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 天地がひっくり返ったような猛烈な揺れのあと、地面に叩きつけられるような激しい衝撃があり、


「──かっ、は……っ」


 シーラは大きく息を吐き出した。


 とたんに左脇腹に激痛が走り、顔をゆがめる。


 と同時に、周囲の慌ただしい切迫した声が耳に響いた。


「……ラさま! ──シーラさま!」

「青い瞳! 第四王女だ!」

「毛先が赤色だ、間違いない!」

「金色の髪だけで判断するなと言っただろう! あろうことかケガを負わせるなど──っ!」

「まだ息がある! 必ずやお助けするんだ!」

「急げ──っ!」




 そこからのことはあまり覚えていない。


 誰かに抱きかかえられ、どこかに運ばれた気がする。


 何度も激痛で意識が戻り、しかしそれも長くはつなぎ止めておけず、波が引くようにまた意識を手放す。


 その繰り返しだった。


 ようやく目が覚めたとき、シーラはベッドの上に横たわっていた。


 見慣れない天井。紗のかかった豪華な天蓋付きベッド。洗い立てのにおいがする清潔なシーツに、身体を包み込むふわふわとした感触。


 起きあがろうとしたが、脇腹が痛んで力が入らず、どさりっと後ろに倒れ込む。


 そばに誰かいたのだろうか、その音を聞きつけたように慌てた様子の足音がしてから、ベッドの紗がまくられる。


 逆光で姿がよく見えない。


 だが、大きくとられたガラス窓の向こう側に見える景色から、ここはどうやら王宮の中にある一室だと気づく。


 ようやく目が慣れたころ、見慣れた姿がそこにあった。


「──ケティ……?」


 あの日反乱があった夜、身の安全のために王城から逃げ出してもらったはずの彼女が立っていた。


「シーラさま──っ!」


 ケティは涙ぐみ、そっとシーラを抱き起こし、抱きつく。


「お目覚めになられて……、本当によかったです……っ。一か月もずっと眠ったままでっ、このままだったら本当にどうしようかと……。あのときおそばを離れるべきではありませんでした! 教会に着いて司祭さまにお手紙をお渡したものの、書かれていた内容を知って、どれだけ後悔したことか……! そのうえ、傷まで負われて……」


 シーラはかろうじて動く右手を伸ばし、彼女の背中に手を乗せる。


「ごめんなさい、でも、あなたまで巻き込むわけにはいかなかったの……」

「ええ、わかってます。それでもわたしは、最後までおそばにいるべきだったんです」


 なだめるようにシーラはケティの背を撫でる。姉のような存在のケティが、いつもシーラにしてくれていたように。


 そのとき、数度うかがうようなノック音のあとでドアが開いた。


 車椅子に乗る体格のよい白髪の老人が入ってくる。


「……ルオリ閣下」


 シーラが声を出したと同時に、ケティがさっとシーラから離れ、窓際に下がる。


 とっさに腰を上げようとしたシーラを、ルオリは軽く手を上げて制する。


「お目覚めになられたようで、安心いたしました」


 彼はベッドのそばまでくると、あたたかい眼差しをシーラに向ける。


 ふと視線を上げると、ルオリの後ろにはいかにも身分の高そうな、メガネをかけたひとりの壮年の男性が立っていた。


 それに気づいたルオリが、

「彼はレセン侯爵家の当主です」

 と紹介する。


 壮年の男性、レセンは胸に手を当て、少し屈んでシーラと目線を合わせると言った。


「殿下にお会いするのは初めてかと存じます」


 レセン侯爵と言えば、先王の七代目国王が玉座を退く前の数年間、宰相を務めた人物だ。当時、最年少で宰相に抜擢されたことでも有名で、その記録はいまだ破られていない。


 その後、シーラの実父である八代目国王が即位してからは、正妃の実家である公爵家当主が宰相となり、レセン侯爵は内務大臣の職についたと聞く。しかし、公金横領や協力関係にない他国との密通の容疑で逮捕され、その取り調べのさなか、姿を消したと言われている。噂では取り調べとは名ばかりの拷問を行ったうえ、粛清されたのではという声も水面下で聞かれた。


 国王に進言した者ほど王宮の中枢から姿が消えているという噂は、間違いではなかったのだろう。


 シーラは唇を噛みしめる。


「やはり、罪は捏造(ねつぞう)だったのですね……。大変申し訳ありませんでした」


 ふらつきながらも、なんとか頭を下げた。


 自分が頭を下げたところで、なんの解決にもならない。わかっていても、そうせずにはいられなかった。


 きっとレセン侯爵家以外にも、無実の罪を着せられた者は大勢いるだろう。


 それだけに、道を踏み外した国王、ひいてはそれを止められなかったばかりか増長させ、己の利益のために追従した王族の罪は重い。


 シーラの肩が小刻みに震える。


「──お顔をお上げください」


 レセンがそっと声をかける。


 声には怒りも憤りも感じられない。


 すると、彼はその場にひざまずいた。


 スッと視線を上げ、ベッドの上のシーラを見上げると、


「謝罪をするのは私のほうです。こたびの反乱を主導したのは私です。ルオリ閣下は私に手を貸しただけにすぎません。すべての責任は私にあります。そのうえ、殿下に傷を負わせるなどあってはならないこと、罰するなら私だけを。どうか寛大なお心でご判断いただけますようお願い申し上げます」


