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神々に願った、たった一つの愛  作者: 狹霧
第3章 「大魔王の誕生」
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第15話「生贄」

翌朝、譲は腹の痛みで目を覚ました。

崩れた屋根の隙間から差す光を見上げ、昨日のパンを思い出す。ポケットには欠片ひとつ残っていない。

「……どうしよう」

考えていても腹は満たされない。譲は立ち上がり、大通りへ向かった。

人波の中に、質のよい服を着た男がいた。数人の従者を連れ、腰の革袋からは歩くたびに硬貨の音がする。

あれがあれば、パンが買える。

譲は男の後ろにつき、少しずつ距離を詰めた。従者との話に気を取られた横顔を確かめ、革袋へ手を伸ばす。

指が触れる前に、手首を掴まれた。

「何をしている?」

低い声が頭の上から響いた。譲は腕を引いたが、大人の手はびくともしない。

「盗もうとしたのか」

「……ごめんなさい」

「何を?」

「お金」

「何のために」

譲は俯いた。

「……パン」

男は怒鳴らなかった。古びた服、汚れた顔、細い腕を順に眺める。その冷静な目の動きが、叱られるよりも怖かった。

従者が尋ねた。

「この辺りの子供でしょうか」

「見覚えはないな。家族は?」

「……いない」

「父親は」

譲は首を振った。

「母親は?」

「ママは……知らない」

男と従者が顔を見合わせた。

「身寄りはないようですね」

「ああ」

「なら、問題ありません」

何が問題ないのか、譲には分からない。

男は譲の手首を掴んだまま、別の従者へ目を向けた。

「洞窟の準備は?」

「整っています。ただ、生贄がまだです」

知らない言葉だけが耳に残った。

「……いけ、にえ?」

誰も答えない。

「今回の封印には一人必要です」

男は譲を見下ろした。怒りも憎しみもない目だった。

「この子でいい」

「はい」

あまりに簡単に決まり、譲は自分のことではないように瞬いた。

「……ぼく、何をするの?」

「洞窟へ行ってもらいます」

「行くだけ?」

従者は一拍置いた。

「戻る必要はありません」

譲の喉が鳴った。いつも食べ物を探し、眠る場所へ戻ってきた。その『戻る』がなくなる。

「……帰って、こないの?」

沈黙が答えだった。

「いやだ。ぼく、帰る」

譲は手首を捩った。

「もう盗まない。お金も、パンも取らないから……帰して」

初めて大人へ縋った言葉は、男の耳に届かなかった。

「連れていけ」

従者が譲の腕を引く。

「いや! やだ、帰る!」

靴が石畳を擦った。小さな身体がどれほど暴れても、大人の歩みは止まらなかった。

連れていかれたのは、街外れの古い建物だった。譲を中へ押し込み、扉が閉まる。

「ここで待っていろ」

「いつまで?」

外から錠の下りる音がした。

譲が扉へ駆け寄ると、遠ざかる足音に混じって大人たちの声が聞こえた。

「明朝、山へ向かう」

「封印は持つでしょうか」

「今のところはな」

「なら、問題ありません」

また同じ言葉だった。

自分がいなくなっても、問題ない。探しに来る人も、怒って止める人もいない。

扉に置いた手が、ずるずると下がった。

「……ぼく、死ぬの?」

返事はなかった。

夜になっても眠れず、譲は膝を抱えた。目を閉じ、顔のない温もりを探す。

「……ママ。助けて」

それは、思い出せない母へ向けた、初めての願いだった。


翌朝、扉が開いた。

大人たちに起こされ、冷たい山道を歩かされる。譲は何度も振り返った。誰かが追ってきて、「もういい」と言ってくれる気がした。

誰も来なかった。

山の奥に、黒い口を開けた洞窟が見えた。譲の足が止まる。

「……ここ?」

背中を押され、一歩よろめいた。

「いや……待って。ぼく、悪いことしないから。ちゃんとするから……」

大人たちは表情を変えない。一人が譲のポケットへ何かを入れ、そのまま洞窟の中へ押し込んだ。

岩肌に手をついた背後で、重い音がした。

入口が閉じ始めている。

「待って!」

譲は光へ駆け戻った。

「待って! ぼく、ここにいたくない!」

差し込む光が細くなる。伸ばした指の先で、最後の白さが消えた。

「お願い……!」

声だけが岩に跳ね返った。

譲は閉ざされた入口へ両手を当てた。冷たい岩は動かない。やがて指先が震え、身体を抱くように腕を回す。

「……ママ」

暗闇の中で、もう一度呼んだ。

「ぼく、帰りたい……」

その声を聞き入れてくれる者は、誰もいなかった。

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