第五十三話:雪の港町と、バイオリンを奏でる男
極寒の港町クルト。
氷に覆われた石造りの建物が並ぶ街並みは、暗雲に覆われ、街を行き交う人々もどこか怯えたように俯いて歩いていた。
街の警戒の目をくぐり抜け、無事に小さな宿屋を取ることができたトウマたち。
荷物を置いた一行は、さっそく変装と情報収集を兼ねて、街で一番賑わっているという大衆酒場へ向かった。
「それじゃあ、行くよみんな!」
トウマの掛け声とともに、酒場の簡易ステージで演奏が始まる。
ステージ中央に立つソフィアが愛用のタクト(指揮棒)を静かに掲げ、優雅にひと振りした。そのタクトの軌跡に沿うように、全員の音が美しく重なり合っていく。
トウマの力強く躍動感あふれる三味線、シオリの澄み渡る竹笛の音色、そしてアーサーの奏でる哀愁を帯びた流麗な二胡の旋律。ソフィアの冴え渡る指揮によって、それぞれの音色が見事な調和を生み出し、酒場全体を優しく包み込んでいく。
防寒着の中に隠れた天狐やソフィアの肩の鳳凰、アーサーの肩の青龍も、気配を殺しながら一丸となった旋律に耳を傾けていた。
和洋折衷の幻想的な重奏は、寒さと恐怖に縮こまっていた酒場の客たちの心を瞬く間に魅了した。
「すごいぞ、あの旅の演奏家たち……!」「心が温かくなる音色だ……!」
演奏が終わると惜しみない拍手が送られ、差し出された帽子には十分な路銀が集まった。トウマたちは酒場の客や給仕に混ざり込み、酒を酌み交わすフリをしながら街の噂や魔物の動きを探ったが、この日は目立った収穫を得られないまま宿へと戻った。
◇
そして、次の日。
再び情報を集めるため、トウマたちは同じ酒場へと足を踏み入れた。
だが、扉を開けた瞬間——客たちの喧噪を押し除けるように、一小節の透明感あふれる旋律が酒場全体へと響き渡っていた。
「……! この音は……?」
トウマが弾かれたように足を止める。
ステージの中央、スポットライトのような薄明かりの下に、一人の男が立っていた。
深く被ったフードから覗く精悍な顔立ち。その肩に抱えられているのは、鈍い木目調の光沢を放つ一挺の『バイオリン』だった。
男が弓を滑らせるたび、高らかで、美しく、どこか胸を刺すような切ない旋律が空気を震わせる。超絶的な運指と圧倒的な音圧。旋律の端々には、張り詰めた剣気のような研ぎ澄まされた霊気が宿っていた。
「すごい……なんだこの演奏……! 音が……耳から直接心の中に流れ込んでくるみたいだ……!」
トウマは目を奪われ、息をするのも忘れてその演奏に聴き惚れていた。三味線を極めつつあるトウマだからこそ、その男が放つ旋律の奥深さと、計り知れない実力が瞬時に理解できたのだ。
シオリも、ソフィアも、その圧倒的なバイオリンの音色に目を見張っている。
やがて、澄み切った一音を残して男の演奏が締めくくられると、酒場全体が静まり返り、一瞬ののち爆発的な歓声が上がった。
男は静かに辞儀をすると、バイオリンをケースに収め、酒場の端にある静かなカウンター席へと移動した。
「ちょっと話しかけてくる……!」
トウマは居ても立ってもいられず、シオリたちを連れて男の隣の席へと歩み寄った。
「あの! すごい演奏でした! 僕も楽器をやってるんですけど、あんなに綺麗で力強いバイオリン、初めて聴きました!」
目を輝かせて話しかけるトウマに対し、男はグラスの酒を一口飲み、フードの奥から鋭い眼差しをトウマたちへと向けた。その瞳は冷たく、どこかトウマたちの正体を探るような怪しい光を帯びている。
「フッ……昨日の三味線の小僧か。褒め言葉は受け取っておこう」
男は低い声で呟くと、周囲に客がいないことを確かめ、机の上に一枚の古びた羊皮紙の地図をそっと滑らせた。
「お前たち……ただの『旅の音楽家』じゃないな? その目、そして音に込められた気魄……素人ではない」
「え……? あはは、何言ってるんですか! 僕たちはただの貧乏演奏家ですよ〜」
トウマは首の後ろをかきながら、おどけた調子で笑ってはぐらかす。アーサーもどこか白々しく「そうだぞ、俺たちは演奏して美味い酒が飲めればそれでいいんだ」と肩をすくめてみせた。
だが、男はそんな二人を意に介さず、地図の一点を指でコンコンと叩いた。
「なら……この『北の谷の村』へ行ってみるといい。最近は魔物が騒がしくて、村の連中も寒さと恐怖で参っているらしい。……お前たちの自慢の演奏で、癒やしてやったらどうだ?」
男は底知れない笑みを浮かべ、それ以上は何も語ろうとしなかった。
ただの親心か、それとも自分たちの実力を試そうとしているのか——初対面の自分たちに危険な場所を勧めてくる男の狙いは、あまりにも謎めいていた。
トウマは一瞬シオリたちと視線を交わすと、へらへらとおどけてみせた。
「へえ、北の谷の村ですか! 困っている人がいるなら、一曲聴かせて路銀でも稼ぎに行ってみようかな!」
「ええ、私たちのお節介な演奏がお役に立つなら、行ってみる価値はありそうですね」
シオリもトウマのノリに合わせてクスリと微笑む。
「好きにするがいい……」
興味を失ったかのように酒をあおる謎の男に「情報ありがとー!」と手を振り、トウマたちはあくまで「演奏旅行」のフリをして悠然と酒場を後にした。
そして酒場を出た瞬間、周囲に誰もいないことを確かめると、全員の表情が凛としたものへと引き締まる。
「……トウマ、あの男、只者じゃなかったわね。でも、北の谷の村で魔物が暴れているのは本当のようだわ」
「うん。あいつの狙いはわからないけど、村が危険なら放っておけない! みんな、バレないように急いで向かおう!」
一行は楽器を背負い直し、雪の舞う北の谷の村へと向けて静かに走り出すのだった!
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