I gave it my all on the stage, but there's one thing I kept just for you.
数千人の怒号のような歓声が、まるで遠い波の音のように遠ざかっていく。
最後の曲を終え、ステージの袖に足を踏み入れた瞬間、時雨の体からプツリと糸が切れた。
「おい、シグレ!」
スタッフの焦った声が聞こえたのを最後に、視界が真っ暗に反転し、冷たい床に倒れ込む。限界を超えた筋肉は痙攣し、指先ひとつ動かすこともできなかった。
魂の底の底まで、溜め込んでいた怒りも、悲しみも、孤独も、全てを言葉に変えて吐き出した。
空っぽだ。今の自分は、中身を全て絞り出した抜け殻のようだった。
——気がつくと、時雨はパイプベッドの上に横たわっていた。
微かに湿布の匂いがする、静かな医務室だった。遠くの方で、まだフェスの重低音が響いている。
「シグれん……!」
バンッ!と乱暴に扉が開き、未蘭が飛び込んできた。
彼女の顔を見て、時雨は思わず微かに吹き出してしまった。いつも完璧だった派手なメイクは涙と汗でドロドロに崩れ、マスカラが黒い跡を作っている。ぐちゃぐちゃな顔で、それでも彼女は、世界で一番綺麗な笑顔を浮かべていた。
「……バカ。無理しすぎだっての」
未蘭はベッドの脇に座り込み、包帯の取れた時雨の右手を両手でぎゅっと握りしめた。
彼女の震える手から、確かな熱が伝わってくる。
「……サイッコーだったよ。シグれん、世界一かっこよかった」
ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、未蘭は優しく微笑んだ。
「ありがとう……私を、救ってくれて」
その言葉と涙を見た瞬間、時雨の胸の奥で、静かな波が広がっていくのを感じた。
何千人を熱狂させた歓声よりも、大舞台で勝利したという事実よりも。このたった一人の少女の心を救えたことの方が、何千倍も価値がある。
もしこれで自分が空っぽになって、二度と言葉が紡げなくなったとしても、ちっとも惜しくはない。本気でそう思えた。
「未蘭」
時雨は掠れた声で彼女の名前を呼び、繋がれた手に少しだけ力を込めた。
「お前だけに聞いて欲しいんだ。このラップ」
「え……?」
未蘭が涙を拭いながら瞬きをする。
BGMも、重低音のビートもない。
ただ、静かな医務室に時雨の優しい吐息だけがリズムを刻む。時雨は目を合わせたまんま、ポエトリーリーディングのように、柔らかく言葉を乗せていった。
「空っぽになった心、後悔はないぜ お前がくれた光、それが生きるための道標、言葉は全部、あのステージに置いてきた でも俺の隣で、お前が笑って泣いてくれた
何千人の歓声より、お前のその『ありがとう』
それだけで俺は、何度でも明日へ歩ける 暗い部屋で一人、本に栞を挟むのはもうやめた
ここからが俺とお前の、新しいチャプター」
誰かを呪うための鋭いナイフのような言葉ではない。
それは、一人の大切な人間を守り、肯定するためだけに紡がれた、不器用で真っ直ぐな愛の言葉だった。
歌い終えると、未蘭は「……ずるいよ、それ」と声を上げて泣きじゃくり、時雨の胸に顔を埋めた。
「……重いよ」
口ではそう言いながらも、時雨は彼女の震える背中にそっと腕を回し、優しく抱きしめた。
そして、静かに目を閉じる。
空っぽになったはずの体の一番奥底から、じんわりと温かいものが湧き上がってくる。
それは終わりではなく、これから全く新しい世界が幕を開けるという、確かな『始まりの予感』だった。
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