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3/10

 慣れた足取りで、シーラは薄暗い秘密の通路を通り抜け、城下にたどり着く。


 身にまとっているローブのフードを目深に被り、人目を避けるように街の通りを進む。路地では物盗りに遭わないよう注意しながら足早に通り過ぎ、中心区の外れまでやってくる。


 だいぶ息も上がってきたところで、ようやく見慣れた小さな教会へとたどり着いた。


 年季の入った外観の教会は古さを感じる一方で、民の心の拠りどころとしての役割を果たしてきた歴史を感じさせる。


 そっと扉を押し開き、シーラは教会の中へと入る。


 今日は定期的に行われる礼拝の日ではないが、幾人か熱心に祈りを捧げる人の姿が見えた。


 シーラは足音を立てないように礼拝堂の中へと進むと、入り口近くの木製の長椅子の一角に腰かける。


 正面に視線を向けると、天井まで届きそうな高さのある青みがかった色合いの美しいステンドグラスが見える。


 あとで知ったことだが、この深く澄んだ青みがかった独特の色合いは『キリルブルー』と言われ、この色のステンドグラスがある教会は王国内でも数えるほどしかなく、王都にある教会ではここだけらしい。


 その特別なステンドグラスの荘厳な光を受けているのは、ゆるやかなドレープが垂れる衣服を身にまとう美しい聖女、聖エテディウスの白い彫像だ。


 慈愛に満ちた微笑みを浮かべる聖エテディウスを見ていると、心が穏やかになる。


 シーラはそっと手を組み合わせ、頭を下げる。


 ゆっくりと瞳を閉じ、自分にできる精いっぱいの祈りを捧げた。



 しばらくしたあとでシーラは立ち上がると、用心深くあたりを見回してから、さっと教会の奥へと進み入る。


 細かな意匠が彫られた告解室(こっかいしつ)の前に立つと、様子をうかがう。


 左右で区切られた部屋、その片方が空いているのを確認したあとで中に入る。


 すると間もなく、部屋と部屋の間にある仕切りの小窓がカタリッと小さく音を立てて開いた。


「……神と聖エテディウスの名において、あなたの罪を告白してください」


 向かい側の部屋にいるであろう教会の司祭の声がする。


 シーラは告解手順に従って、決められた言葉を司祭と交互に述べたあと、いくつかの告解内容を語る。


 言い終わると司祭が、

「あなたに許しと平和を与えてくださいますように……」

 と締めくくりの言葉を静かに告げ、

「ありがとうございます」

 シーラは感謝を述べた。


 そのあとで、おもむろにローブの下に隠すように腰につけていた小さなカバンのふたを開け、中から布袋を取り出すと、小窓から司祭に渡す。


 中には寄付用の硬貨が入っている。


 数日前、シーラが渡したドレスをケティが売って工面したものだ。


 ドレスやアクセサリーはシーラの母が生前、国王から受け取ったものだった。


 それらは床板の下にある箱の中に隠していて、こうして必要なときに取り出し、細々と換金している。しかし、それももう数えるほどしか残ってはいないけれど。


 そのうえ、王国の状況がますます悪化していることを表すように、城下にあった宝飾店や高価なドレスを買い取れる古着屋は目に見えて少なくなっている。食べる物にも事欠く中ではアクセサリーや値段の張るドレスは二の次だ。買えるだけの余裕のある者自体が減り、店側にも十分な品を扱えるだけの金銭的余裕がなくなっている。それほどまでに厳しい状況だった。


