B-2
会場の出入り口に向かって歩く。つい早足になってしまいそうになる自分に「落ち着け」と言い聞かせながら。
ブルーパピヨンの盗取にあたり、音尾が立てた計画に基づいて僕は以下のことを行なった。
まず僕は会場に入り席についてから、ポケットに入れ持参した偽物のブルーパピヨンをテーブルの下に転がした(もちろん、誰にも見られないよう慎重に、こっそりと)。同時に反対側のポケットから、……ああ、音尾はなんだって僕にこんなことばかりさせるのだ……数十匹の蟻を僕の黒いスラックスづたいに一匹ずつテーブルの下に潜り込ませた。
僕のポケットからテーブルの下へと移動した蟻は、先に転がしておいた偽物のブルーパピヨンに集らせておく。これでいったん準備完了。テーブルには裾のたっぷりと長いクロスがかけられており、その下で行なわれていることは他の客の目につきづらい。なにか落とし物でもしないかぎり、わざわざ下を覗いてみる人間はいないだろう。その幾許かの不安を残しつつも、あとは双子のショーが始まるのを待つばかりとなる。
双子のショーが始まり、ブルーパピヨンが僕の座る席のテーブルの下に潜り込む。チャンスはこの一瞬のみ。「いまだ、動け」と僕は蟻たちに命令を下す。音尾によれば、双子の超能力には「重さ」が重要な要素として関与しているそうだ。特に〝力〟を及ぼす対象が直接視認できない位置にあるとき、双子はその物体の重さを頼りにそれがどこにあるかを探り出す。つまり、その重さを一時的に変えてやってしまえば、双子は対象物を誤認するのではないか。それが音尾の考えだった。
「いまだ、動け」。僕にそう命じられた蟻たちは、それまで集っていた偽物の宝石から、新たにやってきた本物の宝石へと移動を開始する。蟻が集ることにより本物の宝石はその分重くなり、逆に蟻が離れた偽物の宝石はその分軽くなる。僕たちは本物のブルーパピヨンの重さを知らない。重くなった本物と軽くなった偽物。双子がどちらを「本物」と認識するか、あとは賭けだった。
テーブルの下の一部始終を僕は直接目にしていない。けれど再び宙に舞った青い石に蟻は一匹もついていなかった。あとはみんながそちらに目を奪われている隙に、蟻たちに僕の椅子の下まで宝石を運ばせるだけ。それをそっとスラックスのポケットに入れる。犯行はおそらく、成功した。
パーティー会場を出る。現在、音尾は駐車場に停めてある自分の車の中で僕を待っている。それにしても彼が車を持っているなんて意外だ。それもこのホテルの宿泊券同様、「エコ活動」により手に入れたものなのだろうか。
本物のブルーパピヨンを手にできたとして、そのあと怖いのは、それに気づいた双子一行による追跡だ。彼らもまた今回のショーを利用して宝石を盗むつもりだったと聞く。宝石の真偽を見抜く目があるらしい「プロの泥棒」である彼らが僕の犯行に気づき、すぐに後を追ってこないともかぎらない。だから彼らに捕まる前にさっさと遠くへ逃げてしまおうという寸法だ。ああ、なんだかすごく泥棒っぽい。
音尾はすでにチェックアウトを済ませ、駐車場で僕を待っている。あとは僕がそこに行くだけ。はやる気持ちを抑えつつ歩を進める。受付を過ぎた辺りで、ふいに後ろから肩を叩かれた。心臓が飛び出そうになりながら恐るおそる振り返る。
「お客様、どちらへ行かれるのですか?」
パーティーの主催者側の社員のようだ。背が高く、がっちりした体格をしている。ひとまず双子一行ではなかったことに内心安堵の息をつく。
「え、えっと……ちょっと、トイレに」
「でしたら、そちらではございません。ご案内いたします」
社員はそう言って、僕が行きたいほうとは逆の方向に歩き出してしまう。ああ、なんてことだ。仕方なく後を追う。
社員は丁寧にもトイレの目の前まで僕を案内してくれた。ありがとうと礼を言い、そうしないのも不自然なので一度トイレの中に入った。出入口から顔を出し、社員が遠ざかっていく後ろ姿を見送る。
それにしても、あの社員。マスクをしていたけど、なんだかどこかで見た顔のような……。まあ、いまはそんなことを気にしている場合じゃない。社員の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、僕はトイレから出た。
大丈夫、大したタイムロスじゃない。自分に言い聞かせる。仮にこの時間で双子一行が宝石のすり替えに気づいて僕を追ってきたとして、それでも有利なのはまだ僕たちのはずだ。まず、彼らはこのホテルまでバスで来ている。つまり車は持っていない。僕が音尾の車に乗ってしまいさえすれば、彼らは同じく車で僕たちを追跡することができない。
