3 “何か”
ロダンに一本先取で手合わせを申し出るミラ。
互角の剣戟の中、ミラが必殺の魔法剣で彼を狙う。そのとき、突如時が止まったように遅くなり、ミラはある声を聴き――
気づいたときには、ロダンに一本取られてしまう。
ミラは首を手でさする。
じん、とした痛みを感じ、手がわずかな血に温く濡れて、顔をしかめた。
「うわっ! 隊長、すみません! さっきので喉を少し擦りむいてしまってるかもしれません。手当を――」
「……い、良いっ! これくらい問題ないから!」
「それはいけません!!」
ロダンはぴしゃりと言い放つ。「小さな傷でも手当ては基本、大事に至ったら取り返しがつかないですよ! 首なんて血管が凄く多いんですから擦り傷も油断なりません! はい、立ってください」
ロダンは、ミラの手をグイと引いて、彼女を立たせた。
視線が揃う両者。いまの彼の目は、朝日に光っている。
――しかし、ついさっきの記憶が、ミラの脳裏から離れない。
夜の星空を投影したような、深淵を閉じ込めたような、ロダンの瞳の奥が。
ミラほどの騎士を、恐怖で竦ませたのだ。あの一瞬の時が止まったような錯覚は、走馬灯だったのだろう。
(……本当に、ただの走馬灯?)
それでは説明がつかない実感が、ミラの中にはあった。
本来感じる走馬灯と、因果が逆だったのだ。
ミラの木剣がロダンの胴体に届きかけたとき、体感時間が凄まじく遅くなり、あの“何か”が恐怖を与えた――走馬灯は、順序が逆のはずだ。
ミラが熱心にあの刹那の瞬間を頭の中で解析しているかたわら、ロダンは彼女の手を引いて、医務室へと向かい出した。
訓練場、扉を通り、廊下へ。
夜は明けたばかりだが、騎士団の朝は早い――というより赤動隊や金泳隊は3交代制なので、実質休みが無い。ぼちぼち、団員が出勤し始める。
(あの時、絶対に“何か“の声を聞いた…ロダンの声じゃない、何かの。あれは何だったの?)
「良いですか、傷は深さ云々より、後の手当が大事なんです。重い傷でも手当てが良ければ、予後は問題なし。その逆も然りですよ! 外に放ってあった木剣なんて、雑菌だらけなんですから、ちゃんと消毒しないと――」
考え事にふけるミラの耳に届くのは、まるで子供を叱る母親の説教だ。
しかし母親ではなく、後輩にこんなことを言われている、という事実にミラは気付き、ようやく我に返った。
すると、既に医務室に差し掛かる所だった。あたりには、出勤し始めて玄関を行き来する団員たち。彼らの視線は、“最強”の二人組のミラたちに降り注いでいる。
「聞いてます? 隊長」
「……はぇ」
周囲の状況に気付いたミラは真っ赤に燃えた。
「い、いや、医務室くらい自分で行くよ! もう結構です!!」
ミラはロダンの手を振りほどいて、医務室へと逃げ込んでいく。
「あっ、待ってください! まず手を水で洗って!」
――その様子を、ルキウスが気配を殺し、廊下の陰から観察していた。
実のところ、彼が観察していたのはロダンのほうだったが、想定外のことに、今日はミラがそこに現れたのだ。
それからのことの顛末を全て見届けた彼は、今年度一番楽しそうに、声が出ないほど笑っていた。
「く、くく……。はっ、朝から笑い死ぬかと思った……はァ…」
「のぞき見とは、良い趣味をしているね、ルキウス」脇に音もなく現れたのは、アルトリス。
騎士団長の突然の来訪に、会釈ひとつで応じるルキウス。
「よう、団長様。これはお前さんの指示通りだぜ」
「提言したのは君だがね」
「承認したろ?」
二人は特に申し合わせることもなく、廊下の奥の方へと歩き出す。
「アレはどうだ?」とアルトリスは曖昧に問う。
「断言できんが、ミラとロダンが剣を交える様子をじっくり観察した」間合いを取るように、ルキウスが切り出す。
「それで?」
「やはりロダンは強い。そして異質極まる。ミラの剣を支える鍛錬や才覚とは、別の何かがある」
「ふむ。それで?」
「例の“予言”との関与、やはり否定できない」
「“大いなる存在はやがて来たる”。“2つは人の味方。1つは中立。2つは災禍。1つは人の敵”――さて、するとロダンは味方か?」
「まだ何とも。味方ならベスト、中立ならセーフ。だがもし敵なら……なんとしても奴を討つ必要がある。人類に牙をむく前に」
ルキウスの眼が鋭く光る。「俺の剣では無理だ。しかしミラなら、やつの剣なら、あるいは行けるだろう」
「ふむ……」アルトリスは唸った。
とある『予言』は、王立魔法学院から極秘に発せられた。
今のところ、それを知るのは学院長、団長、王、そして彼らが信頼を置いた人物のみ。
