8 クェト=セルス
姉が入院する王都総合病院を訪れたミラ。
姉の幻覚症状について尋ねるも、自身の経験とは異なることを知り、幻覚のトリガーがロダンにあるのではないか、と勘繰る。
ちょうどその時、彼が隊舎を訪れたが――
「クェト、セルス…? なんなの、貴方」
『この世界に我を形容する言葉はまだないが……。宙を包む輪郭。泡のようなものだ』
「????」ミラは首をゆっくりと傾げた。
「はは、隊長、なに言ってるか分からないですよね」ロダンは苦笑いだ。
「君は分かるの?」
「俺も分かりません」
『子細はおいておけ。本来、我を観測できる世界ではないはずだ。ハルト、ミラ。お前たちが少し変わっているだけで』
「……そう、多分、貴方ほど変わっているわけじゃないわ」
ミラは剣を構えた。対して、ロダンが立ちふさがる。
「ロダン、どいて。それは魔物の類よ…!」
「待ってください隊長! 聞いてください、クェトは魔物なんかじゃ――」
『よい。のけ、ハルト』
クェトが首をかしげると、ロダンの位置がずれた。
さらにそこで、ロダンの位置が固定される。
「クェト、待て!」
『せっかく我を観測できる奴なのだ。存在としての格の違い、見せてやる』
「クェト~~!! 頼むから待て!」
「格の違いですって…!? 望むところ――!」
ミラは最速の一手を繰り出す。全身を纏う操作魔法により、助走を排したうえで、神速の突きを繰り出す――
『さて。ではどこから話そうか』
気づくとミラは、ソファに座っていた。
クェトは眼前で、また小首をかしげている。
「……は?」
ミラは困惑するしかない。
さっきの突きは?
私の剣は?
立ち位置は?
すべての脈絡が狂い、まるで最初から、ここでお茶でもしていたかのようだった。
「いったい何が…?」
『お前が切りかかってきたから、ソファに座らせた』
「???」
何の説明にもなっていないし、剣とソファには何の因果関係もない。
ただクェトは、始点と終点を告げただけだった。
『今、我がそう言って、お前が聞いたから、因果がそうなった』
「なんなの……? どういう意味? 貴方の力だとでも言いたいの?」
『力、というほどのものではない。我の観測上のルールでは、因果がそう成立する』
クェトはまた、首を傾げた。
それは、疑問を呈するジェスチャではない、とミラは理解した。
視点を変えているだけだ。
「隊長、クェトの言うことは、話半分でも聞かない方が良いです」
ようやく理解できる人語が聞こえたと思えば、ロダンは隣に座っていた。
「こいつはずっと俺に付いてるんですが、俺でも理解できない事の方が多いんです。今日会ったばかりじゃ、全然分からないですよね」
「ロダンの何なの? 精霊? 守護霊…? 魔法??」
『ようやく、魔物には見えなくなったか?』
「……魔物だったら、私はお手上げよ」
『さきの質問、我から答えよう。我はハルトの相棒だ』
「随分、俗な言葉を使うのね…」ミラは目を細める。
『そう思うか。我は良い言葉だと思う』
「説明にはなってないわ。どうして貴方のような妙な存在が、ロダンの相棒を名乗るの?」
「隊長、それは…。俺がそう呼んだからです。物心ついたときから、こいつは俺の傍にいて」
「ロダン…。このクェトは、私たちの敵? 味方?」
ミラは、クェトの的を得ない話を切り上げようと、核心をまっさきに突いた。
『味方だ』
「味方です!」
クェトもロダンも即答する。「もしクェトが魔物のような敵だったら、きっと騎士団はもう壊滅してたかもしれません」
『とはいえ思いのほか、騎士団もミラのような者を擁していたのだ。そう安易に壊滅、という顛末ではなかっただろうが――近しい因果は辿っただろう』
「……はあ…。分からないことが多いけど、ひとまず、味方だということは信じる」
ミラは、ようやく態度を軟化させた。
納得したというよりは、諦めも半分で。
「ロダン。君から話を聞かせて。クェトは、君と一緒にいて、何をしたいの」
「探し物、だそうです」
「探し物…?」
『我と同等の存在だ』クェトは口をはさむ。『近々、この星に必ず現れる。我はその予兆を観測してきた――先刻のあの“魔物”も、予兆の一つだ』
「予兆?」
『あれが観測されたということは、その“原因”もいずれ観測される。これは因果だ。そして、“それ”が顕現すればこの星は滅ぶ。これもまた、因果だ』
「滅ぶ…!?」
『結論だけ、簡単に言おう、ミラ』
クェトはいつのまにか、ミラの隣にした。
その暗黒の顔の奥に渦巻く、銀河の光は、よく見ると脈動のように明滅していた。
『我はこの星を救いに来た。宙を包む輪郭、星宙の管理者として』
ミラは息を呑む。言葉が出てこなかった。
喉に蓋がされたようだった。