 そう言い終わると、(こうべ)を垂れた。


 すると、ルオリも続けて口を開く。


「手を貸したなど、私も同罪です。我々は罪だとわかっていながらも、謀反の道を選んだのです。国王が自らの行いに目を向け改め、道を正してくださる可能性は低くとも皆無ではなかったはず。しかし、その道を絶ったのは我々にほかならない」


 シーラはなんと答えればいいのかわからなかった。


 ルオリもレセンも、じっとシーラを見つめていた。


 反乱を主導した者がいるとは思っていたが、それがレセンやルオリだとは思いもしなかった。


 ややあってから、シーラは重い口を開く。


「……陛下はどうなりましたか?」


 答えは聞かなくても薄々わかっていた。


 しかし、確認しておかなければいけない。


 ルオリは”陛下”ではなく”国王”と呼んだが、シーラがそう呼ぶにはまだ心の整理がついていなかった。


 ルオリとレセンは、ゆっくりと首を横に振った。


 ふたりとも、国王の命はすでにない、と告げていた。


 シーラは重く受け止めるように、息を吐き出してから、

「……では、正妃さまやほかの王族の方たちは?」


「これからそれぞれの罪をあきらかにしたのち、処罰が決まるでしょう。殿下以外の王子と王女については、自身の母親と共謀、もしくは協力していたこともあり、罪は免れないかと。そのほか王宮の中枢で私欲を肥やしていた者たちも同様です」


「……そう、ですか」


 それなのに、こうして自分だけが整えられた王宮の一室にいるのは大きな違和感があった。


 そのうえ、北部領主で戦勝の将軍と名高いルオリやレセン侯爵家当主が、自分に対して敬意を払っているように感じるのもおかしなことだった。


「……あの」


 シーラはルオリとレセンに視線を向ける。


 改めて伝えておかなければいけない。ちらりとケティを見やったあとで、

「わたしはどんな処罰も受け入れる準備はできています。ですが、ケティだけは……。彼女は亡き母とわたしの世話をしてくれていたにすぎません」


「──シーラさま!」


 ケティが声を上げる。


「どうか……」


 シーラはベッドの上で深く頭を下げる。


 すると、肩にそっと触れるものがあった。


 驚いて顔を上げると、ルオリがシーラの肩に手を置いていた。


「お身体に触れるご無礼をお許しくだされ」


 戸惑うシーラを見て、ルオリはふっと口元をゆるめる。


 その穏やかな笑みに、シーラの緊張がわずかに解ける。


(……きっと大丈夫だわ)


 なんの根拠もないが、ケティのことだけでなく、すべてが大丈夫だとそう思った。


 罪を犯した者たちが正しく裁かれても、一度外れてしまったこの国の正常を取り戻すことは容易ではないだろう。


 多くの命が失われ、残っている民たちはかつてないほどに疲弊し、疫病もまだ終息していない。しかし、絶大な権力を握り諸悪の根源だった国王亡き今、これからはルオリやレセンのような有能な者がこの国を正しく導いていってくれるはず……。


 シーラはようやく心の底から息ができる気がした。


 生まれてからずっと、この嫌悪と憎悪が渦巻く王城で過ごしてきた。


 とくに母が亡くなってからは、民の苦しい現状を目にするたび、より一層何もできない自分の無力さを実感し、もどかしさと憤りで心が押しつぶされそうだった。


 彼がいたから。そう、彼がいなければ、きっと押しつぶされていた。


 おぼろげに、奇妙な暗闇の空間で出会った存在を思い浮かべる。


(──エイナル)


 たった一言、心の中で呼びかけるだけで、シーラの胸は熱くなる。


(あれは、あなただったの……?)


 罪を背負う自分の立場を思えば、これまでのように教会へ会いに行くことも叶わない。


 それでも、もしこの先彼が目覚めることがあれば、シーラはそれだけで救われる気がした。


 くっと顔を上げ、ルオリ、そしてレセンに視線を向ける。


「どうか、この国をお願いいたします。このベロニウス王国が安寧と豊かさで満たされますように……」


 国を傾けた王族のひとりであるにもかかわらず、こんな言葉は口にしてはいけない。それはわかっている。でも、どうしても言葉にするのを抑えられなかった。


 ややあってから、ルオリが静かに口を開く。


「いいえ、違いますぞ」


 シーラはルオリを見返す。


「シーラ殿下、あなたにはこの国を導いていただきたい」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 意味をのみ込めず呆然とするシーラに向かって、今度はレセンが言う。


