7 姉
天候を操る巨大魔物を葬ったミラたち。
予言にあった『大いなる存在』への対抗のため、騎士団長と王は、彼女とロダンの活躍の行く末を見守る。
一方、ミラは魔物討伐後に見た幻に恐怖を覚え、一夜明けたいま、病院へとむかう。
王都総合病院は、王城のすぐそばに構えるアルレリア最大の病院だ。
一般の患者だけでなく、負傷兵を治療する役目も担う。
いわゆる「衛生兵」や「軍医」の本所属は王宮騎士団ではなく、王都総合病院とされており、各隊に派遣という形で所属している(ただし、白流隊のように危険性の高い任務ばかり向かう隊には配属されていない)。
昨日の魔物襲撃による来院者が多いかと思いきや、意外にも人は少ない。王宮騎士団の誘導で上手く避難が進んだようだ。軽い負傷なら、昨日の時点で処置が完了してしまったのだろう。
「あら、ライトさん。お姉さんのお見舞いかね?」
ミラは声を掛けられる。
ふりかえると、白衣姿の女性。
血のように赤い髪に赤い目、どろんと目の縁を飾る隈。真っ白な肌と真っ白な衣に、髪も隈は激しいコントラストを呈している。
不健康そうな様相に反し、どこか好戦的で斜に構えた笑みを浮かべている。
リーン・ルナガーデン、姉の主治医だ。
「朝早くからご足労さまだねえ」
「おはようございます、先生。姉の調子は…」
「今朝は良かったよ」リーンは答える。「あ、もっと高い金出されても、ウチにあれ以上良い部屋はないからね」
「分かってますよ。今日、会えますか?」
「会えるよ」リーンは親指で廊下の先を示す。
ミラの姉、アリアはかつては家で療養していた。戦死した父親の保険で慎ましく生きていたミラたちは、騎士団の庇護下にあった。
しかしミラが18歳になったある日、アリアの容態が急変する。
必死に街を駆けるミラだったが、アリアを見れる所は、王都総合病院以外にはなかった。
そこでミラは、リーン・ルナガーデンに出会った。
治療費が無いと言うミラに、リーンはある制度を示した――王都総合病院は1年だけ「研究」の名目で患者を無償で看病する枠がある。
しかし1年後、患者本人が継続治療を求める場合は、通常通り患者から医療費を徴収すると同時に、最初の1年の研究費の折半も求める。
あくまでアルレリアの公的制度の範疇での対応であり、ミラにとって、その1年が頼みの綱だった。
最終的に彼女は父親のように兵団に所属し、見事治療を継続することに成功――そして現在に至る。
「……お姉ちゃん」
呼びかけに、ベッドの上の女性が、布の擦れる音と共に、静かに振り返る。
ミラよりもずっと長い髪は、生え際から毛先まで均一な灰色だ。目元はミラにそっくりだが、眠そうな重い瞼と、長いまつ毛が、少し色の薄い瞳を遮る。
少しこけ、亀裂のような模様が浮かんだ頬は、ミラを見ると柔らかく綻んだ。
「あっ、ミラぁ~~! 来てくれたの?」と、アリアは手を低く振った。
――相変わらず、アリアは重病人とは思えないテンションである。ミラは苦笑した。
「お姉ちゃん、ちょっと静かに」
ミラの発言を聞き、注意する側とされる側が逆だろ、とリーンは呆れた表情を浮かべた後、その場を外した。
「具合、どう? 昨日の魔物が出た時とか、大丈夫だった?」
「とっても良いわよ。リーンさんが毎日診てくれてるし、ここは結界の内側だし、心配ないから」
「本当? 良かった。この前はちょっと具合悪そうだったから」
「ふふっ…。冬ね、空気が乾いて、ちょっと悪くなっちゃうの。でも最近良くなってきたよ」
“ちょっと悪くなる”というのは、「咳をしたら毎度血を吐く」というレベルである。
“最近は良くなってきた”というのも、あくまで、彼女の中での相対的な話だ。
アリアの目元から頬にかけて刻まれた亀裂模様は、ずっと残っている。皮膚の問題か、血管の問題か。この病気固有の症状であり、母にも刻まれていた。
ミラには、それがない。
幼い時はあった、と聞いているが、今は無くなっているし、ミラも当時のことを覚えていない。
「そっか。よかった」
「……なにかあった?」アリアは少し視線を下げ、椅子に座って目を伏せるミラを窺う。
「お姉ちゃん、幻覚とか、幻聴とか、今もある?」
「よくあるわよー」