(恐怖――じゃない。恐怖で動けないんじゃない。こいつが、何かしてるんだ)ミラはそう、直感する。
『“それ”らは、いずれこの星を介してこの宇宙に現れる。野放しにすれば、この星は滅ぶ。星宙も滅ぶ。ミラ、お前も我に協力しろ。この星に巣食う強大な存在を屠り続ければ、こちらから先手を打つことも可能だ』
「……昨日の魔物みたいな奴ってこと……?」息継ぎをするように、ミラの喉が解放され、言葉が出て来た。
『アレは大元に比べれば末端に過ぎない。我は“使途”と呼んでいる。だが、末端から辿れば必ず大元に至る。これは因果だ』
「……貴方自身が、その魔物を滅ぼせば良いんじゃないの」
『無理だ。直接はな。言ったろう、本来の我はこの世界で観測されない――干渉しあえない。ハルトを“使途”としてのみ、干渉できる。ミラ、お前もハルトに協力しろ。どうせ、やることはお前らの予定と、さして変わらない』
と言い残して、クェトは消えた。
その場に、一枚の紙を残して。それは、ミラが明日から向かうはずだった特定任務の依頼書だった。
果たしてみせろ、と言われているようだった。
「ロダン」
「はい!」
「説明してくれるわよね?」
「すみません、あまりできません! 秘密にしてるんじゃなくて、正直、俺も分かってない事の方が多くて…」
「はあ……。でしょうね」
クェト=セルス。聞いたことの無い名前だった。
魔物や悪霊、精霊と根本的に次元の違う存在、というだけは一目で分かった。生命や現象ではなく、それらを規定する「理そのもの」のような、階層の異なる観念だった。
クェトとの会話は、まるで王立魔法学院で、難解な書物を眺めているときを想起させた。理を頭に飲み込むときに感じる、息苦しさがあったのだ。
その存在を理解すること、説明することは、まさに理を熟知することに等しいということだ。
「でも、どうやらクェトが俺にやってほしいことは一つなんです。“ともかく強い魔物を探して倒せ”……そうしたら、クェトの探し物はおのずと見つかるそうで」
「さっき言ってた、“大元”ね?」
「はい。その“大元”も要するに、ものすごく強い魔物みたいなものだ、とクェトから聞いたことがあります。ただ、もしクェトが大元を見つけたら、直接対処すると」
「“やることは変わらない”、と言われても自信が無くなるわ……」
「自信が?」ロダンは目を丸くした。「隊長が?」
「君、私をなんだと思ってるの?」
ジッ、とロダンを睨むミラ。「あんな意味の分からないやつと同等の存在を相手取るなんて…。あれは、魔物とは完全に別種じゃない。手も足もでなかったのに、どうしろと?」
「いえ、俺はそうは思いません。隊長は、たぶん相手取れると思います」
「どうして?」
「隊長がクェトを見て、クェトも隊長を見たからです」
「……」それは説明になっていないようで、説明になっている。ミラはそんな思いがした。
「隊長、俺からもお願いです!」
ロダンはミラの手を両手で握った。彼の目は、ミラを真っすぐに見据えている。
その瞳の奥に、あの時見た暗黒の星宙は沈んでいない。今は、純粋な青年の、まっすぐな金色の眼差しが、ミラの瞳を鏡映しにしていた。
「クェトのことを見ることができる人に、俺は初めて会いました! 手伝ってくれませんか? クェトの言ってることが本当だったら、俺一人にはさすがに荷が重くて――!!」
「わ、分かったから…! 手を離して頂戴」
ミラは視線を外すように、机の上の任務依頼書に向けた。
「やってやろうじゃない。私のやるべきことが変わらないと言うなら、やり遂げるまでよ…!」
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特定任務 第0511号。
討伐対象:魔物0511号。号称ローンリア・レッド・ベア
任務エリア:王都アルトリアから東、ローンリア郊外。
詳細:
ローンリアは、王都向けにも穀物を栽培する穀倉街である。
魔物0511号はローンリアの穀倉を破壊。
中の穀物は腐敗している。
解析魔法から、当該対象は熊型の魔物と特定済み。
腐敗能力を有し、体躯も通常の熊の5倍ほどと巨大。
同族魔物の事例は観測無く、何らかの変異体と推定。
穀倉の破壊だけでなく、既に複数の死傷者を確認。
その脅威から、特定任務として、ここに発令する。
緑踏隊 ヒスイ・マルタ―(直筆)
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「――やるよ、ロダン。君が言い出したことなんだから、責任、持ちなさいよね」
「……はい! もちろんです、ありがとうございます!」
第九話『穀倉街、ローンリア』
5/18投稿予定




