↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々に願った、たった一つの愛  作者: 狹霧
第2章 「百八の世界と最後の召喚」
PR
13/79

第13話「壺の中の八十」

手のひらほどの壺に、八十体の厄災が封じられていた。

外から見えるのは、幾重もの魔法陣が刻まれた小さな器だけだ。だが内側には、炎、氷、雷、毒、呪い、闇――異なる世界で恐れられた力が、逃げ場もなく押し込められている。

獣の姿をしていたもの、人に似たもの、形すら持たなかったもの。その一体一体に、かつては名前と記憶と意思があった。

最初に起きたのは、衝突だった。

炎へ冷気が食い込み、雷がその隙間を裂く。闇は光を呑み、広がる毒へ呪いが絡みついた。互いを拒む力がぶつかるたび、壺の内側は軋み、表面の術式が明滅した。

それでも当初は、八十体は八十体のままだった。炎は自らを炎と知り、氷は炎を異物として押し返した。それぞれが自分と他者の境を守ろうとしていた。

だが、逃げ場のない時間は長かった。

ぶつかるたび、炎の中にわずかな冷たさが残った。氷の奥では熱が燻り、雷は闇をまとい、毒と呪いの境目がほどけていく。一度混じったものを、完全に押し出すことはできない。拒むために力を振るえば、その力がまた別の何かへ触れた。

やがて、混じり始めたのは力だけではなくなった。

ある厄災が、生まれた世界を思い出そうとする。暗い空と荒れた大地、その向こうから呼ぶ声。

けれど、声の主へ辿り着く前に、見たことのない森が割り込んだ。知らない町、知らない顔。それなのに胸の奥には、帰郷にも似た懐かしさが疼く。

誰の記憶なのか、もう判別できなかった。

覚えのない怒りが湧き、失っていないものへの悲しみが押し寄せる。憎んでいる相手の顔は浮かばない。痛みだけが鮮明で、それを受けたのが自分だったのか、隣にいた何者かだったのかも分からない。

自分を守ろうとするほど、境界は崩れた。

炎が熱を広げれば、冷気もまた炎の内側へ運ばれる。雷が闇を振り払えば、闇に染みついた記憶まで雷を走る。ひとつが動くたび、その揺れは残る七十九体へ伝わった。

自分は炎だったはずだ。

そう確かめようとした内側に、氷の記憶がある。

自分は雷だったはずだ。

けれど、稲光の奥から闇の怒りが返ってくる。

では、自分は何なのか。

その問いに答えられるものは、時とともに減っていった。強いものが弱いものを呑んだのではない。消えかけた力も別の力に痕跡を残し、そこで性質を変え、また別のものへ染み込んだ。八十体のどれか一つが勝者になることはなかった。

炎は、もう炎だけではない。氷も、雷も、毒も、呪いも、闇も、その内側に他者を抱えていた。誰かの恐怖が別の誰かの恐怖となり、誰かの記憶が、持ち主を失った景色として漂う。

やがて、「これは自分のものではない」と感じる意識さえ薄れた。

最後に失われたのは、名前だった。

忘れたのではない。自分を他者と区別できなくなったものに、名乗るべき名は残らなかった。何者で、なぜここにいて、誰を憎み、何を望んでいたのか。問いに答えられないのではなく、問いを抱く者そのものが消えていた。

怒りも悲しみも、持ち主を特定できる細かな記憶も、すでに失われていた。残ったのは、それぞれの力と、その力に結びついていた知恵や知識だけだった。

残ったのは、純粋な力だった。

八十体は、八十体の姿も意思も失い、一つの巨大な力へ変わっていた。神でも、魔王でも、獣でもない。かつて封じられたどの存在にも当てはまらない何かが、掌ほどの暗がりに凝縮されている。

壺の外で、神々はその変化を感じ取っていた。

争う気配は消えている。声もなく、望みもなく、器の中は静まり返っていた。

それなのに、漏れ出す圧力は、封じる前のどの厄災よりも重い。

神々は言葉を失った。

彼らが封じた八十体は、消滅していない。名前も魂も、自我も感情も細かな記憶も失いながら、すべての力と、それに結びつく知恵や知識だけを一つにして、壺の底に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。