さらに、と腕時計を見る。午後六時五分。そう、双子のショーは午後六時直前までのタイムスケジュールで行なわれた。主催者側の都合もある中、午後六時までに終わるようにと例のマネージャーがその時間に設定したのだろう。午後六時。その時間を過ぎれば、双子の片方は寝てしまう。つまり双子の〝力〟は使えなくなる。仮に彼らに追いかけられたとしても、超能力で足止めをくらう心配はなくなるのだ。
受付の前を過ぎる。先ほどの社員の姿はない。会場から離れるにつれ、思わず早足になる。やがて駆け足になった。
駐車場にたどり着く。音尾の車は事前に確認済みだ。走るのは久しぶりで息が切れた。ここまで来ればと、ほっとしたところでふと異変に気づいた。
ポケットが、軽い。
まさか、と中に手を突っ込むが、目当てのものは見つからない。右手はただ空虚をまさぐる。
落とした? 走っていたから……いやでも、落とせば音がするはずで、焦っていたとはいえ、さすがにそれに気づかなかったとは……
と、そのときだった。
体に妙な感覚を覚えた。びりびりと、全身に弱い電流が走るような……。
俄かに着ていたジャケットの裾がはためいた。ここは地下駐車場、風は吹いていないはず。おかしいなと首を捻った次の瞬間、
「え? え? えええ?」
ふわりと、僕の体が宙に浮いた。そのままどんどん地面から離れていく。まるで磁石かなにかで天井に引っ張られていくようだ。そして天井すれすれまで上昇したところで僕の体はぴたりと止まった。
「おにいさん、軽いねえ。もっとごはんたくさん食べて、もう少し太ったほうがいいよー」
「み、みず……」
「あんたは普段からもっと外に出て、もう少し体力つけろ」
声のしたほうを見ると、金髪の少女がこちらに両手を向けて立っていた。後ろからふらふらとした足取りで銀髪の少女もやってくる。ついさっきまでパーティー会場で見聞きしていた姿と声。例の双子だ。
「そんな……どうして……」
「まあ、色々と訊きたいこともあるだろう」
また別のほうから声がした。見ると音尾の車から一人の男が出てくる。双子の父親、もとい彼女たちのマネージャーだ。どういうこと? と脳内はいっそう混迷を極める。
「ゆっくり説明してやりたいところなのだが、我々はいま急いでいてな。道中で話すから、よかったらきみも車に乗ってくれないか?」
「車に……?」
「ああ。きみも、いつまでもその状態ではいたくないだろう?」
それはそうだ。できれば下に下ろしてもらった後、そのまま逃がしてほしいところなのだけど……。当然、そんなことを言える立場じゃない。
「……わかりました」
頷くと、マネージャーは双子のほうを見た。ゆっくりと体が降下を始める。
「いたっ」
「もっと優しく下ろしてやれ」
マネージャーの男が双子に向かって言い、僕に向き直る。
「あ、あの……」
「話はあとだ。まずは乗ってくれ」
助手席側のドアが開けられる。僕が乗り込むのを確認すると、男は運転席に座った。
「お、音尾さん!」
後部座席に、音尾が横たわっているのが見えた。
「安心しろ。寝ているだけだ」
「……まさか、あなたが?」
「車を借りるにあたって、その必要があればそうするつもりだったが、私が来たときに彼はすでに運転席で眠っていたよ。だから後部座席へ移動させただけだ。彼、昨晩あまり寝ていなかったようだからな。きみを待っているうちに寝てしまったんだろう」
昨日寝ずに考えたから、目に隈ができちまったぜ。音尾の言葉が脳裏に甦った。
「はいはーい、どいてどいてー」
「狭い」
双子が寝ている音尾を邪魔そうに押しのけながら後部座席に乗り込んでくる。それでも起きない音尾はいったいどれだけ眠かったのだろう。……ていうか、音がどうとか言ってたけど、べつに熟睡できてるじゃないか。
「よし、全員乗ったな。それでは行くぞ」
男が言い、ハンドルを握る。
「ていうかおじさん、運転できんの?」
「見たことない」
「高校を卒業後すぐに免許を取得して、以来無事故無違反だ、安心しろ。まあ、実際に運転するのは教習のとき以来だけどな」
それはつまり、生粋のペーパードライバーということでは……。
エンジンがあまり聞いたことのない音を立て、奇妙な揺れ方をしながら車は発進した。
僕は、どうなってしまうのだろう……。




