第二話:見えない監視者と、始まりの警報
「……おい。これは、なんだ」
布団をマントのように羽織ったエルフレイア――エルが、大真面目な顔で蓮の差し出したものを睨みつけていた。
「なんだって……コンビニの鮭おにぎりだけど。お腹鳴ってたから」
「オニギリ……。怪しい魔術の触媒ではないだろうな?」
「ただの米と魚だよ。ほら、ここをこうやって引っ張って剥くの」
世界の壁を越えるという大事件の後、二人は朝まで話し込んだ。エルの空腹の音で会話が中断され、蓮が命がけで近所のコンビニ(もちろんエルは部屋に隠した)から買ってきたのがこれだった。
エルは警戒しながらもおにぎりを口に運ぶ。その瞬間、彼女の美しい目が見開かれた。
「……美味い。塩気と、この未知の具材の旨味が完璧に調和している。お前たちの世界の兵糧は、これほど洗練されているのか」
「気に入ってくれてよかったよ」
蓮は苦笑しながら、自室の液晶モニターを睨みつけた。
画面には大きく『緊急メンテナンス中。終了時刻:未定』の文字が躍っている。
エルが画面から飛び出してきてから、一時間も経たないうちにゲームは強制遮断された。いつもなら「またか」で済むオンラインゲームのメンテだが、今回はタイミングが良すぎる。
(やっぱり、僕のPCだけのバグじゃない。ゲームの『運営』は、エルが向こうの世界から消えたことを察知してるんだ……)
そう思った瞬間、蓮のスマートフォンが小刻みに震えた。
画面に表示されたのは、登録していない奇妙な数列の電話番号。不吉な予感がして通話ボタンを押すと、ノイズ混じりの機械的な声が流れてきた。
『――コードネーム:エルフレイアの未検出を確認。周辺の量子座標をスキャン中。対象を発見次第、即座に回収、またはデリートに移行する』
「なっ、誰だあんた!?」
『警告。システムへの不正な干渉は、現実世界における法的処罰、および「存在の再構成」の対象となります』
ツ-、ツ-、ツ-、と無機質な音を立てて通信が切れる。
「蓮、どうした。顔色が悪いぞ」
「エル、不味いことになった。どうやら君を操っていた『ゲームの運営会社』……いや、その裏にいる奴らが、君がここにいることに気づいたみたいだ。回収……、最悪の場合は消去するって」
「私を消すだと?」
エルの瞳に、戦士としての鋭い光が戻る。
「ふん、望むところだ。私の人生を弄んだ黒幕がそこにいるのなら、今度はこちらから首を獲りに行くだけだ。案内しろ、蓮」
「いや、案内しろって言われても、相手は巨大な大企業だし、僕らはただの一般人と全裸同然の異世界人だよ!?」
その時、ふと蓮はカーテンの隙間から、アパートの下の路地を見下ろした。
平日の朝。普段なら近所の住民しか通らない静かな住宅街に、見慣れない黒塗りの高級ワンボックスカーが数台、音もなく停車するのが見えた。
車から降りてきたのは、仕立てのいい黒いスーツに身を包み、耳にインカムをつけた男たち。彼らの視線は、明らかに蓮の住む部屋へと向けられていた。
「嘘だろ……もう来やがった……!」
蓮の背中に冷たい汗が流れる。
ゲーム運営会社『ネクシス・インダストリー』。表向きは世界最先端のAI技術を持つゲームメーカーだが、その正体は国家の最高機密である「量子並行世界」を管理するディストピア組織だったのだ。
「蓮、奴らが来るのだな?」
エルは布団を脱ぎ捨てると、クローゼットから蓮の大きめのパーカーとスウェットパンツを引っ掴み、信じられない早さで身に付けた。サイズが大きいため少しぶかぶかしているが、鋭い眼光は隠せていない。
「あいつらの狙いは僕のPCと君だ。ここにいたら捕まる」
「ならば、敵の陣地に潜り込む。追っ手を引きつけ、元凶の場所へ案内させるのが兵法の基本だ」
エルは獰猛に微笑むと、蓮の腕をガシッと掴んだ。
「お前も来るんだ、私の『操縦者』。私の世界と、お前の日常を取り戻すためにな」
バァン!!!
激しい音を立てて、蓮の部屋の玄関ドアが外側から蹴破られた。
踏み込んでくる黒服の男たち。だがその瞬間、蓮とエルはすでにベランダの柵を飛び越え、朝の街へと駆け出していた。
――二人の、世界を揺るがす潜入劇が今、幕を開ける。




