第15話 Living Indie with the Best Partner
時雨は期せずして「インディーズ」としてシーンに立った。
巨大なプロモーションなどなくても、時雨の持つ圧倒的な言葉の力は、SNSと口コミという現代のストリートを駆け抜け、瞬く間に全国へと広がっていった。
Apple MusicやSpotifyの再生回数はインディーズの枠を軽々と超え、それに比例するように、全国のラッパーやトラックメイカーから「フィーチャリング(客演)してほしい」という依頼がDMで殺到するようになった。
その膨大なオファーの波を完璧に捌き切ったのは、他でもない未蘭だった。
「はい、お世話になってますー! シグレのマネジメント担当してます、星野です。あ、今回は奥さんじゃなくてマネージャーとしてなんで、ビジネストークでいきましょ!」
派手なネイルにギャル特有の明るいトーン。しかし、電話の向こうの相手と交渉する彼女の目は冷静で鋭かった。
未蘭は元々、複雑な家庭環境とギャル社会を生き抜くために「空気を読み、相手の懐に入る」という高度な社交術を身につけていた。そのコミュニケーション能力が、音楽業界の荒波の中で完全に開花したのだ。
さらに彼女は、持ち前の真面目さと根性で、音楽配信サービス(TuneCoreなど)の手続き、SNSのアルゴリズム分析、著作権や印税の仕組みに至るまでを独学で猛勉強した。ギャラ交渉や面倒な契約周りは未蘭が完璧にこなし、ストリート特有の厄介なトラブルや「ヤバい筋」からのアプローチは、裏でマスターが睨みを効かせてシャットアウトする。
鉄壁の布陣だった。
この二人のおかげで、時雨は煩わしい大人の事情に一切邪魔されることなく、ただひたすらに自らの内面と向き合い、ノートに言葉を刻む「音楽制作」のみに没頭することができていた。
そんなある日、時雨のスマホに直接一件のメッセージが入った。
送り主は、かつての敵であり、今や最大の盟友となった『Z-DOG』だった。
『Yo、シグレ。今度俺のEP作るんだけど、一曲客演で入ってよ。ギャラと印税、50/50(フィフティ・フィフティ)でどう?』破格の条件だ。
時雨に迷いはなかった。
「もちろんやります。ビート、送ってください」と二つ返事で快諾し、数日後、時雨は都内にあるハイエンドなレコーディングスタジオへと足を運んだ。
「おー! シグレ、よく来てくれたな!」
スタジオの重い防音扉を開けると、Z-DOGが満面の笑みでハグを迎えてくれた。
しかし、時雨はすぐに気づいた。コントロールルームの奥、高級な革張りのソファに、見慣れない——いや、日本の音楽シーンを知る者なら「絶対に見間違えるはずのない」一人の女性が座っていたのだ。
圧倒的な歌唱力と妖艶なルックスで、現在のJ-POPおよびR&Bシーンの頂点に君臨する国民的歌姫、SARAだった。
「あ、紹介するわ。なんか隣のスタジオでSARAちゃんがボーカル録りしててさ。俺たちのレコーディング見学したいって言うから入れたんだ」
「初めまして、シグレくん。動画、いつも見てるよ。すっごい尖ってて最高だね」
SARAは足を組み替えながら、サングラスの奥で面白そうな視線を時雨に向けた。
並のアーティストなら、トップスターを前にして緊張で声が上ずるところだろう。しかし、時雨の反応は驚くほど薄かった。
「……初めまして。言波です。Z-DOGさん、さっそくブース入っていいですか? リリックはもう頭に入ってます」
「相変わらず愛想ねえな! 最高だぜ、いっちょカマそうか!」
時雨にとって、相手が国民的歌姫だろうが関係なかった。彼が興味があるのは、これからZ-DOGとビートの上で交わす「言葉の殴り合い」だけだった。
レコーディングは、凄まじい熱量で進んだ。
Z-DOGがストリートの王としての重厚なバースを蹴り上げれば、時雨はそれに呼応するように、鼓膜を切り裂くような鋭利で文学的なフロウを叩き込む。
テイクを重ねるごとに互いのグルーヴが高まり、ブースのガラス越しにアイコンタクトを交わしながら、純粋にヒップホップを楽しむ二人の姿があった。
「OK! 今のテイク、マジで神懸かってたわ!!」
エンジニアのオッケーサインが出た瞬間、ブースから出てきたZ-DOGと時雨は、汗だくになりながらお互いを讃え合い、固く熱いハグを交わした。
一切の妥協がない、最高の楽曲が完成した瞬間だった。
「いやー、やっぱりお前ヤバいわ。俺のアルバムで一番食われちゃったかもな」
Z-DOGが笑いながらタオルを投げ渡してきた、その時だった。
「ねえ」
ずっとソファで黙って作業を見ていたSARAが、ゆっくりと立ち上がり、時雨の目の前まで歩み寄ってきた。
甘い高級な香水の匂いが、スタジオの空気を染め上げる。
彼女の瞳にはこの世界で「獲物を見つけた捕食者」のような、危険で艶やかな光が宿っていた。
SARAは時雨の胸元にスッと細い指を這わせると、彼の耳元に顔を近づけ、吐息混じりに囁いた。
「……あたしとも、ヤろうよ」
音楽のフィーチャリング(客演)の誘いか、それとも別の意味も含んだ危険な誘惑か。
アンダーグラウンドの泥水から這い上がってきた時雨の前に、今度はメインストリーム(表舞台)の頂点からの、強烈なスポットライトと甘い罠が差し向けられたのだった。
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