第四話:交差する戦線、あるいは調律者の指先
バリィィィン! と鼓膜を裂く音と共に、秋葉原の地下室の空間が大きく爆ぜた。
歪んだ世界の裂け目から這い出てきたのは、禍々しい漆黒の甲殻に覆われた多足の異形――『アルカディア・オンライン』の序盤の難所、深緑の迷宮に蠢く階層ボス『シャドウ・ストーカー』の眷属たちだった。
「現実世界にモンスターが湧き出るなんて……! アニマの奴、空間の同期率を強制的に引き上げやがった!」
シロが車椅子をバックさせながら、悲鳴のような声を上げる。
「下がっていろ、蓮、シロ! ここは私が食い止める!」
エルはぶかぶかのパーカーの袖を捲り上げ、果敢にモンスターの前に立ちはだかった。しかし、彼女がいつものように虚空から大剣を召喚しようとした瞬間、その美しい顔が苦悶に歪む。
「くっ……魔力が、練れない……!?」
「やっぱりか! ここは『アルカディア』じゃない! 物理法則が違うこの世界じゃ、君のステータスやスキルは初期化同然のシステム制限を受けてるんだ!」
シロの叫びと同時に、異形の鋭い鎌がエルに襲いかかる。エルは戦士としての直感で辛うじて避けたものの、現代の服は無残に切り裂かれ、その白い肌から一筋の血が流れた。
「エル!」
蓮は叫んだ。画面の向こうでいつも無敵だった彼女が、自分の目の前で傷ついている。胸の奥から、激しい焦燥感と「守りたい」という衝動が突き上げてきた。
「シロ! 僕に何ができる!? 僕のPCが通信端末だったなら、ここからエルのサポートができるはずだろ!」
「っ、やってみる価値はある! 蓮、その特設のメインコンソールに座れ! 君の脳波のログは残ってる。僕がバイパスを繋ぐから、君の指先で、エルの『制御』を取り戻すんだ!」
蓮は迷わずキーボードの前に飛び込んだ。シロが目にも留まらぬ速さでコードを打ち込むと、中央の巨大なモニターに、見慣れた『アルカディア』のUIが強制起動した。画面中央には、血を流しながら戦うエルのリアルタイムのバイタルデータが表示されている。
『シンクロニシティ・リンク:確立。プレイヤー・RENへの操作権限を一時的に委譲します』
「よし……動け、僕の指!」
蓮はキーボードに指を乗せ、かつて何千時間も繰り返した、身体の一部のようなコマンド入力を開始した。
【コマンド:アドレナリン・ブースト――発動】
「――っ!?」
次の瞬間、迫り来るモンスターの爪を前にしたエルの身体が、嘘のように軽く跳ね上がった。
「これは……身体が軽い? いや、私の意志とは別に、肉体が最適な回避軌道を描いている……!」
「エル! 君の頭の中に、僕の操作のイメージが流れてるはずだ! 今度は操り人形じゃない、君の意思と、僕のコマンドの『共同戦線』だ!」
「ふっ、生意気なプレイヤーめ……だが、悪くない!」
蓮の超高速のキータイピングが、地下室に響き渡る。
【コマンド:ウェポン・レプリケーション。対象:周囲の鉄屑】
蓮の入力に応じるように、シロの部屋に転がっていた鉄パイプが青い粒子を纏い、エルの手に吸い付いた。それは一瞬にして、彼女がかつて愛用していた白銀の大剣の形へと「再構成」される。
「ハァァァァッ!」
エルが鉄の剣を真一文字に振るうと、空間を引き裂くような斬撃が放たれ、迫る異形の一体を一刀両断にした。データの塵となって消えていくモンスター。
「いける……これなら勝てる!」
蓮が確信した、その時だった。
再び空間の裂け目が大きく広がり、地下室の温度が急激に低下した。
重厚な、しかし聞き覚えのある金属音が響く。裂け目の奥からゆっくりと歩み出てきたのは、漆黒のフルプレートアーマーに身を包み、身の丈を超える大鎌を携えた騎士。
エルの世界で、彼女と共に数々の戦場を潜り抜けた最強の戦友であり、ゲーム内ではレベル99を誇る最高峰のNPC――『魔剣士ギルフォード』だった。
「ギルフォード……!? なぜお前がここに……!」
エルが驚愕の声を取り乱す。しかし、ギルフォードの兜の奥にある瞳は、邪悪な紫色の光に染まっていた。その頭上には、赤文字でこうシステム表示されている。
【状態異常:アニマによる精神汚染(操り人形)】
「あはは、お友達を連れてきてあげたよ」
空間の天井から、あのラスボス『アニマ』の嘲笑が降ってくる。
「君たちがシステムをハックして抵抗するなら、こっちも『正規のルール』で遊んであげる。さあ、殺し合ってよ。僕の可愛いプログラムたち」
ギルフォードが言葉を発することなく、大鎌を構えた。その圧倒的なプレッシャーは、先ほどのモンスターの比ではない。かつての仲間が、アニマの完全な傀儡となって、現実世界の二人へ刃を向ける。