「ええ、そうです。これはルオリ閣下だけでなく、我々の総意です。弾圧された家門も多くありますが、生き残った者たちはあなたに導いてもらいたいと考えています。この国の安寧と豊かさを真に願うなら、どうかその手で成し遂げていただきたいのです」


 シーラは言葉を失う。


 しかし、ハッとすると、


「ですが名ばかりの王女といえど、わたしも王族です。ほかの王族同様に処罰を受けるべきです……!」


 それをルオリが制するように、

「冷遇されている身にありながら、国王に目通りを何度も試みておられたこと、我々は知っております。教会に寄付し、薬を届けていたことも……」


 知っていたのか、とシーラは驚いたが、すぐに自分の力不足を恥じるように首を横に振る。


「いいえ、陛下にお話を聞いていただくどころか、お会いすることすら一度たりとも叶いませんでした。寄付にしろ、薬にしろ、わたしにできたことはあまりにも少ないのです」


 愚かな王が立てば国がいとも容易く荒れてしまうことは、身を持って経験した。


 それに、とシーラは言葉を続ける。


「そもそもわたしは王女としての教育を一切受けておりません」


 読み書きや礼儀作法、歴史、地理、領地にかかわることなどは、子爵令嬢だった母が教えてくれた。国王に切り捨てられる前までは母の実家の子爵家が、書物なども密かに送ってくれた。そのほか生活するうえで必要なことは、祖母のようなセルマと姉のようなケティから学んだ。


 しかし、これまで王女として扱われたことがなかったため、幼少期から受けていて当然である王族教育を一切受けていない。


 だから、シーラははっきりと言った。


「──愚かな王、そして無能な王は、国には必要ないでしょう」


 ルオリとレセンの顔が一瞬固まる。


 しかし、ややあってから、

「ガハハハハッ! これは、これは!」

「アハハッ! なるほど、そうおっしゃいますか」

 とそれぞれ口を開けて笑う。


 予想外の反応にシーラは呆気に取られるが、すぐに事の重大さを強調するように、

「聞いてください。玉座に座る者はその肩に乗るものの重みを知り、資質と知力でもって国を治めるべきです。わたしは国のなんたるかを知らず、背負うべきものの本当の重さなどわかっていません。資質もなければ、広大なこの国を治めるだけの知力もない。それはわたし自身が一番わかっています」


 国を背負う。それはどれほどの重みがあるのか、シーラには想像もつかない。


 国王の判断ひとつで、民の命、生活、国土、歴史、あらゆるものの行末が左右されるのだ。


 レセンは見定めるようにじっとシーラを見つめると、

「ご自身に足りないものをわかっておられる。これから学べばよろしいのです」

「そうですな。学ぶ機会がなかったのですから、これからはこのレセン侯爵のもとで学ばれるがよろしかろう。先王のもとでは宰相も務めておりましたから、学ぶことも多いでしょう」

「で、ですが──!」

 シーラは声を上げる。


「もちろん」とレセンが彼女の言葉を区切る。メガネをくいっと指先で持ち上げ、「我々とて、玉座に愚王や無能な王を据えるわけにはまいりません。ですから、殿下がさまざまなことを学んだ末に、王としてふさわしくないと民が判断すれば、いくら玉座を望もうと不可能だと心得ておいてください」


 ルオリが腕を組み、頷く。

「まあ、そのとおりですな。今すぐに、殿下に国のすべてを背負っていただこうなどとは思っておりません。これから学び、この国をどうするかを考えていただきたい。我が国は過去に遡っても女王が即位した例はございませんが、なに、前例などというものはこれから作るもの。歴史が動くかどうかは殿下次第でしょう」


 シーラは呆然とする。頭が追いつかない。


 そのとき、ドアをノックする音が部屋に響く。


 ルオリがドアに目をやり、思い出したように、

「ああ、そうそう。シーラ殿下、もしお許しいただけるなら、あなたに目通り願いたいという者を連れてきておるのですが、よろしいですかな? その者は恐れ多くも、すでに殿下とは面識があると申しておりまして」


 王城の奥で暮らしていたシーラにとって、面識がある者などほとんどいない。まったく心当たりがなかった。


 戸惑いを覚えるが、ルオリの瞳に強いものを感じ、ひとまず承諾する。


 ルオリはドアに向かって声をかける。


「──入ってこい、エイナル」


 その瞬間、シーラは耳を疑った。


 ドアがゆっくりと開かれ、ひとりの人物が部屋の中へと入ってくる。


 うまく歩けないのか、身体の片方を使用人に支えられている。


 シーラはその人物から目が離せなかった。 


 見慣れた顔立ちと藍色の髪、そしてしっかりと開いている瞳の色は、鮮やかな緑色──。


「今後、殿下には補佐役兼護衛騎士につけようと思っております。この者なら信頼できますし、お役に立てるだろうと思うのですが、いかんせんこのとおり、ずっと眠りこけておったので鍛え直しせねばならぬゆえ、おそばに置くのはまだ先になりそうですが」


 そう言ったルオリの言葉は、涙が頬を伝っているシーラの耳には届いていなかった──。

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