突然の告白
圧倒的な熱量と冷たさが混在した時雨のパフォーマンスが終わると、審査員席からは重い沈黙の後、いくつかの短い質問が飛んだ。
「そのリリックは、誰かの受け売りか?」
「いえ。僕自身の、生活の底にこびりついているものです」
「……フェスに出るとしたら、この路線で30分もたせられるか?」
「……僕の中にはまだ吐き出していない言葉が腐るほどありますから、30分なら」
質疑応答を終え、時雨が会場の外に出ると、すっかり夜の帳が下りていた。
冷たい夜風が火照った体を冷やしていく。ふと視線を上げると、街灯の下でスマホをいじりながら待っている未蘭の姿があった。
「あ、シグれん! お疲れ!」
時雨の姿を認めるなり、未蘭は小走りで駆け寄ってきた。
「どうだった? カマしてきた? 審査員ビビってたっしょ!」
「……まあ、やるだけはやったよ」
時雨の返事は上の空だった。彼の頭の中はすでに、「もしフェスに出場することになったら」という次のステップへと向かっていた。フェスとなれば、オーディションのように一曲だけでは済まない。今の自分の『闇』をさらに深く掘り下げた、新しい曲を何曲も書かなければならない。どんなビートで、どんなテーマで言葉を紡ぐべきか。思考の海に深く潜り込んでいた。
「なにそれ、つれなっ! あたし、ずっと外でドキドキしながら待ってたのに!」
未蘭は不貞腐れて頬を膨らませたが、時雨は「ごめん、考えてることがあって」と軽く流した。合否の発表は明日だ。今ここで騒いでも結果は変わらない。
二人は駅へ向かう夜道を並んで歩き始めた。
しばらく無言が続いた後、ふいに未蘭が立ち止まった。
「……ねえ、シグれん」
「ん?」
振り返ると、街灯の光に照らされた未蘭が、いつものおちゃらけた態度はどこへやら、ひどく真剣な目で時雨を見つめていた。
「あたし達、付き合わない?」
「…………はい?」
予想外すぎる言葉に、時雨の思考回路がショートした。
「付き合う……って、誰と誰が?」
「あたしとシグれんに決まってんじゃん。バカなの?」
未蘭は一歩、時雨との距離を詰めた。漂ってくる甘ったるい香水の匂いが、時雨の動悸を早める。
「あのね、シグれんは自分で分かってないかもだけど、今のあんた、マジでヤバいんだからね。体も鍛えてシュッとしたし、ステージ上がった時のあのオーラとか……正直、今のあんたを狙ってる女、界隈に山ほどいるから」
「……そんなわけ」
「あるの! だから、誰かに取られる前に、あたしを選んでほしいって言ってんの」
真っ直ぐな未蘭の目。夜の静寂。ふいに訪れた、甘く息苦しいような良い雰囲気。
普通の男子高校生なら、ここで舞い上がって頷くのだろう。しかし、時雨の心の中に真っ先に浮かび上がったのは、ドロドロとした『疑念』だった。
時雨はゆっくりと息を吐き、未蘭の目を見返した。
「……星野さん。ありがとう。でも、僕は……君とどう向き合っていいのか、わからない」
「なんで? あたしのこと、嫌い?」
「嫌いじゃない。ただ……信じられないんだ」
時雨の言葉は、冷たく、そして残酷なほど正直だった。
「僕が教室の隅で本ばかり読んでいた、ただのひ弱なオタクだった時……君は絶対に僕に告白なんてしなかったはずだ。違うかい?」
未蘭は言葉に詰まり、目を逸らした。
「僕は、親に捨てられた人間だ。金目当てで男を作った母親と、僕をゴミのように捨てた父親を見て育った。だから、他人が突然向けてくる『好意』というものが、どうしても信じきれないんだ。君は、今の『ラッパーとして少し見栄えが良くなった僕』が好きなだけだ。もし僕がまた声を失って、腕力もない元のオタクに戻ったら……君も、僕の前から消えるんじゃないか?」
傷つけると分かっていながら、時雨は言葉のナイフを突き立てた。絶対の信頼など、この世界のどこにもない。裏切られるくらいなら、最初から孤独でいた方がマシだ。
しかし、未蘭は逃げなかった。
彼女は俯いたまま、フッと自嘲気味に笑った。
「……そっか。やっぱシグれんは、よく見てるね」
未蘭は顔を上げた。その瞳には、いつものギャルとしての軽薄な仮面は一切なく、時雨と同じような『深い闇』が宿っていた。
「それでも良いよ。あたしも……そんな育ちだし」
「え……?」
「あたしの家、見た目は普通の家だけどさ。親父はギャンブル狂いで借金まみれ、お母さんは新興宗教にハマってて、家の中はいつもメチャクチャだった。あたしが派手な格好してギャルやってんのも……そうやって『武装』してないと、自分が壊れちゃいそうだったから」
未蘭の声が震えていた。
「シグれんがラップで牙王をボコボコにした時……あたし、救われた気がしたんだ。シグれんが、あたしの言えなかった痛みとか、世の中の理不尽とか、全部言葉にしてぶっ壊してくれたみたいで。だから……あんたがオタクでも、ラッパーでも、どっちでもいい。あたしは、あんたのその『言葉』の隣にいたいだけ」
夜風が、未蘭の金髪を揺らす。
彼女の頬を伝う一筋の涙を見た瞬間、時雨の中で、凝り固まっていた疑念の氷がひび割れ、砕け散った。
(なんだ……君も、僕と同じだったのか)
華やかな世界で生きていると思っていた彼女もまた、地獄の底で震えながら、必死に仮面を被って生きてきたのだ。
その事実を知った時雨の胸の奥から、得体の知れない感情がマグマのように込み上げてきた。
それは、理不尽な世界に対する強烈な『怒り』であり、自分と同じように傷ついてきた目の前の少女に対する『共鳴』だった。
脳内に、重く、攻撃的なビートが鳴り響き始める。
辞書の海から、今まで使ったことのない新しい言葉のピースが次々と浮かび上がり、怒涛の勢いでリリックが組み上がっていく。
「星野さん」
時雨は、彼女の震える肩を両手で強く掴んだ。
「……帰って、曲を作る。君の分まで、僕が世界を呪ってやる」
その目には、フェスのステージを焼き尽くすほどの、狂気的な熱が宿っていた。