「……いつも申し訳ありません。感謝いたします、とお伝えください」


 司祭が申し訳なさそうに言った。


 ここでのシーラは、あくまで寄付を行う『とある方』の代理人という偽りの役割を演じている。


「はい、たしかに。お伝えいたします」


 シーラは目深に被ったローブを引き、小さく頷く。


「……それで、今日も寄って行かれますか?」


 そう言って、司祭がおもむろに立ち上がる。


「ええ、ご迷惑でなければ」


 告解室を出て、司祭のあとに続きながら、教会の奥へと続く廊下を進む。


 いくつかのドアの前を通り過ぎ、廊下の突き当たりにある部屋まで来る。


 その部屋のドアを司祭はコンコンと数度ノックするが、中からの返事を待つことなく、すぐにドアを開けた。


「では、お帰りの際はお声がけください」


 そう言ってシーラを中へと促し、彼女をひとり残して部屋を出て行く。


 簡素な部屋の中には、小さな窓と木製の古いベッド、使い込まれたサイドテーブル、一脚の椅子があるのみだった。


 シーラは司祭の足音が遠のいたのを確認してから、ローブのフードをとった。


 毛先が赤い黄金色の長い髪がはらりと背中に落ちる。


「──こんにちは、具合はどう?」


 慣れた様子で声をかけながら、ベッドへと近づく。


 しかし、どんなに待っても相手からの返事はない。


 当然だった。


 ベッドに横たわっている青年は、ずっと眠っているのだから。


 まだ少し、少年らしさも残る顔立ちの青年。


 おそらく自分と同じ年頃ではないだろうか。シーラはそう思っているが、今のところ確認できるすべはない。


 窓から差し込む日差しが、彼の藍色の髪の毛を照らしている。


 まるで死んでいるかのよう──。


 それほどまでに、彼の呼吸は静かだった。


 シーラは気にせず、ベッドのそばの椅子に腰かける。


「だんだんと寒くなってきたと思わない? 今年の冬も寒いのかしらね」


 そう話しかけながら、シーラは深い眠りについたままの青年を見つめる。


 そっと手を伸ばし、掛け布の上に置かれた青年のひんやりする手に自分の手を乗せ、少しでも熱をわけてあげられるといいと思った。




 目の前の青年が昏睡状態に陥ったのは、一年ほど前のことだった。


 当時の彼は青年と呼ぶには少し早く、今よりもずっと少年のような見た目をしていた。


 その日のシーラも、今日みたいに教会へ寄付と祈りのために城下に来ていた。


 すると、近くの通りから何やら言い争う声が聞こえた。


 建物の陰から顔を出して声がするほうを覗き込めば、騎士の制服を着た四人組の背の高い男たちが、あきらかに自分たちよりも年下に見えるひとりの少年を取り囲んでいるのが見えた。


 騎士のうちのひとりが見せびらかすように、手に持った何かを頭上に掲げて弄ぶ。


 反対側にいる騎士は少年の背後から両手を回し、がっちりと押さえて身動きが取れないようにしていて、その左右を残りの騎士が取り囲んでいる。


「──返せ!」


 少年が騎士らをにらみつけ、怒りをあらわに叫ぶ。


「はっ! ぶつかってきたのはそっちだろ! これは慰謝料だぜ」

「そうそう、これくらいで勘弁してやるよ」

「お前みたいなやつがこんなものを持ってるはずがない。どうせ盗んだものなんだろ? 俺らがもらっておいてやるよ」


 騎士とは到底思えないほどの下卑た笑いを浮かべ、口々に言葉を吐く。


 少年はそれがよほど大事なものなのか、押さえつけられているにもかかわらず、取り返そうと必死に手を伸ばそうともがいている。


 しかし、彼が抵抗すればするほど、騎士たちは面白がっているようだった。


 そのとき一瞬の隙をついて、少年が拘束されていた腕を解き、一気に正面にいる相手の胸ぐらに掴みかかる。


 すると、騎士は驚いたものの、次の瞬間にはニヤリと笑い、手にしていたものを無造作に放り投げた。


 ──あっと思った瞬間、それはシーラのすぐそばの石畳の地面に当たり、一度カツンッと金属のような硬い音を立てて小さく跳ねたあとで、再び地面に落ちた。


 そこはちょうど馬車の車輪でできた轍の手前だった。あと少しずれていれば、轍にすっぽりと落ちていただろう。


 馬車が来ていないうちに急いで拾い上げればいい。シーラは持ち主だと思われる少年に視線を向けるが、彼は再び騎士たちに邪魔をされて身動きが取れなくなっているようだった。


 そのとき、運悪く通りの向こうから勢いよく馬車が近づいてくる音がした。


 同じく、そのことに気づいた少年の顔が青ざめる。


 やはりとても大事なものなのだ。


 その瞬間、シーラは考えるよりも先に身体が動いていた。


 素早く駆け寄ると、屈んで手を伸ばし、落ちていたそれを掴み取る。


 それは手におさまるほどの大きさの、硬くて平らで丸い形状をした何かだった。


 落とさないようにしっかりと握りしめる。


 ほっとしたのも束の間、顔を上げたときには馬車の車輪が目の前に迫っていた。


 ──ぶつかる。


 反射的にぎゅっと目を閉じる。


 と同時に、ぐいっと強く身体が後ろに引っ張られた。


 直後、馬の蹄と車輪のけたたましい音、御者の野太い罵声を浴びせていく声が聞こえ、馬車はそのまま通り過ぎて行く。


 心臓がバクバクとうるさかった。


 ゆるゆると意識が戻り、ハッと我に返ると、自分の身体を掴んでいた何かがだらりと離れる感触があった。


 振り返ると、さっきまで騎士らに言いがかりをつけられていた少年が倒れていた。


 シーラの身体を引っ張ってくれたのは、この少年だったのだ。


 シーラは慌てて彼の身体に手を伸ばす。


 頭からは血が流れていて、ぐったりと力なく横たわっている。


 馬車には当たらなかったものの、シーラとともに後ろに倒れた拍子に石畳に頭を打ったようだった。


「そんな──。ど、どうしたら──」


 言葉を失う。


 母が亡くなる間際の光景が重なる。


 シーラは混乱しながらも、あたりを見回した。


 助けを呼ばなければと思った。


 視界に入ったのは、あの騎士たちだった。だが、彼らは慌てるように、

「お、俺たちは知らないからな!」

「そいつが勝手に飛び出したんだ!」

「おい! 行くぞ──!」

 と声を上げ、背中を向けてバタバタと逃げていく。


 シーラは怒りが込み上げそうになったが、それどころではない、助けを呼ばなければと思った。


「だ、誰か──! 誰か助けてください‼︎」


 どうしたらいいのかわからず、少年の身体に手を当て、必死で叫ぶ。


 周りの人々の目にはシーラたちの様子が見えているはずなのに、彼らはどうしようもない様子で首を左右に振ったり、さっと目をそらしたりして、その場から立ち去ろうとする。


「誰か──!」


 シーラはなおも声を上げた。


(どうしたら、このままじゃ──)


 そのとき、シーラの肩を強く掴む手があった。


「──すぐに医者が来ます。それまでは動かさないで」


 眉間にしわを寄せ、焦りをにじませている若い男性だった。

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