第11話「百七の厄災」
混沌の魔王が、第百八世界へ落とされた。
第七十八世界の神々が最後の一度を使った直後、境界は再び揺れた。
第百八世界へ厄災を送ったのは、彼らだけではなかった。
百八の世界のうち、境界を越える召喚や追放を繰り返してきたのは第百八世界だった。他世界から勇者を奪い、自分たちでは扱えない存在を外へ押しつける。そのたびに抗議を受けても、守るべき人々がいるという理由で手を止めなかった。
積み重なった怒りは、最後の十日間に形を持った。
境界を閉じる決定が伝えられたとき、神々は互いの選択も知った。第百八世界が最後の一度で、また第七十八世界から幼い命を召喚したことも隠せなかった。
勇者の次は、その勇者が求める子供まで奪うのか。
その問いに、第百八世界から答えはなかった。
ある世界では、神々が何千年も地下へ封じていた邪神を解き放った。倒せず、封印を保つだけでも力を奪われ続けてきた存在だった。
別の世界では、国を幾つも焼いた悪魔が境界の前へ引き出された。翼を縛っていた鎖が外されても、悪魔は自由になったとは思わなかった。開いた境界の向こうへ押し流され、自分のいた世界から消えた。
海を支配していた邪竜、死者の声を食らう魔物、大地へ毒を染み込ませる獣。神々でさえ滅ぼせず、その世界に残しておくことを恐れたものたちが、次々と最後の力によって送り出された。
行き先は、すべて第百八世界だった。
自分たちの世界へ災厄を押しつけてきた神々に、その重さを返す。怒りだけで選んだ者もいた。これを逃せば、二度と取り除けない脅威を自分たちの世界へ残すことになる。守るべき命を前に、報復とは別の理由で追放を選んだ神々もいた。
理由が違っても、開かれた境界の先は同じだった。
第百八世界の神々は、最初の厄災が現れたとき、まだ対処できると考えた。混沌の魔王に続いて現れた異形を見下ろし、力を集めようとした。
その間にも、境界が開いた。
炎をまとった巨体が大地へ落ち、その熱で森が燃えた。離れた場所では冷気が広がり、草木を白く凍らせる。雷を抱く翼が空を裂き、落ちた光が山肌を砕いた。
一つの異変へ目を向けるたび、別の場所で空が歪んだ。
山裾の村では、昼間だった空が急に暗くなった。畑にいた者たちが顔を上げると、雲ではない巨大な影が頭上を横切っていく。港では海水が泡立ち、沖にいた船が、まだ姿の見えない何かの咆哮だけで大きく傾いた。
神々だけが見ている異変ではなかった。追放された厄災は、すでに人々の暮らしへ触れ始めていた。
毒が川へ流れ込み、呪いが獣の姿を変えた。夜のような闇が昼の空を覆い、その内側で、人のものではない眼が開いた。
「……また来る」
神の声が、雷鳴に消された。
第百八世界の神々は、境界の向こうへ押し返そうとした。だが彼らの最後の一度は、すでに譲を召喚するために使われている。十日の猶予があっても、二度目の力は残っていなかった。
自分たちが破り続けた境界の前で、今度は何も送り返せない。
厄災は十を超えた。
炎の向こうに別の影が立ち、凍った大地の上を巨大な獣が歩く。互いに異なる世界で生まれた力は、近づくだけで周囲を壊した。
二十を超えた頃には、神々にもすべてを見分けることが難しくなった。空に幾つもの雷雲が重なり、毒と呪いが同じ森へ染み込む。魔王の気配に邪竜が咆哮し、その声へ応じるように別の何かが地中で動いた。
それでも境界は開き続けた。
第百八世界の神々は、かつて他世界へ追いやった存在の名を幾つか思い出した。あのときは、自分たちの世界から消えたことで終わったと思っていた。送り先の空がどう変わり、誰がその力から逃げたのかを見ようとはしなかった。
今度は、自分たちが見届ける側に残された。
第百八世界には、召喚されたかすみがいる。彼女が助けようとした人々がいる。そして数十年前へ送られた譲も、母が同じ世界へ来たことを知らないまま、その世界のどこかで生きている。
その空の下へ、他世界が抱えてきた脅威が集められていく。
百を超えてから、境界が開くたびに神々は数だけを確かめた。どの世界から、どのような存在が来たのかを調べる余裕は失われていた。
最後の光が消えたとき、神々は数え直した。
百七。
混沌の魔王を含め、第百八世界へ追放された厄災は百七体に達していた。
邪神、魔王、悪魔、邪竜、魔物。炎、氷、雷、毒、呪い、闇。別々の世界で恐れられてきたものが、いま同じ大地と空を分け合っている。
初めのうち、厄災たちはそれぞれの場所に留まっていた。
やがて、互いの力を感じ取った。炎が近くの冷気を焼き、氷が熱を拒んで大地を覆う。雷が闇を裂けば、闇は光を呑み込もうと広がった。毒と呪いが触れ合った場所では、そこにいた生命が原形を失っていく。
百七の力が、同じ世界の中でぶつかり始めた。
境界が閉じた。
もう他世界から何かが来ることはない。ここにいる厄災を、どこかへ送り返すこともできない。
第百八世界の神々は、自分たちが守ろうとした世界を見下ろした。かすみを奪い、譲を呼び、その二人を引き留めるために使った最後の力。その選択のあとに残された大地には、百七の厄災がいる。
神々はようやく、目の前の数から逃げずに考えた。
この百七を、どうするのか。