“大いなる存在はやがて来たる”
“2つは人の味方。1つは中立。2つは災禍。1つは人の敵”
その予言を発した当の占術師は、来たる未来の混沌さを演算しきれず、その内容を言葉に発すると同時に昏睡状態に陥いり――既に5年が経っていた。そして予言は、数年以内に形を成すことは珍しくなかった。
王は“大いなる存在”のうち、“災禍”および“敵”を、極秘の討伐対象に設定。
予言がもたらす影響の不確かさから、一般には公開されていない。
団長のアルトリスにその対処を命じ、“大いなる存在”の特定および討伐への準備が進められることになった。
その準備の一つが、高難度任務専属部隊、白流隊の設立である。
ミラの存在は偶然騎士団にもたらされた、渡りに船だったのだ。
一方、ロダンの存在は――。
「俺がアイツに目を付けて隊に引き入れたとき、“何か”を垣間見た。説明は難しい、筆舌に尽くしがたいモンだ」
「あえて例えるなら、なんだ?」
「筆舌に尽くしがたい、って言ったろ、今」
「尽くせ」
「むっ……」ルキウスは前置きを唸る。「……しいていえば、星空、か」
「星空?」アルトリスは眉を上げた。
「満天の星空を思い浮かべてみろ。そんで詮を抜いた風呂桶を流れる水のように、それがある点に収縮していくような状態。どれだけの深淵が、どれだけ遠い存在が、その点にあると思う? 俺はそんな深淵を、あいつの目の奥に見た。闇とも、魔物とも違うものだ」
「ふっ。ロマンチックな例えもできるじゃないか、ルキウス」
「笑えねえな。ロダンは人類の大敵やも、災禍やも分からんのだぜ」
「まだ決まったわけじゃない。それに、単にロダン君が変人、というだけかもしれんしね」
ルキウスは彼のことを思い浮かべ、「否定はできねえな」と笑いを相槌にした。
*
さて、医務室で消毒と薄いガーゼを施させたミラは、ロダンと一緒に廊下を歩いていた。
「隊長、大丈夫ですか?」
「だから大丈夫って言ってるでしょ、これくらい。もう、いつまで付いて来るの。君は青飛隊に戻った方が良い」
「それが、実はちょうど昨日ルキウス隊長に言われたことがあって」
「え、なに?」
「“お前さんの分の『対外研修』すっかり忘れてたから、明日から1週間は白流隊のところに行け”……とのことでして」
「たっ…対外研修?!」
ミラは顔をひきつらせた。
対外研修は、新人のみ課せられる1週間の研修任務である。
王宮騎士団に同じ役割の隊は存在しない。
それは団長の意向であり、戦略だ。それゆえ対外研修では、団員同士が他の隊の仕事を理解し、尊重し合う風土をつくり、相手を選ばない連携の礎とする。
ミラも新人のときは、確かに対外研修をした。そのときも、年度末ぎりぎりだった。
「やー、すっかり忘れてたぜ~へっへっへ!」とふざけた様子で、ルキウスが急に決めたのだ。幸か不幸か、それがきっかけで金泳隊のカフカと繋がることになったが。
そしてこの研修、団長の決定のもとで実施されるものであり、拒否権が無い。
研修を忘れていた者も大目玉を喰らうが、それを断った者はよりこっぴどく叱られるという。
いま、ロダンから申し出があった。
もう、ミラに拒否権はない。
「あっ、あ~~。そう、それは、なにより……歓迎するわ」
(あの爺…! 先に言っといてよ、毎度毎度!)ミラは拒絶が表に出ないよう、内心を奥歯で噛み殺した。
「け、けどぉ、午後からで良い? そう、いったん皆にも話を付けて来るから!」
「はい! じゃあ昼休憩が終わったら、すぐ行きます!」
一時解散。
ミラはすぐさま、隊舎へと駆ける。
「ちょっと皆、集合! 緊急の話がある!」
舎の中で待機していた皆が、一斉に声に振り向く。
画鋲に打たれた地図が幾重にもかさなるボード、消し残りのある黒板、承認待ちと承認済みが半々に拮抗する書類の山に、レアンが手入れした魔道具を置いた棚。その脇にはカフカの盾がかかり、ちょうどザエルは朝の掃除中だった。
「あ、ようやく来たね! 待ってたよ~」
レアンのテンションが普段より高いことに気付き、ミラは首をかしげる。
「何かあったの?」
「何かあったのはそっちでしょうに」カフカが肩を竦める。
「ロダン君と仲良く手をつないで歩いてたって~! 面談、大成功だったんだね~!」とはレアン。
「はっ?」
「隊員中の噂になってたぞ、朝から」満足げに頷くザエル。
「えっ…」
自身の置かれた状況に気付いたミラは、また真っ赤に燃えた。
「ちっ……! 違う~ッ!!」
声は空しく響いた。
第四話『天気は午後崩れる』
5/13投稿予定




