街へ行く必要もなくなった。人と話さなくても食べるものを手に入れ、夜を越し、次の朝を迎えられる。誰かに教わることのなかった暮らしを自分で覚え、一人で生きることは譲にとって特別なことではなくなっていた。
十歳になった頃だった。
その日も譲は森の中で食事をしていた。火の向こうに置いた獲物へ手を伸ばしたとき、木々の間から聞き慣れない声がした。
「この辺りだ。間違いない」
譲の手が止まった。
「本当にここにいるのか?」
「ああ。ここ数日の痕跡と一致している」
譲はすぐに火を消した。煙が残らないよう土をかぶせ、木の陰へ身体を隠し、声のする方を窺った。
一人ではなかった。剣を携えた冒険者、重い鎧を身につけた戦士、王国の紋章をつけた騎士。その中には魔法使いや弓を持った者までいる。森を歩くためだけの集団ではないことは、譲にも分かった。
「神々の宣託にあった二十七の厄災。その一人が、この辺りにいるという話だったな」
「ああ。世界中に散らばっていると宣託された厄災の一人が、この子供だと疑われている」
「見た目は十歳ほどの子供だという話だが……」
「厄災がどんな姿をしているかなど分からん。油断するな」
譲は木の陰で黙って聞いていた。
二十七の厄災。その言葉なら知っている。世界のどこかに恐ろしいものがいて、神々がその存在を告げたという話も、これまで何度か耳にしてきた。自分とは関係のない、どこか遠くにいるものの話だと思っていた。
けれど、彼らが探しているのは十歳ほどの子供だった。そして、その人々はいま、自分が暮らしている森にいる。
「……僕を探してる」
口にしてみると、その声は自分の耳にもひどく小さく聞こえた。
譲は住処へ戻った。食料を少しと、水を入れた容器、火を起こすための道具を鞄へ詰める。それだけあれば、しばらくは困らない。
五年間ここで暮らしてきた。壁代わりに使った木々も、眠った場所も、何度も火を起こした跡も覚えている。何も知らなかった自分が、ようやく一人で暮らせるようになった場所だった。
それでも、ここに残ることはできなかった。
譲は荷物を背負い、森の奥へ向かった。
「いたぞ!」という声が森を裂いた。
「逃がすな!」
譲は走った。木々の間を抜け、張り出した根を踏んで向きを変え、獣しか通らない細い斜面を下り、倒木の下を潜った。五年間歩き続けた森だった。どこが歩きやすく、どこが崩れやすいのか、どの場所なら木々に紛れて姿を隠せるのかは、考えるより先に身体が知っていた。
背後から複数の足音が迫ってくる。
「右だ! 回り込め!」
「森の出口を押さえろ!」
譲は進路を変えた。
前方の木陰から騎士が現れ、剣を振り下ろす。譲は刃が届くより先に身体をずらした。剣先は肩をかすめることさえなく空を斬り、その横を譲がすり抜けていく。
続いて背後から炎の魔法が飛んできた。振り返らなくても、何かが迫ってくることが分かる。譲は足を止めずに身体を傾けた。炎は髪のすぐ横を通り、前方の木へぶつかって弾けた。さらに矢が放たれ、外套を掠めて地面へ刺さったが、譲の身体には届かなかった。
追手は一人ではない。前から回り込み、後ろから追い、離れた場所から魔法や矢まで放ってくる。それでも譲との距離は縮まらなかった。
なぜ自分がこれほど簡単に避けられるのか、譲自身にも分からない。危ないと思ったときには、もう身体が動いている。どこへ足を置けばいいのか、どちらへ身体をずらせば当たらないのかを、考えるより早く身体が選んでいた。
それでも、譲は一度も振り返って攻撃しようとはしなかった。
逃げられるなら、それでいい。
誰かを倒してまで、ここに残りたいわけではなかった。
譲は森の奥へ走り続けた。やがて背後の足音が遠ざかり、木々の間に響いていた怒鳴り声も聞こえなくなった。
しばらく走ってから足を止め、息を整える。身体の疲れが落ち着くのを待って、譲は来た道を振り返った。
木々が並んでいるだけだった。
その向こうにあるはずの住処は、もう見えない。
五年間暮らした場所だった。誰かに与えられたものではない。火の起こし方さえ知らなかった頃から、人の暮らしを遠くから見て、一つずつ覚え、自分で作った場所だった。
譲はしばらく森を見つめた。
戻ることはできない。
やがて鞄を背負い直し、その場を離れた。
それから譲は、一つの場所に長く留まらなくなった。人の気配を感じれば離れ、自分を探す者が近づけば、夜中でも荷物をまとめてさらに遠くへ移った。どこかへ行きたいわけではない。ただ、誰にも見つからずに暮らせる場所を探した。
けれど、噂は消えなかった。
十歳ほどの姿をした少年。世界各地で目撃される、正体不明の厄災。
その噂を追う者たちは、譲が場所を変えても現れた。剣を向ける者もいれば、魔法を放つ者もいる。初めのうち、譲は一度も反撃せず、追いつかれる前に姿を消していた。
自分には、人を簡単に傷つけられる力がある。そのことを、譲はすでに知っていた。
だからこそ、使いたくなかった。
襲われても逃げられるのなら、それでよかった。住処も食料も置いていけばいい。倒す必要も、傷つける必要もない。自分がそこからいなくなれば、それで終わると思っていた。
だが、何度逃げても追跡は終わらなかった。住処を変えても討伐隊は現れ、やがて逃げ道を塞がれることも増えていった。
逃げ切れなくなったとき、譲は初めて、自分へ振り下ろされた剣を力で弾いた。
加減したつもりだった。剣を握っていた男は地面を転がり、後ろにいた者たちまで巻き込んだ。譲にとっては押しのけた程度でも、人間にはそれで十分な傷を負わせてしまう。
それからも、譲はまず逃げた。それでも逃げ切れないときには、討伐隊を退けるために力を使うようになった。自分から追うことも、倒れた者へさらに攻撃することも、町を襲うこともなかった。
ある時は前に騎士、後ろに魔法使いが立ち、矢が肩へ向かって飛んだ。譲は矢を避け、剣を持つ男の腕を押しのけた。剣が折れ、男は地面を転がって後ろの二人も巻き込んだ。譲は倒れた者へ近づかず、結界の薄い場所を破って森を出た。
剣を素手で折る少年。結界を破り、魔法を避ける厄災。何人で向かっても殺せない怪物。そうした噂は追手を増やし、譲を人のいる場所から遠ざけた。
そうして住む場所を変えるたび、譲のそばに残ったのは、小さな鞄だけだった。去った場所には、消した焚き火の跡だけが残った。
次にどこへ行くのかは決めていない。人の少ない場所へ行き、そこで暮らせそうならしばらく留まる。見つかれば、また離れればいい。
譲は鞄を背負い直した。
それから一人で、人の少ない方へ歩き始めた。




