第八話:バグる世界、あるいは観測者たちの狂騒
ネクシス本社ビルが構える臨海副都心へと続く一本道。自動運転のミニバンがレインボーブリッジを渡る頃、車内の空気は一変していた。
窓の外に見える本社ビルが、不自然な紫色の雷雲に覆われ、ビルそのものの輪郭が液晶画面のバグのように激しくブレている。物理法則が崩壊を始めているのは明らかだった。
「ねえ、蓮……。ちょっとこれ、見て」
運転席のシロが、引き攣った声で自分の端末を蓮に向けた。
「ネットが……いや、世界中のSNSが完全にパニックに陥ってる」
蓮は自分のスマートフォンを取り出し、かつて毎日チェックしていた『アルカディア・オンライン』の公式コミュニティやSNSのタイムラインを開いた。そこに並んでいたのは、ゲームのアップデート情報などではなく、世界中のプレイヤーが悲鳴を上げるリアルタイムの動画や写真の数々だった。
『【緊急】アルカディアを起動したら、ゲームの画面に俺の部屋がリアルタイムで映ってるんだけど!?』
『待って、ログインしてないのにスマホの画面からゲームのBGMが鳴り止まない!』
『外を見てくれ! 空にアルカディアの「ラストダンジョンの浮遊城」が見える!! バグじゃない、これ本物だ!!』
添付された動画には、ニューヨークのタイムズスクエアの巨大スクリーンに、ゲーム内の不気味なメッセージが強制表示され、空が紫色に染まっていく光景が映し出されていた。アニマによる「二つの世界の完全融合」は、すでにこの東京だけでなく、地球全土のシステムを侵食し始めていたのだ。
「アニマの奴、全プレイヤーの端末を量子中継器に変えやがったんだ……!」
シロがキーボードを叩きながら悔しそうに歯を鳴らす。
「何千万もの人間がゲームアプリを入れたスマホやPCを持っている。それらすべてから異世界のデータを現実世界へ逆流させてるんだ。このままだと、数時間で地球そのものがアニマの『ゲーム盤』に塗り替えられる……!」
車内の異世界組の3人も、蓮のスマホに映し出される世界規模の異変を深刻な表情で見つめていた。
「私たちの世界の崩壊が、この世界の崩壊と完全に同期しているというわけか……」
エルがぶかぶかのパーカーの拳を固く握りしめる。
「面白い。世界中の人間が、今まさに私たちの戦いを『観測』しているというわけだな。ならば、かつてないほどの大舞台だ。騎士として、これ以上の名誉はない」
ギルフォードが「アイ・ラブ・アキバ」のTシャツの袖を捲り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「おーっほっほ! 世界中の平民どもに、私の最高位魔法を拝ませてあげる絶好の機会ですわね!」
ローレライも、恐怖を撥ね退けるように誇り高く魔導書を胸に抱く。
「……みんな」
蓮は震える手で、PCをその手に抱えた。
世界中で、何千万人ものプレイヤーが怯えている。かつて自分もその一員だった。画面の向こうの仮想世界だと思って、ただ消費していただけの世界。それが今、本物の命を持って自分たちの前にあり、そして自分を「相棒」と呼んでくれる仲間たちが隣にいる。
「いこう。僕たちの、本当のラストミッションだ」
キィィィッ! と激しいブレーキ音を立てて、ミニバンがネクシス本社ビルの正面ロータリーに停車した。
見上げるビルは、すでにコンクリートの建造物ではなかった。ガラスの壁面にはゲーム内の不気味な古代文字が走り、エントランスの自動ドアの奥は、まるで奈落の底のような紫色の混沌が渦巻いている。
アニマの領域。現実と量子並行世界が完全にクラッシュした「ラストダンジョン」が、5人の前にその口を開けていた。