「あ、明るいね…」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「……えっと」
最近、私も幻覚が見える。
とは、正直に話せないミラ。
アリアは微笑む。
「ミラ、ちょっとこっち」
「…? うん」
ミラが椅子を寄せると、アリアは、彼女の頭を優しく抱き寄せた。
「頑張ってるのね。ごはん、ちゃんと食べてる? ケガしてない? 無理してない?」
「食べてるよ。ケガもしてないし、無理もしてない」
ミラは嘘をついた。ケガはしている。無理もしている。
「お姉ちゃんこそ、ちゃんと食べて病気を治してね」
「ふふっ、もちろん! でもね、私の治療のためにミラが我慢することないのよ。ちゃんと好きなもの食べて、好きな服買ってね」
「買ってるよ」ミラは少しだけ嘘をついた。好きな服が見つかるまでゆっくり選ぶ時間は、いつから取れていないだろうか。必要な服のなかで気に入るものを買っているだけだ。
「騎士団に良い人とかいないの?」
「はっ? いないよ、仕事だし……」ミラは未確定情報を答えた。
「ミラ、あのね。もし私がいなくなっても――」
「ならないよ!」ミラは断じた。
アリアは、少し困った様子の八の字の眉のまま、抱き寄せたミラの頭を撫でた。
「ありがと」
アリアは囁く。「私ね、今も幻覚とか、幻聴はあるの。でも、昔から同じ声で、同じ姿だから、慣れちゃった」
「同じ声と、姿? どんなの?」
「言い表すのは難しいんだけどね。唸り声みたいな感じだし、幻覚も影みたいな感じだし。でも必ず、見るのは星の綺麗な夜。先生は、見えた時のことを記録してるんだけど、それもいつも晴れの夜」
「晴れの夜…」ミラは繰り返す。
アリアは寄せていたミラの頭から少し離れて、やわらかく微笑んだ。
「ミラ。困ったことがあったら、いつでも言ってね。相談に乗るから。……相談に乗る事しか、できないけど」
「ううん、ありがとうお姉ちゃん。ちゃんと休んでね?」
ミラも微笑みかける。
二人の表情はそっくりだった。
*
ミラは隊舎に戻り、書類の山の処理にあたっていた。
頭の中では、例にもれず、別の思考が走っていた。
(晴れた星の夜に見える幻覚じゃなかった。朝と午後だったし、なんなら天気は悪かったし)
自分が見たものを思い出す。
幾重にも重なった声。
星空模様の髪の人影。
いずれも、ロダンが傍にいるときに観測された。
(トリガーは、やっぱりロダンなの?)
ミラがそう思い至ると、隊舎の扉が開く。
まだ集合時間ではないのに、早めに足を運んだのは、ロダンだった。
「隊長! おはようございます! 今日、集合は午後からで良かったですよね?」
しかし彼は、一人では無かった。
顔を青くして固まるミラ。
ロダンは首をかしげる。
「隊長?」
「き、き、君っ……う、後ろに…!」ミラの指は、ロダンの、すぐ背後の影を差していた。
ありていにいって、ミラはそれが、幽霊か何かだと勘違いした。
あの時に見た“影”だ。
暗黒の星空色の髪。星雲の淡い光までも、髪の毛先のひとつひとつに閉じ込めている。
透けるほど薄く淡い色の衣は、肌の表面が砂金のように崩れかかっているように見えた。
裸足の指だけが、人間味を帯びた子供。
その顔は――
『見えてるな』
どこからか、老若男女の斉唱が響く。
その顔もまた、暗黒空間だった。
顔の中心に無限の奥行きがあり、その奥で、銀河のような光が絶えず渦巻いている。
まるで、その小さな躰が、宇宙の容器のようだった。
『ハルト。こいつには我が見えている。声も聞こえている。自力で我を垣間見る者にたびたび会えるとは僥倖だ』
「隊長。本当に見えてたんですね…?」
ロダンの方は、目を丸くしてミラを見ていた。「まさか、こんなことになるなんて……」
「なに? な、なんなの? ロダン、君にも“それ”、見えてるの?」
「はい。というより俺とずっと一緒にいます。でも、俺以外で見えた人は、初めてです』
『当たり前だ。見える方がおかしいのだから。しかしミラ、“それ”呼ばわりはいささか不便だろう。我を識別するための呼称を教えてやる』
それは音もなくとミラの前に歩み寄って来た。
『我はクェト=セルス。クェトでも、セルスでも、好きな法で呼べば良い』
第八話『クェト=セルス』
5/17投稿予定




