Cutthroat
SARAの要求する「マテリアル(課題)」は、アイドルのオーディションという枠を遥かに超える高水準だった。
指定された難解なビートへのアプローチ、複雑なコレオグラフ(振り付け)の習得。少しでもグルーヴがズレれば、容赦なく「失格」の烙印が押される。カメラの前で泣き崩れる少女たちが、次々とスタジオから去っていく。
審査員席に座る時雨は、眉間に皺を寄せ、手元のノートを真剣な眼差しで見つめていた。
周囲のスタッフからは「真摯に候補者を審査している」ように見えていたかもしれない。しかし実際のところ、時雨の意識は目の前のオーディションには全く向いていなかった。
(……ダンスのキレとか、流行りの顔とか、マジでわかんねえな)
時雨は、ラップのフロウや身振り手振り、ビートへの乗せ方には人一倍のこだわりと一家言を持っている。しかし、いわゆる「ヒップホップダンス」そのものや、大衆受けするビジュアルについては完全に門外漢だった。
オーディションについて深く考えているふりをしながら、彼は手元のノートに、先ほど頭に浮かんだばかりの自分の新しいリリックを書き連ねていたのだ。
まっすぐな瞳と、未完成の原石
「そこまで。……ごめんなさい、あなたのリズム感じゃ使い物にならないわ」
SARAの冷酷な声が響き、また一人、少女が不合格となった。
時雨がふと顔を上げた時、その失格を告げられたばかりの少女が、静かに踵を返して部屋を出ていくところだった。
これまでの参加者たちは皆、泣き叫んだり、SARAに泣きついたりして無様な姿を晒していた。しかし、その小柄な少女だけは違った。涙一つこぼさず、ただ真っ直ぐに前を見据え、堂々とした足取りで出口へと向かっていた。
その瞳の奥に宿る、決して折れない芯のようなもの。
(……なんだ?)
何故か、時雨の心に強く引っかかるものがあった。路地裏で生き抜いてきた野良犬が、同じ匂いを感じ取ったような感覚。
時雨は反射的にマイクを握っていた。
「おい、ちょっと待て」
スタジオが静まり返る。ドアノブに手をかけていた少女が、ゆっくりと振り返った。
時雨は審査員席を立ち上がり、書きかけのリリックが記されたノートをビリッと破り取ると、彼女の元へ歩み寄った。
「これ、今俺が書いたリリックだ。ビートは無し。今ここで、アカペラでラップしてみろ」
突拍子もない要求に、ディレクターが嬉しそうに笑う。こういう波乱は視聴者を引きつけるからだ。
SARAも頷く。
少女は時雨から紙片を受け取ると、数秒間文字の羅列を見つめ、そして大きく息を吸い込んだ。
『——コンクリートの隙間から、見上げる空は狭すぎて』
アカペラで放たれたその声は、控えめに言っても「下手」だった。
滑舌は甘く、フロウの基礎もできていない。テクニックだけで言えば、先ほどまで審査していた他の候補者たちの方が何倍も上だ。
だが。
彼女の少しハスキーで、どこかひび割れたような声質には、聴く者の耳を強制的に惹きつける奇妙な引力があった。不器用な調子が、逆に言葉の生々しさを際立たせ、不格好でありながらも強烈なエモーションを放っている。テクニックの欠如を補って余りある、声の「説得力」。
少女が最後までラップを終えると、スタジオには言葉にできない異様な余韻が漂っていた。
「……なるほどな」
時雨は小さく呟くと、審査員席に戻り、腕を組んでSARAを見た。
「SARA。こいつ、ラップ担当のメンバーとしてどうだ? ダンスは知らねえが、声に『華』がある。磨けば絶対に化けるぞ」
突然の提案に、周囲のスタッフがざわめく。すでに失格を言い渡された人間を、別の担当として引き上げるなど前代未聞だ。だが、ある意味こう言った波乱は『おいしい』
SARAは手元のペンを弄りながら、少女と時雨を交互に見た。その表情からは感情が読み取れない。数秒の沈黙の後、SARAはフッと口角を上げた。
「……考えとくわ。とりあえず、彼女の失格は一旦『保留』」
少女は深く一礼し、今度こそ静かにスタジオを後にした。
一つの波乱を飲み込みながら、カメラの赤いランプは回り続ける。デビューの座を懸けた過酷なオーディションは、さらに熱を帯びて続いていくのだった。




