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イベント会場の設営は着々と進められているようだった。優に五百人は入るであろう会場内には数多くのテーブルと椅子が並べられ、正面奥のステージに当てるための照明ライトが客席両サイドや天井付近の壁に設置されている。
繊細なガラス細工の置物を思い切り叩きつけても割れないのではないかと思えるほどのふかふかな絨毯を安物の靴で踏みしめ、ステージ前に立つ老人のもとへ向かう。「森田会長」と声をかけると、老人はこちらを振り返り柔和な笑みを見せた。
「やあ、空木さん。無事、到着されましたか」
「ええ、おかげさまで」
「あれ? でも、リハーサルはたしか明日のはずでは?」
「そうなのですが、その前に一度、こいつを連れて会長にご挨拶にと」
隣に立つルナが老人に向かってぺこりと頭を下げる。
「ああ、そうですか。それはわざわざどうもありがとう。ルナちゃん、ひさしぶりだね。元気だったかい? 少し背が伸びたんじゃないか?」
「三センチ伸びた」
「伸びました」
「のびました」
「はっはっ、いいんですよ敬語なんて。昔からの付き合いなんですから。今日は、ソルちゃんは一緒じゃないのかい?」
「すみません、あいつも連れてこようと思ったんですが、寝てしまいまして」
「カレー食べたらすぐ寝た。行く末は豚。――豚です」
「はっはっはっ、相変わらず辛辣だね、ルナちゃんは。若いんだし、よく食べるのはいいことだと思うよ。まあ、あんまり太るとステージ上で見栄えが悪くなっちゃうかもしれないから、食べ過ぎには気を付けないとだけどね」
そう言うと森田老人はまた愉快そうに声を上げて笑う。優しげに目尻を下げてルナと話をする様子はまるで祖父と孫のようだ。双子を幼いころから知っている彼にしてみれば、実際そんな感覚なのだろう。
森田惣太朗。この国最大手の自動車メーカー、「モリタ自動車」の取締役会長だ。クニマツ、三上自動車、バイソンなど多くの企業を傘下に収める「モリタグループ」は、いまや国内だけでなく世界を代表する一大企業グループとなっている。
そんなモリタ自動車がこの度、創業九十周年を迎えるということで、それを祝うパーティーが二日後にこの会場で開かれる。現在、そのための準備が着々と進められているというわけだ。
「ルナちゃんたちのショーを観るのはひさしぶりだから、楽しみだよ」
「うん、がんばる」
そう、そして今回我々は、そのパーティー内で余興をやる演者として招かれている。演目は双子によるマジックショー。「マジック」。少なくとも世間では、そういうことになっている。
ルナとソルは二人が六歳のとき、「双子のマジシャン」として舞台デビューした。演出を含め、二人をプロデュースしたのはこの私。物珍しさや双子のルックスの可愛らしさもあってメディアで取り上げられることもあり、当時は我が弱小事務所もそれなりに稼がせてもらったものだ。
しかしいつの時代も流行が廃れるスピードというのは驚くほど速いものであり、デビューから一年後には双子の手品師のことなどほとんどの人の記憶から消えていた。街中で彼女たちの名前を出せば誰もが「ああ、そんな子いたね」と言っていただろう。そもそも当時の二人がやっていたマジックといえば手を使わずに物を動かしたり浮かしたりするといった程度の内容で、それをしているのが小さな女の子という点を除けば画的なおもしろさにも新鮮味にも欠ける。世間が彼女たちに飽きるのにそう長い時間は必要なかったのだ。
「ルナちゃんたち、今回はどんなものを浮かせてみせてくれるの?」
「野球のボールとか、お花とか」
「はっはっ、それは楽しみだ」
そうなのだ。双子のショーで見られるものといえばその程度。誰がわざわざ金を払って、野球のボールや花瓶に入った花が浮くのを見たいと思うだろう。
しかし広い世の中、そうしたいと思う人間も中にはいるらしく、ブームが完全に去ったいまでも二人への依頼を続けてくれている固定客が少数ながら存在する。その一人がこの森田老人、というわけだ。
「会長」
と、そこへ一人、社員風の人間が現れ、老人に声をかける。上背があり肩幅も広い。着ているスーツが窮屈そうだ。
「会場の座席について、何点か確認がしたいのですが」
「ああ、わかった」と老人は頷き、「じゃあね、ルナちゃん。明日のリハーサル、私も見に来るから」と手を振り社員のほうに向かう。ルナも老人にひらひらと手を振り返した。
ルナとともに会場を後にする。エレベーターに乗り、行先階ボタンを押した。
「宝石、持ってなかった」
ルナがぽつりと口を開いた。
「持ち歩くようなものでもなかろう」
「どこに隠してるんだろう」
「おそらく、自分が泊まっている部屋だ」
「不用心」
「そうでもないさ。別の部屋で保管して、その部屋の前にSPを立たせておくほうがむしろ危ない。『例の宝石はここです』と言っているようなものだからな。本人としても、常に自分の近くにあるほうが却って安心できるんだろう。ああ見えて、昔は敏腕ワンマン社長として鳴らした人物だからな。基本的に他人をあまり信用していないはずだ」
「わたしたちには優しいけど」
「経営者として人と腹の探り合いばかりしてきたから、裏のないものに惹かれるんじゃないか」
「誰にだって裏はある」
「そうでない者もいると信じたいんだろうさ」
エレベーターが、私たちが泊まっている階に着く。ルナと二人、エレベーターを降りる。
今回、森田老人から依頼され、パーティーで双子によるマジックショーをするために我々はこのホテルにやってきた。
というのが、まあ、表向きの理由だ。




